第一章-憩いの場所

 穏やかに晴れた日の夕方。

 この庭では、多くの猫たちがくつろいでいました。

 猫たちの首にはどれも首輪はありません。

 草も木も伸び放題で、とても整備されているとはいえません。

 それでも猫たちは集まってきます。



 縁側に一人のおばぁさんが出てきました。

 おばぁさんとはいっても、まだまだ元気なようで、腰もまだ曲がってはいません。

 豊かな髪には、黒に混ざって白髪が少し目立つ程度です。


 「ミケさんや、ミケさんや。」


 おばぁさんの呼びかけに応えて、一匹の三毛猫が木の枝から飛び降りてきました。


 「ミャア。」


 ミケさんはその名のとおり三毛猫で、白を基調に、黒とオレンジの毛がまだらに体を覆っています。

 チャームポイントは、ピンクの鼻の上にある、2つの小さな黒い斑点でしょうか。

 まるでほくろのようにも見えて、少し間抜けです。


 「おいで、ミケさん。」


 おばぁさんは縁側に腰を下ろし、膝の上にミケさんを誘います。

 ミケさんは少しもためらうことなく、おばぁさんの膝の上に飛び乗って、おばぁさんの頬を舐めます。


 「おぉ、よしよし、今日も可愛いのぅ。」


 ミケさんは、おばぁさんのしわがれた手に嫌がる素振りを見せるどころか、喉をゴロゴロ鳴らして、すり寄っていきます。

 これを見ていた他の猫たちも、おばぁさんの隣に飛び乗って体をすり寄せます。

 中には、ミケさんを押しのけて、おばぁさんの膝の上を占領しようとする者までいました。


 「ほら、ポチさん。少し落ちなさい。」


 おばぁさんは少し困ったような顔で、茶トラの猫を抱えあげます。

 ポチと、まるで犬のような名前を付けられている猫は、抱えあげられて近付いたおばぁさんの鼻の頭に手を伸ばします。

 柔らかな肉球が、ぽすぽすとおばぁさんの鼻の頭に当たります。


 「にゃっ、にゃっ!」


 ポチさんは短く声を発しながら、おばぁさんに愛想を振りまきます。


 「み~~。」


 ミケさんは大好きなおばぁさんを横取りされて、少しすねたような声を出しました。

 そんなおばぁさんの足元に、体の大きな白い猫がすり寄ってきました。


 「おや、シロさんじゃないかい。久しぶりだねぇ。元気にしてたかい?」


 おばぁさんはポチさんを、ミケさんの隣に下ろして、久しぶりに会いに来てくれたシロさんの頭を撫でます。



 『誰?』


 ミケさんは、その白猫を見るのは初めてでした。


 『シロさん。ミケさんがここに来る3ヶ月くらい前に、出て行った猫だよ。』


 ポチさんが親切に教えてあげます。

 この庭にいる猫はみんな、野良猫です。

 このおばぁさんが飼っている訳ではありません。

 当然、出るも入るも自由なのです。


 『ただいまにゃ。』


 シロさんは、頭を撫でるおばぁさんの手をペロッとなめました。

 『にゃ?』

 『にゃ…。』


 ミケさんとポチさんは、シロさんの語尾に反応しました。


 『にゃ?』


 ミケさんがポチさんに問い掛けます。


 『前はつけてなかったよ。』

 『じゃあ、ここを出てからつけだした…と。』


 ポチさんが『たぶん。』首を縦に振ります。

 二匹の会話は、当然、目の前にいるシロさんにも聞こえているはずです。

 でもシロさんは、無視しておばぁさんの手の感触を楽しみます。

 


 その時、家の中から、電話のベルの音が鳴り響きました。

 この家には、未だにダイヤル式の黒電話が、置かれています。

 りーん、りーん、と言うその音は、何処となく虫の泣き声にも似ていて、ここに来たばかりのミケさんは、何度も虫を探して庭の中を歩き回って、他の猫たちに笑われたのを思い出させます。


 『これは虫の声じゃないから。』


 ミケさんは自分に言い聞かせるように小さく呟きました。


 『まだ、引きずっているの?』


 もう1年も前のことを、未だに引きずっているミケさんに、ポチさんは呆れた顔を見せます。

 ミケさんとポチさんは、おばぁさんの膝の上から飛び降ります。


 「おや、どうしたんだい?」


 おばぁさんは、ミケさんとポチさんを見ます。

 ミケさんがおばぁさんの服の裾を加えて、家の中に誘います。

 おばぁさんは電話がなっていることに、やっと気がつきました。


 「あらあら、ありがとうねミケさんや。」


 おばぁさんは、ミケさんの頭をさすると、急いで家の中に入っていきました。

 まもなく、電話のペルが鳴り止みます。

 かすかに聞こえてくるおばぁさんの声は、嬉しそうに弾んでいるようです。

 ミケさんとポチさんは縁側から下に降りて、シロさんの前に座ります。

 他の猫たちも、懐かしそうにシロさんの側に集まってきます。


 『…誰にゃ…?』


 シロさんは、見覚えのないミケさんに少し警戒します。

 おばぁさんの膝の上に乗っていたことも、気に入りません。


 『……にゃ…?』


 ミケさんはシロさんの問い掛けには答えず、さっきから気になっている語尾を繰り返します。


 『にゃ。』


 シロさんも語尾だけで受けます。


 『にゃにゃ…?』

 『にゃ~…。』




 『にゃ?』


 少し間をおいて、ミケさんが再び語尾だけで問い掛けます。

 その態度についにシロさんが切れました。


 『馬鹿にしてるのかにゃぁ~っ!?』


 今にも襲い掛からんばかりの勢いに、ミケさんは少し慌てます。


 『してない、してない。ちょっとからかっただけじゃん。』

 『まぁまぁ、二人して何してんの?』


 じっと見ていたポチさんが仲裁に入ります。


 『だって、ポチさん!こいつ、私を馬鹿にしてるにゃっ!!』

 『にゃ?』

 『~ミケさんっ!!』


 まだからかおうとするミケさんに、ポチさんは尻尾で頭を叩く。


 『尻尾で叩くなんてひどいにゃ、ポチさん。』


 ミケさんが頭を押さえて、ポチさんを非難します。


 『にゃっ!?』


 ミケさんの語尾に敏感に反応したシロさんが、更に額に青筋を立ててミケさんに迫ろうとします。


 『ミケさんっ、もうやめなってっ!!』


 ポチさんはシロさんを押さえるのでやっとです。


 『なぁ~にやってる?』


 そこへ、ポチさんを上からバシッと押さえつけた猫がいます。

 その猫は異様に威圧感を持っており、ミケさんもシロさんも、縮こまってしまいました。

 『ドラさん、な…何で僕が……。』


 ドラさんに押さえつけられたままのポチさんが、苦しそうな声を出して聞きます。


 『単に押さえやすかっただけだ。』


 さらっと答えるドラさんに、ポチさんが『ひ、ひどい…。』と呟いて、白目を剥きます。


 『ポチさんっ!?』


 ミケさんが、ポチさんの顔を肉球でぺちぺち叩きます。


 『気を失ってるにゃ。ドラさん、やり過ぎにゃ。』


 さすがにシロさんは、ドラさんを睨みます。

 ドラさんは真っ黒な毛並みを持つ、この庭のボス猫のような存在です。

 ボスではありませんが、この裏庭を昔から守り続けています。

 その年は他の猫よりも長く、噂では20年以上、生き続けている生き神様とも言われています。


 『すまん。最近どうも、手加減ができなくなってな。』


 ポチさんを押さえている手をそっと上に持ち上げます。

 解放されたポチさんは、しかしやはり動きません。


 『…死んだにゃ?』


 シロさんが伸びているポチさんの頭を右前足でチョンチョンつつきます。


 『し……死んで、ない、にゃぁ…。』


 目を覚ましたポチさんが、ふらつきながら立ち上がります。

 立ち上がったポチさんは体をブルルと震わせて、伸びをしました。


 『…少し背骨がいたい…。』

 『折れてないなら、大丈夫でしょ?』


 元凶のくせに、いけしゃあしゃあとミケさんは言い放ちます。


 『……誰の所為せいだよ…。』


 ポチさんはミケさんを睨みつけます。


 『そんなことより、一体何を騒いでいた?』


 ドラさんに「そんなこと」扱いされて、ポチさんはショックを受けます。


 『そ、それが、シロさんが語尾に"にゃ"を付けてて…。』


 ショックは受けたものの、逆らっても仕方ないので、事の顛末をかいつまんで話します。



 『人間には、我々の言葉は"にゃあにゃあ"としか伝わらんのだ。何故、"にゃ"をつける?』


 話を聞いたドラさんも、シロさんが"にゃ"をつける理由が解らずに、首を捻ります。


 『生きる知恵にゃ。ここを出たら、食事は狩りをしなきゃいけないにゃ。』


 シロさんは狩りをする真似をして見せます。


 『いつも上手くいけばいいけど、そうじゃないときは悲惨にゃ。そこで、人に食べ物を分けてもらう為に、語尾に"にゃ"をつけるにゃ。』

 『それだけでもらえるのか?』


 ドラさんがシロさんに顔を近づけます。


 『そうにゃ。最後に"にゃ"を付け足すだけで人間はいちころにゃ。』


 シロさんが胸を張って答えます。


 『そんなもんかねぇ…。』


 ミケさんが、うさんくさげに呟いた。


 『うそと思うなら、試して見るにゃ。』


 ミケさんをジロッと睨んだあと、伸びをして、きびすを返しました。


 『帰るの?』


 ポチさんが、門に向かって歩き出したシロさんに問い掛けます。


 『何も言わないで出ていったら、おばぁさんがまた寂しがるよ。』

 『大丈夫にゃ。気に食わんが、おばぁさんにはお前らがいるにゃ。』


 シロさんはミケさんたちをちらっと見て、微笑みました。

 そのまま、夕日で赤く染まった門の外へ出て行きました。


 『…結構、さっぱりした奴にゃ。』

 『にゃっ!?』


 ポチさんは、ミケさんの語尾に"にゃ"がついていて少し驚きました。


 『ポチさんは真似しないほうがいいにゃ。これ、癖になるに……にゃるから。』


 ミケさんは元に戻そうと意識して、かえっておかしな口調になっていきました。


 「おや、シロさんは行ってしまったのかい?仕方ないねぇ。」


 あばぁさんは、縁側に戻ってくると、シロさんがいないことに気がつき、少し寂しそうに呟きました。


 『ばぁちゃんを悲しませたらいけにゃいにゃっ!』


 ミケさんは急いでおばぁさんの足元にすり寄っていきました。


 『ミケさん、言葉、どんどんおかしくなっていってるよ。』


 ミケさんのあとに続いて、ポチさんもおばぁさんの足にすり寄ります。


 『ふぎゃっ!!』


 そのポチさんの背中に重いものが圧し掛かりました。

 見ると、それはドラさんでした。

 『………ド、ラさん?何してんの?』

 『に゛ゃ…。』


 ドラさんはそれだけ言って、更にポチさんに体重をかけます。


 「あらあら、ドラさん、そんなことしてはいけませんよ。」


 おばぁさんがドラさんを抱え上げると、ドラさんは喉をゴロゴロならしておばぁさんに甘えます。


 『にゃるほど、それが狙いにゃ…。』


 普段は興味ないとばかりに、なかなか近付いて来ないドラさんを抱え上げられ、おばぁさんは嬉しそうです。


 『はぁ、仕方にゃいにゃ…。』


 ミケさんは、ドラさんにその場を譲ることにしました。


 『ねぇ、ミケさん。』


 ポチさんがミケさんの隣に来て、顔を覗き込んできました。


 『にゃんにゃ?』

 『僕、ドラさんに嫌われてるのかな?』


 涙目になって問い掛けて来るポチさんが、ミケさんは少し哀れに思えました。


 『…そ、そんにゃことにゃいでしょ?』


 ミケさんは目を逸らして、逃げるように塀の上に飛び乗って外を見ました。

 外にはまだ、シロさんの後姿が見えています。


 『とろこでミケさん?』


 ミケさんの隣に飛び乗ったポチさんは、一つ指摘します。


 『語尾だけでなく、"な"まで"にゃ"になってるよ。気付いている?』

 『にゃっ!?』


 ビックリするミケさんに、ポチさんは小さく溜息をつきました。


 『にゃにぬねの……。にゃににゅ…っ!にゃ、に、に……。』


 ミケさんは"な"を取り戻そうと発声を繰り返します。

 ポチさんは小さく首を振って、塀から庭に飛び降りようとしました。



 その時、一陣の風が拭き抜けました。



 その風には、低く低く遠くまで響く、まるで地響きのような音が混ざっていました。


 『にゃ…にゃんにゃっ!?』

 『…これは……。』


 突然のことに、ミケさんは驚きますが、ポチさんには何やら、心当たりがあるようです。


 『ドラさん、これってまさか…。』


 ポチさんは塀から飛び降り、おばぁさんの腕の中で、真剣な顔をして空を眺めているドラさんを見上げました。


 『……猫神さまの、交代だな。』


 ボソッと言ったその言葉に、ミケさんは風の吹いてきたほうを見ました。


 『この先には、集会所が…。』


 塀の上からなら、猫の集会所のある広場に立つ、大きな大きな樹の頭が見えます。

 その樹には、精霊が宿るとして、人間が変な縄をつけて祭っています。


 『………。』


 何だか胸騒ぎがし始めたミケさんは、それを振り払うために、大好きなおばぁさんの足にすり寄っていきました。





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