第四章-古巣
手ぶらで外に飛び出したおばぁさんは、とりあえずチロさんの飼い主さんに話を聞きに行きました。
「何か、昨日の夕方あたりから、にゃあにゃあ鳴いていましたよ。チロってば怖がって、玄関の中で寝たんですから。」
まだ20代の若い奥さんは、足にすり寄って来るチロさんを抱え上げながら、おばぁさんに答えます。
おばぁさんは、チロさんの頭をなでなでして「怖がらせちゃったかね、ごめんよ。」と、猫たちの代わりに謝ります。
「いいんですよ。この子が弱虫なだけですから。」
隣の奥さんは、からから笑いながら答えます。
「それより、ごめんなさい。ミケちゃんたちがどっちへ行ったかは見ていません。」
「そう、仕方ないね。」
家の中にいたのだから、見ていなくて当然と言えば当然の結果です。
おばぁさんは頭を下げてから、門の外に出ました。
「さて、どうしようかねぇ?」
ミケさんを捜しに飛びだしたはいいものの、いきなり捜す当てがなくなり、途方に暮れてしまいました。
よく考えれば、ミケさんたちはいつも、裏庭でのんびり過ごしていました。
どこから来てどこへ行くのか、おばぁさんは全然知りません。
たまに姿を消すミケさんが、どこへ行っているのかも知りません。
とりあえず、いつもの散歩道を捜してみることにして、歩き出しました。
「ミケさんや~っ! ポチさんや~! ドラさ~んっ!」
おばぁさんは、ミケさんたちに聞こえるように大きな声で呼びかけます。
しかし、どんなに歩いても、ミケさんたちは見つかりません。
側溝に落ちてないか、神社の庭にいないか、はたまた車に轢かれていないか、おばぁさんは注意深く当りを見回しながら、歩いて行きます。
茂みがあれば、手が傷付くこともいとわずにかき分けてのぞき込みます。
そんなおばぁさんの前に、たまにミケさんたちと遊ぶ為に家にやってくる女の子が、近付いてきました。
「おや、ゆきちゃん。こんにちは。」
おばぁさんは、女の子にあいさつをしました。
「ねぇ、おばぁちゃん、ミケちゃんたちいないの?」
ゆきちゃんと呼ばれた女の子は、おばぁさんの周囲に猫がいないことに気が付いて、聞いてきました。
「いなくなっちゃたんだよ。今、捜しているところなんだよ。」
おばぁさんは少し淋しそうに微笑みました。
「じゃぁ、私も一緒に捜すっ!」
ゆきちゃんはそう言うと、きびすを返して走って行こうとしましたが、少し進んだところでピタッと立ち止まると、引き返してきました。
「はい、これ。」
ゆきちゃんは、おばぁさんに何かを手渡しました。
それはピンク色の、手のひらに収まる機械。
子供用のスマートフォンです。
「おばぁちゃん持ってて。何かわかったら連絡するから出てね。」
ゆきちゃんはスマートフォンを手渡して、詳しい説明をせずに立ち去っていきました。
「おやおや、どうしようかねぇ?こんなの使ったことないよ。」
おばぁさんは困った顔をしながらも、ゆきちゃんの優しさに頬がゆるむのを止められませんでした。
その頃、ミケさんたちは駅に向かって、大行進をしていました。
その数、およそ20匹。
おばぁさんに世話になった猫たちが、慌てているミケさんたちに声を掛け、事情を聞いて付いて来ているのです。
ぞろぞろと道を占領して歩く野良猫たちに、人間たちの間からは驚きの声だけでなく、保健所へ連絡しろという声まで聞こえてきました。
『ミケさん、このままじゃヤバいよ。保健所って地獄みたいなところなんでしょ?』
保健所の言葉に敏感に反応したポチさんが、先頭を歩くミケさんに弱気なことを言ってきました。
『にゅ~…。まさかこんにゃにいっぱい付いて来るとはおもわにゃかったんだもん。』
ミケさんは後ろを振り返り、ぞろぞろ付いて来る野良猫たちを改めて見ました。
『路地に入ろう。このままじゃ目立ってしょうがない。』
ポチさんの横を歩いていたポケさんが提案します。
因みに、ドラさんも最後尾をのっしのっしとゆっくり歩いて付いて来ています。
ミケさんたちが逸る気持ちを抑えて歩いている原因です。
歳をとったドラさんは、あまり早く走れません。
その上、体力も結構、衰えているので、走っても長続きしません。
それでもみんなが歩幅をあわせて歩いているのは、この中で誰よりもおばぁさんと付き合いが長く、誰よりもおばぁさんのことを心配しているようだったからです。
『そこの路地に入るにゃ。』
ミケさんは良い匂いを漂わせている焼き鳥屋さんの横に見えている細い路地を指して言いました。
20匹以上の猫たちが路地に入ると、エアコンの室外機の上に、一匹の三毛猫がいました。
『おやおや、大所帯で何事だい?』
その三毛猫は、目を丸くして見下ろしてきました。
『ミィ……。』
ミケさんが少し嫌な顔をして、小さく呟きました。
『ミケさん?』
ポチさんが、嫌な顔をして立ち止まったミケさんを覗き込みます。
『最近姿を見ないと思ったら、何をやってんだい?』
室外機の上から見下ろしてくる三毛猫が、ミケさんを見つけて問い掛けてきました。
どうやら知り合いのようです。
『もしかして、ミィさんか?』
大所帯の後方に、ドラさんがやっと追い付いて来ました。
『おやおや、懐かしい顔がもう一つ。』
三毛猫は、室外機から飛び降りて、ドラさんの前に進み出ました。
『どれくらいぶりかねぇ。随分昔に、噂で“楽園”の主になったと聞いたがね?』
ミィさんと呼ばれた三毛猫は、ドラさんに親しげに話しかけてきました。
『“楽園”って…?』
ポチさんが首を傾げてミケさんに聞いてきます。
『“楽園”とは、おばぁさんの庭のことだ。野良のくせに、何の苦労もせずに食事にありつける幸せな場所。』
ドラさんが、ミケさんの変わりに答えます。
『人間に飼いならされて、何が良いんだい?』
ミィさんはふんっと鼻を鳴らして、ドラさんの言葉を一蹴します。
『良く見ると、楽園から出てきた奴らばかりじゃないか。何やってんだい?』
ミィさんは、大所帯の猫たちを見回して、再びドラさんに向かい合います。
『ミーコ、あんたも楽園に行っちまったのかい?』
ミィさんは、黙り込んでしまったミケさんに顔を向けました。
『ミーコ? ミケさんの昔の名前?』
ミケさんがおばぁさんの裏庭へやって来たのは、まだ僅か一年前です。
その前は、他の場所で暮らしていたのだから、別の名前があってもおかしくはありません。
『今はミケにゃ。この辺りはミィの縄張りだってこと、すっかり忘れてたにゃ。』
ミケさんは、仕方ないとばかりに、溜息をつきながら答えました。
『変な語尾までつけて……。で、何やってんだい?』
ミィさんは、さっきから何度も繰り返している質問をもう一度しました。
『お世話ににゃっているばぁちゃんを捜してここまで来たにゃ。駅まで行きたいにゃ。どっち行けばいいにゃ?』
ミケさんは、真剣な目でミィさんの質問に一気に答えました。
『……あんたも変わったねぇ。ここに居たときはいつもヤル気なさそうだったのに…。』
ミィさんは昔を思い出して、遠い目をしました。
『一番懐いていたあのじぃさんが居なくなった途端、姿を消して…。私らがどれだけ心配したと思ってんだい?』
ミィさんは再びミケさんを見詰め返します。
その視線には、厳しい口調とは裏腹に、優しさが見て取れました。
『ミィさん、そう怒らんでも…。』
ドラさんの小さな呟きに、ミィさんは『あんたもだよっ!!』と、今度は目を吊り上げてドラさんをにらみかえしました。
『…こゎ…。』
ミィさんの迫力に、他の猫たちは、身が縮み上がりました。
『…さて、駅だったね。』
ミィさんは溜息を一つ吐いて、ミケさんたちに背中を向けました。
『駅はこの路地を真っ直ぐ行って、突き当たりを左だよ。後は、壁を乗り越えて屋根伝いに行けば、真っ直ぐ行けるよ。』
『にゃっ! ありがとにゃっ!!』
ミケさんは嬉しそうにお礼を言って、再び大行進を始めました。
『ミケさん、先に行ってくれ。わしは庭に戻って待っておる。』
『ドラさん…。折角ここまで来たのに…。』
ポチさんがドラさんの背中にぽすぽすと手を置きます。
『わしはもう、お主たちの足に着いて行けん。このままでは足手まといにしかならん。』
この先、壁を飛び越え屋根を伝っていくとなると、体力の衰えたドラさんには飛び越えられない谷間も出て来るでしょう。
そのことも憂慮しての決断でした。
『解ったにゃ。おばぁさんは任せるにゃ。』
ミケさんはあごを上げて、胸を張って見せました。
『人間に気をつけるんだよ。こんなに固まって行動していたら、目立つだけだからね。』
ミィさんがドラさんの隣に立って、ミケさんたちに警告をします。
『ありがとにゃ。』
ミケさんたちは、お礼を言うと、路地の奥に向かって走り出しました。
『ドラ…だっけ?今日だけ、付き合ってやるよ。よれよれのあんたを見捨てるわけにいかないからね。』
『すまんな、ミィさん。』
ドラさんはゆっくり体を動かして、来た道を戻り始めました。
『ミーコがあんなに元気そうでびっくりしたよ。楽園ではいつもあんななのかい?』
ミィさんはドラさんの横を歩きながら、ミケさんのことを聞いてきました。
『あぁ。初めて来た時から、みんな、振り回されおるよ。……あの子はわしらとは違うようだな。』
ドラさんは、常にミケさんに感じる違和感をミィさんに打ち明けました。
昔のミケさんを知っているミィさんなら、何か知っているのではないかと思ったのです。
『私も良くは知らないんだよ。いつも寝てばかりで誰とも関わろうとはしなかったからね。』
そんなミケさんが、何故か、いつも夕方に餌を持って来る人間のおじぃさんには懐いていたようで、尻尾を振って駆け寄って行っていたと言います。
『そのおじぃさんはどうした?』
『さぁね。1年ぐらい前からここには来なくなっちまったよ。』
ミケさんが楽園に現れたのは、1年前です。
おばぁさんの連れ合いのおじぃさんが亡くなったのも1年前―。
『ふむ……。』
おじぃさんもおばぁさんに負けずの猫好きだったことを思い出し、ドラさんはもしかしてと思いました。
『何だい?急に黙り込んで。』
『いや、この広い外の世界も、以外に狭いと思って感心しただけさ。』
『…は…?』
ミィさんの頭の上に幾つものクエスチョンマークが飛び交っていましたが、ドラさんはそれ以上は何も答えずに、のそのそと歩いていきました。
『相変わらずだねぇ…。』
ミィさんは、苦笑しながらドラさんの後をゆっくりと着いて行きました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます