第三章-すれ違い
一ヶ月ほど経った、ある日。
その日、おばぁさんは浮かれていました。
朝から、家中の大掃除を始め、とても楽しそうです。
『にゃにかあったにゃ?』
ミケさんが塀の上から、楽しそうに動き回るおばぁさんを見ています。
『ミケさん、どこ行ってたの?』
ポチさんは、ミケさんの隣りに座りながら聞きました。
『昔の知り合いに、会いに行ってたにゃ。』
ポチさんはミケさんがここに来る前はどこにいたのか知りません。
この裏庭に住みついてから、ミケさんは時々、どこかへ行ってしまいます。
聞くと必ず返事は同じで、それ以上、答える気はないようなのでポチさんも追及はしません。
『ばぁちゃん、楽しそうにゃ。私と遊ぶより楽しいことがあるにゃ?』
何気に自惚れにも聞こえることをさらっと言ったミケさんに、ポチさんは苦笑します。
『
『にゃるほど、それは勝てにゃいにゃ。』
朱莉さんはおばぁさんの娘さんです。
結婚して家を出て、今は県外に住んでいます。
それでも、ことある毎に孫と一緒に帰省して来ておばぁさんを喜ばせています。
そのときのおばぁさんの顔はとても幸せそうで、ミケさんはその笑顔が大好きでした。
しかし、孫2人を連れて来るのは少し迷惑でした。
ミケさんもポチさんも、他の猫達も、子供の無邪気さの前に、ボロボロになってしまいます。
『あの2人がまた来るにゃ?』
少し警戒したミケさんに、ポチさんは嬉しそうな声で答えます。
『それが、待ち合わせは駅らしいよ。』
朱莉さんは旦那さんも含めて、車の免許を持っていませんでした。
だからいつも、駅からタクシーに乗って、やって来ます。
今度は、おばぁさんが駅までタクシーに乗っていくのかと聞くと、
『ううん、歩くみたいだよ。』
おばぁさんは行動派で、日課の散歩は雨の日以外は欠かすことがありません。
その足で3キロ以上離れた隣町の商店街までいくこともしょっちゅうです。
足腰が強く、休憩は僅か1回。
屋根のついたバス停で、自動販売機からペットボトルのお茶を買ってまったりします。
散歩のお供は、その時の気分次第で、ミケさんだったり、ポチさんだったり、時には嫌がるドラさんを強引に連れて行くこともありました。
しかし、戻ってきたドラさんはどこかしら嬉しそうで、明らかに雰囲気が違っていました。
その度にみんな、心の中で、
(素直に行けよっ!)
と突っ込みを入れていました。
そんなおばぁさんに、駅まで約2キロの道のりは、散歩には持ってこいの距離でした。
『今度は、付いて行くわけにはいかにゃいにゃ。』
いつもの散歩とは違い、帰りはずっと先。旅行について行けない以上、散歩はなしです。
『まぁ、楽しそうだからいいにゃ。』
そう言うと、ミケさんは裏庭に飛び降りて、縁側に歩いて行きました。
『ミケさんのおばぁさん想いは、ある意味、病気だよね。』
いつもおばぁさんのことばかり考えているミケさんに、ポチさんは頭が上がりません。
縁側に顔を出したミケさんに気が付いたおばぁさんは、掃除の手を止めて、ミケさんを抱えあげ、旅行に行くことを話し始めました。
翌日の朝、おばぁさんは大きな荷物を持って、一人で家を出て行きました。
裏庭には、約一週間分の餌が用意されています。
時間が来ると、自動で決められた量の餌が出てくる機械仕掛けの餌箱は、行動派のおばぁさんが、留守をするときのために野良猫達のために買ったものです。
「野良猫なんだから、必要ないかねぇ。」
と言いながらも、しっかり餌を用意してくれています。
『ここにいたら、獲物の捕り方を忘れてしまいそうだにゃ。』
ミケさんは、ポチさんに呟いきました。
『僕は裏庭産まれの、裏庭育ちだから、良く解んないや。』
『
ミケさんは、ポチさんの後頭部を猫パンチで軽く叩きました。
『痛いなぁ~。何するのさ?』
『そんにゃんじゃ、外でやっていけにゃいにゃ。』
と、腰を上げ、生垣の下を潜って外へ出ていってしまいました。
『ミケさん、どこ行くの?』
生垣の下を潜った先にあるのは、チロさんのいる隣の家の裏庭です。
以前、チロさんは裏庭で飼われていました。
しかし、ミケさんを見るたびにブルブル震えるので、飼い主が玄関前に小屋を移しました。
『あまりチロさんをからかっちゃ駄目だよ!』
ポチさんの声が、生垣の向こうから聞こえてきます。
『そんにゃことしにゃいにゃ。』
ミケさんは小さく呟くと、家の前に回って行きました。
玄関の前では、チロさんがお昼寝をしている最中でした。
その名前の由来となる舌をちろっと出した状態で気持ちよさそうに寝息を立てています。
ミケさんが近づいても、起きる様子がありません。
『……。』
無防備なチロさんの頭を見ていると、ミケさんは何だか無性に苛立ちました。
『にゃっ!』
さっきポチさんを叩いたときよりもずっと強く力を込めて、猫パンチをチロさんの頭に叩き込みました。
『ぎゃぅっ!?』
チロさんはなんとも形容しがたい声を出して目を覚まし、目の前にミケさんがいるのに気が付いて、尻尾を丸めて小屋の後ろに隠れました。
『な、何しに来たんだよ~。』
その情けない顔に、ミケさんは小さく溜息をつき、鼻を鳴らして門から出ていきました。
それから一週間、ミケさんはずっと機嫌が悪く、心配したポチさんが何を聞いても『にゃんでもにゃいにゃ。』と言って、話そうとはしませんでした。
『気にするなよ。おばぁさんがいなくて拗ねてるだけさ。』
ポチさんに話しかけてきたのは、キジトラのポケさんです。
ポケさんは、ポチさんが産まれる前日に、この裏庭で産まれた猫です。
そのため、2匹は兄弟のように育ちました。
実は、ポチさんの名前は、ポケさんの名前から決まったのでした。
最初は、ポケさんの翌日に産まれたから、ポコと名付けようとしていましたが、それではあまりに安易すぎると思い直し、ポから連想できる名前として、ポチを選んだのでした。
それはそれで安易だとは思いますが、おばぁさんはポを繋げて喜んでいたと、あとから他の猫たちに聞いて、ポチさんは少し複雑な気分でした。
ポケさんがミケさんの世話役を押し付けられてからは、2匹は一緒にいる時間が減りましたが、それでも、ミケさんがどこかへ行っているときなんかは、よく一緒に遊んでいます。
『拗ねてる? ミケさんが?』
縁側でうずくまっているミケさんは、裏庭にお尻を向けているためその表情は窺えません。
しかし、機嫌が悪そうに尻尾は上下に動いて、縁側の板をバシバシ叩いています。
『そろそろおばぁさん、帰ってくると思うからさ、機嫌なおそうよ。』
ポチさんの言葉に、ミケさんは顔だけ向けて答えます。
『ポチさんたちは、にゃにも感じにゃいの?』
ポチさんもポケさんも、何のことか解らずに首を捻ります。
『あの猫神の交代の日から、ずっと嫌にゃ予感が付きまとってるにゃ。』
ミケさんはポチさんたちに向き直って、告白します。
『ミケさんが最近、よく広場に行っていたのはその
『あの日からだもの。原因はそこしか考えられにゃいにゃ。』
ミケさんの告白に、ドラさんが重い体を起こして、ゆっくり近付いてきました。
『ミケさんも感じてたのだな。』
長い年月を感じさせるその声には、少し不安が混ざっているように感じられました。
『ドラさんも?』
裏庭でまったりしていた猫たちが、何事かと集まってきました。
おばぁさんは娘さんたちと一緒に旅行に行っています。
その間の食事は、餌箱から決まった時間に出てきます。
あと少し待てばおばぁさんも戻ってくるでしょう。
裏庭の猫たちには何も不安要素はありません。
なのに、ミケさんもドラさんも『嫌な予感がする』と言います。
『考えすぎだよ。とりあえず、おばぁさんが戻ってくるのを待と?』
ポチさんも2人に触発されて、だんだん不安になってきましたが、頭をぶるると振って不安をかき消します。
『猫神が交代してから一ヶ月経つが、いまだに一回も集会が行われておらん。』
猫神が交代すれば、就任の儀として、一週間以内に集会が開かれるのが常でした。
けれど、今回の交代では、少なくともこの裏庭の猫たちには、集会が開かれると言う知らせは来ていません。
『ドラさん…。』
せっかく不安を消そうとしているのに、ドラさんのおかげで不安が一気に膨れ上がりました。
『と、とにかく、おばぁさんが帰って来るの待とうよ?』
おばぁさんが帰ってくれば、不安もなくなるからと、ポチさんも他の猫たちも自分に言い聞かせました。
結局その日、おばぁさんが帰ってくることはありませんでした。
心配になったミケさんは、一緒にお世話になっている他の野良猫に声をかけて、おばぁさんを捜しに出掛けました。
けれどその直後、おばぁさんが、旅行から戻って来ました。ミケさんたちへのお土産を沢山持って。
おばぁさんは玄関の鍵を開け、居間に荷物を降ろすと、裏庭に面した縁側の雨戸を開け放ちました。
「ただいま。元気にしてたかい?」
おばぁさんは、猫たちが居ると思い、声を掛けましたが、裏庭にはどこにも姿が見当たりませんでした。
「おや…?」
裏庭に降りて、木の上や庭石の裏などを覗き込みますが、やはり猫たちは見当たりません。
いつもドラさんが座っている場所にも誰もいません。
「みんなでお出掛けでもしたのかね?」
その時のおばぁさんはまだ、それほど深く考えずに、食事の時間になれば、みんな戻ってくるだろうと、居間に戻って荷物の整理を始めました。
しかし、餌の時間になっても、誰も出てきません。
せっかく旅行先で買ったご当地版キャットフードを準備して、野良猫たちが戻ってくるのを待ちましたが、誰も戻ってこないので、だんだん心配になってきました。
そこで、行動派のおばぁさんは、ミケさんたちを捜しに街へ繰り出すことにしました。
さてさて、ミケさんたちとおばぁさんは、再会することが出来るのでしょうか?
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