第五章-導きの猫

 おばぁさんが散歩コースの途中にある公園に立ち寄っている時、手に持っているスマートフォンから、軽快な音楽が流れてきました。


 「おやおや、一体何だい?」


 おばぁさんはそれが呼び出し音だとは気付かずに、スマートフォンを見詰めます。

 スマートフォンのディスプレイには、“美香ちゃん”と表示されていますが、老眼で目が薄いおばぁさんには、何と書いているか解りません。


 「え~っと…。」


 おばぁさんは画面を顔から離して、読もうとします。


 「おばぁちゃん。どうしたの?」


 そんなおばぁさんに、声を掛けてきたのは、20代と思しきショートカットの女性です。


 「使い方が解らなくてね。」


 おばぁさんは困った顔でスマートフォンをその女性に見せます。


 「あぁ、はい。私がしましょう。」


 女性は、スマートフォンを受け取ると、受話ボタンをタップしておばぁさんの耳に当てました。


 「これでお話できますよ。」


 おばぁさんの耳に、ゆきちゃんの声が聞こえてきました。


 「もしもし、おばぁちゃん? ミケちゃんたち、駅の方に行ったみたいだよ。私たちこれから行って見るから、家に戻ってて。」


 ゆきちゃんは用件だけ言うと、おばぁさんの返事も待たずにさっさと電話を切ってしまいました。


 「おやおや、せわしない子だねぇ。」


 おばぁさんがスマートフォンから耳を離したのを確認した女性は、スマートフォンをおばぁさんに返しました。


 「それじゃ、気をつけてくださいね。」


 女性はそれだけ言うと、やっぱりおばぁさんの返事を待たずに、走って行ってしまいました。


 「おやおや、せわしないねぇ。」


 その女性の後ろ姿を見ながら、おばぁさんは同じ感想を呟きました。


 「さて、私も、駅前まで、行ってみようかね。」


 行動派のおばぁさんは、ゆきちゃんの言葉を無視して、駅前までミケさんたちを捜しに行くことにしました。




 来た道をしばらく戻っていくと、途中でおばぁさんの前を猫が横切りました。

 猫は三毛猫で、後ろ姿はミケさんそっくりでした。

 おばぁさんは、ゆきちゃんの目撃証言も忘れて、その猫を追い始めます。


 「ミケさん。どこ行くんだい、ミケさん?」


 おばぁさんは、三毛猫を追い駆けますが、距離は開いていくばかり。

 しかし、右に左に交差点を曲がる度に、その猫はおばぁさんが追いついて来るのを待っているように立ち止まりました。

 おばぁさんが近付いてくると、また走り出し、次の交差点でまた立ち止まります。


 「ミケさん? どこへ行くんだい?」


 おばぁさんは、猫の不思議な行動に首を傾げながらも、後を付いて行きます。

 気が付いたときには、家の近くまで戻ってきていました。今見えている交差点を右に曲がれば、家の前の道に出ます。

 真っ直ぐ行くと、駅に通じるバス停がある大通りに出ます。

 しかしミケさんと思しき猫は、その交差点を左に曲がりました。

 おばぁさんは息を切らせながらも、猫の後を必死で付いて行きます。

 やがて、目の前に三叉路が見えてきました。

 さすがに疲れて足を止めると、正面に見える三叉路の向こうから、沢山の猫の鳴き声が聞こえてきました。

 疲れを忘れて、急いで駆け寄ると、広場で猫の集会が開かれていました。

 その広場は猫がよく集まるので有名で、猫の集会所という別名がつけられていました。

 ここならミケさんたちが居るかもと思い、おばぁさんは広場に足を踏み入れました。




 駅前まで来たミケさんたちは、途方に暮れていました。

 はっきり言っておばぁさんが何処に向かったのかなど、わかるはずもなかったのです。

 それでもおばぁさんを助けたい一心で、ここまでやってきました。


 『ミケさん…?』


 駅前は人や車の往来が激しく、おばぁさんの裏庭から遠く離れたこの地へ初めて来たポチさんやポケさんたちは、不安の色が隠せずに小さくなっていました。

 駅に入るには目の前の大きな道を渡らなくてはいけません。

 しかし、完全に足がすくんでしまっているポチさんたちは、歩道の端にすら近寄ろうとはしません。


 『そんにゃに怖がらにゃくていいにゃ。車は止まるから、その間に一気に渡れるにゃ。』


 目の前には、横断歩道があり、信号もちゃんと付いています。

 信号が変わって、車が止まったときが渡るチャンスです。


 『ほ、ホントに大丈夫なの?あんなのが当たったら死んじゃうよ。』


 ポチさんはぷるぷる振るえながら、弱々しく聞いてきました。

 同じようにおばぁさんの裏庭にいる猫たちでも、後から裏庭にやってきた猫たちは、こういうシチュエーションには慣れているのか、堂々としたものです。

 同じく、裏庭から出て一人立ちしている猫たちにも、臆している様子は見当たりません。

 ですが、ポチさんたちのように裏庭生れの裏庭育ちの言わば温室育ちの猫たちには、ここは未知の世界です。


 『ミケさんじゃないか。久しぶり。何してんの?』


 そんなミケさんたちに気軽に声を掛けてきたのは、駅で寝泊りをしているクゥさんでした。

 クゥさんも、以前はおばぁさんの裏庭で生活していたアメリカンショートヘアの猫です。

 昔は何処かの家で飼われていたクゥさんは純血種ですが、飼い主に嫌気がさして家出をしてきた猫でした。

 ミケさんが裏庭にやって来た直後に元の飼い主に見つかって、引き取られて行ったのですが、結局またすぐに家出をして、今は駅に居を構えています。


 『え~っと、誰だっけ?』


 ミケさんは見覚えはあるものの、そんなに話したわけでもないので、すっかり忘れていました。


 『ミケさん…。クゥさんだよ。迎えに来た飼い主の顔を思いっきり引っ掻いた…。』


 ポチさんの説明にミケさんはやっと思い出したのか、『あぁ!』と合点がいったように大きくうなずきました。


 『すぐに別れたとはいえ、忘れられるなんて…。』


 クゥさんは落ち込んでしまいました。


 『ご、ごめんにゃ!謝るにゃ!だから落ち込まにゃいでにゃ!!』


 ミケさんは慌てて謝ります。


 『ま、良いや。』


 顔を上げたクゥさんは、別に気にしている様子もなく、さっぱりしていました。


 『で、何やってんの?』


 クゥさんは、ミケさんの後ろにいる大勢の猫たちを見渡しながら聞きました。

 ミケさんは、経緯を簡単に説明しました。

 ミケさんの話を聞いたクゥさんは、自分も何度も世話になっているそのおばぁさんが、タクシーに乗るのを見ていました。


 『タクシーは多分、おばぁさんの家に向かったと思うよ。』


 クゥさんはタクシーの向かった方向を指して言いました。

 その方向には、確かにおばぁさんの家があります。

 大きな道を渡らなくてすんだことに気が付いたポチさんたちは、ミケさんに気付かれないようにそっと安堵の溜息を吐きました。

 ミケさんたちは、すれ違ったことを知り、急いでおばぁさんの家へ引き返していきました。




 その頃おばあさんは、この猫たちの中にミケさんたちが居ると思い、バレないようにそっとミケさんたちを探しました。

 しかし、不思議なことに広場の猫たちは、おばぁさんが入ってきても逃げることなく、優雅に陰日向でくつろいでいました。

 そんな広場の奥には、幹が太くて大きな樹が立っています。

 街中にありながら、その樹には精霊が宿るとして、注連縄しめなわが巻かれ、その麓には小さな社があり、街の人たちから大事に奉られていました。

 おばぁさんは知る由もありませんが、ここは最近、ミケさんが気にしているあの広場でした。

 その大木の近くで、ミケさんにそっくりのあの猫が歩いているのを発見したおばぁさんは、その猫の後を追っていきました。

 「ミケさん、どこ行くんだい?」

 ミケさんを追いながら声をかけますが、その猫は少し振り向いただけで大木の裏に回り込んで行きました。

 大木の裏にたどり着いたおばぁさんは、世界が一変したことに驚きました。





 おばぁさんの眼前に広がっているのは、江戸時代の長屋を思わせる景色。


 「……おやおや…。」


 木造の軒が何処までも長く続き、果てが見えません。

 しかし、その至る所に沢山の猫がいます。

 ここは猫の世界。誰も人間が踏み入れてはいけない世界。

 おばぁさんは戸惑い、引き返そうと振り返りますが、後ろにも何処までも伸びる長屋の景色が広がっていました。


 

 そんなおばぁさんの耳に小さな猫の鳴き声が聞こえてきました。

 その声に何故か心惹かれたおばぁさんは、声のする方へと引き寄せられるように歩いていきました。

 その先にいたのは、小さな小さな子猫。

 おばぁさんにはその子猫に見覚えがありました。

 小さな顔からはみ出してしまいそうな大きくつぶらな目に、桃色に濡れる小さな鼻。頭から落ちそうな大きな耳。

 そして、白黒に彩られたその背中には小さなハートのマーク。

 それはおばぁさんが野良猫の世話をするきっかけとなった子猫でした。

 おばぁさんは「こころ」と小さなかすれた声で呼びかけます。

 その声に子猫は反応し、ニァと、鳴いておばぁさんの足にすり寄ってきました。

 おばぁさんの心は一気に過去へ飛びます。












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