第二章-二匹の猫

 やっと見つけたよ。

 こんなところに居たんだね。

 永い永い時間を駆け抜けて、やっと廻り逢えた。


 見た目は変わっていても、すぐに解ったよ。


 もう一度、その手で触れて。

 もう一度、その腕に抱き締めて。

 ずっとずっと願い続けていたの。


 その優しい声で名前を呼んで。

 その温かい瞳で見詰めて。


 もう、離れないよ。


 今度こそ、ずっと傍にいるからね。




 ミケさんは、尻尾をぱたぱたと地面に打ちつけながら、道端から広場の中を眺めていました。

 ここから見えるだけでも、広場には10匹の猫がいます。

 涼やかな風に吹かれ、ぽかぽかの陽射しに包まれて、とても気持ちがよさそうです。


 『こんなとこに居たの、ミケさん。』


 振り向くと、ポチさんが近付いてきています。


 『探しに来たにゃ?』

 『何してんの?』


 ポチさんは、ミケさんの隣に腰を下ろします。


 『この間から、何か変だよ。』


 シロさんが来たあの日から、ミケさんは何だか少しボーっとしているようでした。


 『むにゃ騒ぎがするにゃ…。嫌にゃ感じにゃ…。』


 あの日感じた胸騒ぎが、日に日に大きくなっていっているようで、ミケさんは落ち着きを無くしていました。


 『考えすぎだよ。ミケさんは心配性だよね。』

 『ひとのこと言えにゃいにゃ。』


 ミケさんがあの裏庭に来たばかりの頃、野良猫達はおじぃさんを亡くして落ち込んでいるおばぁさんのことが心配で、みんな、元気がありませんでした。


 『あの時は、こっちも気が滅入りそうだったにゃ。』


 ミケさんは後ろ足で耳の後ろを掻きながら言いました。


 『ミケさんが来て、雰囲気ぶち壊したんだよね。おばぁさんもミケさんに振り回されて…。まぁ、そのお陰でおばぁさんが元気になったんだから、良かったけどね。』


 ミケさんは、おじぃさんが亡くなってから一週間ほどで、突然、裏庭にやってきました。



 その日も今日と同じく、良く晴れた風の涼しい日でしたが、裏庭の猫たちは、あまり出てこなくなったおばぁさんを心配して、気が気ではありませんでした。

 そんな時、一匹の三毛猫が裏門の隙間から、ヒョコッと顔を覗かせました。

 その三毛猫は周囲を見渡すと、何食わぬ顔で裏庭に入ってきました。

 みんなが見る中で、三毛猫は縁側に近付いて、ミャアミャア鳴きはじめました。


 『こんにちは~。ばぁちゃんいる~?』


 まるで近所の子供が訪ねて来たような軽さで、その三毛猫はおばぁさんを呼び出そうとしていました。


 『お前、誰だ? 何しに来た?』


 いつもは何事にも感心なさそうなドラさんが、珍しく一番に三毛猫に話しかけました。

 大きな体と威厳を持ったその黒猫に、三毛猫は少し怯んだようでしたが、負けじとドラさんを睨み返します。


 『ばぁちゃんに会いに来た。名前はばぁちゃんに付けて貰う。』


 人と関わる野良猫にとって、名前とは親からつけられたものではありません。

 人につけられたものが、その野良猫の名前となります。

 この裏庭は、基本的に、出入り自由です。

 誰が入ってきて、誰が出ていこうと関係ありません。

 それ故、裏庭のメンバーは流動的で、良く見覚えのない猫が紛れていることがあります。

 年老いたドラさんは、そんな知らない猫たちと仲良くするのが面倒で、初対面の猫に対して話しかけることは、まずありませんでした。

 そんなドラさんが話し掛けたことで、他の猫たちはすんなり三毛猫を受け入れたのです。


 『僕は、ポチだよ。よろしくね。』


 茶トラの猫が三毛猫に親しげに接してきました。


 『変な名前…。』


 まるで犬のような名前に、三毛猫は少し引きます。


 『おばぁさんが付けてくれた名前だよ。』


 『文句あるか?』と、言わんばかりに、ポチさんは胸を張ります。


 『…何か、心配になってきた……。』


 三毛猫はおばぁさんのネーミングセンスを疑いはじめました。


 『それより、何しに来たの?』


 ポチさんは、ドラさんがのっしのっしと大きな体を揺らして、いつもの定位置である、燈篭とうろうの横の石の上に戻っていくのを見ながら、三毛猫に聞きました。


 『ここなら、楽に暮らせるからって、ある人に言われて来たんだけど。』


 そう言って三毛猫は再び、家の中に向かって鳴き始めました。


 『無駄だよ。おばぁさんは今、内に籠もっちゃってるんだ。』


 おじぃさんが亡くなったことで、おばぁさんは落ち込んでいるのだと、ポチさんは、説明しました。


 『食事の時間以外は出て来ないよ。』


 三毛猫はポチさんをチラッと横目で見ましたが、構わず縁側の上に乗り、障子のはりをカリカリかぎり始めました。

 すると、障子がそっと開きました。


 「誰だい、障子をかぎっているのは?」


 おばぁさんの声は少し疲れているようで、暗く沈んでいました。

 すかさず三毛猫は自分の存在を主張するために、声を上げておばぁさんの足にすり寄ります。


 「おやおや、新入りさんだね。君は三毛猫だし、女の子だから、ミケさんだね。」


 親しげにすり寄って来る三毛猫を抱えあげ、おばぁさんは安直に名前を決めました。


 『"ミケさん"は、この辺りには少なくともあと二匹いるよ。』


 ポチさんが、縁側に前足を置いて、突っ込みを入れましたが、当の三毛猫は気に入っているようだし、"ポチ"よりはましだろうとミケさんの目が語っていたので、引き下がりました。

 その後、ミケさんが一旦、家の中に戻ったおばぁさんを、強引に裏庭に呼び出すので、他の猫達と大喧嘩になりました。

 その喧嘩は、隣の家に住んでいる気の弱い柴犬のチロさんまで巻き込み、おばぁさんは落ち込んでいる暇がなくなりました。

 喧嘩の仲裁をしたのは、ドラさんです。

 ドラさんには、ミケさんの意図が解っていたのです。

 不器用ながらも、大騒ぎをすることでおばぁさんを元気付けようとしていることに気が付いたドラさんは、ミケさんに自己紹介をしました。

 裏庭の主的存在のドラさんが自分から名乗ったことにより、他の猫達はミケさんに一目置くようになりました。

 やがてミケさんは、おばぁさんのお気に入りとなり、今では一番に名前を呼ばれるまでになりました。



 『チロさんは、今でもミケさんが大の苦手らしいよ。』


 ポチさんは、『かわいそうに。』と、小声で呟きました。


 『犬のくせに弱すぎるにゃ。あれじゃ番犬として役に立たにゃいにゃ。』


 ミケさんは、広場の奥に立っている大きな木を見上げながら、チロさんを酷評しました。


 『…どうしたのさ、何か気になることでもあるの?』


 最初に振り向いて以降、全く自分の方を見ようとしないミケさんに、ポチさんが首を捻ります。


 『別に、にゃんでもにゃいにゃ…。』


 ミケさんはちろっとポチさんを見て、腰を浮かせました。

 ミケさんの動きに、広場の中で和んでいた猫達が反応して、顔を上げます。

 ここは猫の集会所です。

 集会を統べる猫の縄張り内に住む猫は、みんな出入り自由です。

 おばぁさんの裏庭も縄張りに含まれています。

 そこに住みついているミケさんも、当然、この広場への出入りは自由です。

 なのに、今、広場の猫達は、明らかにミケさんを警戒しています。


 『? ミケさん、何かしたの?』

 『…別に、にゃんでもにゃいにゃ。』


 ミケさんは同じ言葉を繰り返して、踵を返して歩き出しました。

 ポチさんもミケさんの後に続きます。


 『ねぇ、ミケさん?』

 『にゃんにゃ?』

 『"にゃ"、酷くなってるよ…。』

 『にゃっ!?』


 ポチさんの指摘に、ミケさんは大袈裟に驚いて見せました。



 そんな二匹の後ろ姿を、一匹の黒い子猫が、大きな木の麓にある、小さな社の屋根の上から見詰めています。


 『……み、け…。』


 二匹を見詰める子猫の両目が、怪しく紫色に光りました。

 やがて、二匹の姿が見えなくなると、子猫は社の屋根から飛び降り、大きな木に向かってジャンプしました。

 不思議なことに、子猫は木にぶつかることなく、まるでその木に吸い込まれるように消えていきました。

 あれだけ広場にいた猫達も、いつの間にか姿を消していました。








 やっと見つけたよ。

 こんなところに居たんだね。

 永い永い時間を駆け抜けて、やっと廻り逢えた。


 見た目は変わっていても、すぐに解ったよ。


 もう一度、その手で触れて。

 もう一度、その腕に抱き締めて。

 ずっとずっと願い続けていたの。


 その優しい声で名前を呼んで。

 その温かい瞳で見詰めて。


 もう、離れないよ。


 今度こそ、ずっと傍にいるからね。




 涼やかな風が、誰も居なくなった広場を、淋しげに吹き抜けていきました。





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