第34話 ジンライ

 アガルタに戻り、集められるだけの村人を集める。酔っ払いも起きていてぼーっと丸太に座っていたから手伝ってもらった。

「みんな、逃げて」

「ハク様、一体何が?」

 代表して移住してきた鬼族の中で一番年配の男が彼女に問いかける。

「天が変わる」

「天が……」

 老年の男はわなわなと震え出し、崩れ落ちるようにして尻もちをつく。

 そして、絞り出すようにしわがれた声を出す。

「ジンライ……」

「ジンライ! 誠ですか!?」

「ハク様……」

 表情を変えぬままコクンと頷くハク。

 何のこっちゃ、全然ついていけねえぞ。そうだ、こんな時こそ解説役に解説を頼もうじゃないか。

 昼行燈とはまさに彼のこと、といった感じだった解説役マルチェロの顔がすううっと引き締まり、顎髭を撫でていた。

 苦虫をかみつぶしたように渋面を浮かべ、小さく息を吐いたところで俺から彼に尋ねる。

「マルチェロ、ジンライって?」

「分からん」

「分からないのかよ! てっきり分かっていてその顔だと思ったよ」

「分からんが、やべえ感じだぞ」

 その何が起こってるか分からんが、なんだかやべえってのを聞かされても反応に困るぞ。

 まだ酔いが回ってるんじゃないか、この人。

 誰か、誰かあ。そんな俺に助け船が。

「あ、そっか、ティルくんはヒジュラから来たんじゃなかった」

「天とかジンライとかよくわからなくて」

「ヒジュラではわらべ歌にもなっている伝説なんだよ」

「おお、面白そう。聞かせてもらっていい?」

 もちろん、とシュシが笑顔で語り始める。

 

 雲一つない青空、太陽の光をたっぷり受けた小麦畑は黄金の穂を揺らし収穫の時をいまかいまかと待っていた。

 畑の回りで走りまわる子供たち。そんな彼らを微笑ましく見守りながら穂の様子を確かめる男。

 その時、突如、天が光を放つ。

『天が変わる』

 男は茫然と呟いた。

 青空は黄金に染まり、強い輝きを放つと地面がえぐれ、畑も、家も、全て灰と化す。

 里は壊滅し、山を越えた先の村も、その先の村も、全て、全て、壊滅した。

 山も川も形を変え、人では叶わぬ魔物でさえも息絶える。

 そして、天に光だけが残った。

 その光の名はジンライ。

 天にジンライ。地は生きとし生けるものが息絶える。


「恐ろしい。そのジンライって奴はどうやって退けるんだろ……」

「白竜様が七日七晩ジンライと戦い、封印してくれたんだよ」

「封印したはずのジンライが復活しようとしている、ってことなのかな」

「うん、ハク様が『天が変わる』と言った」

 『天が変わる』はハクと鬼族の人の間でジンライ再来のキーワードだった。

 彼女はジンライが封印のくびきを脱することを予見できる巫女のような人と考えればしっくりくる。

 あの影のように見える山にジンライがいるとしたら、アガルタはもちろん、鬼族の里ヒジュラもフェンリルのいた森、グラゴスの街までも飲み込むかもしれない。

「ジンライは一体どれくらい前に封印されたんだろう」

 フェンリルのいた森の巨木を思い出し、ふとそんな疑問が浮かぶ。

「千年以上前だろうな」

 独り言のつもりだったのだが、マルチェロが反応した。

 あれだけの巨木に成長するまでには千年単位でかかるってのは頷ける。

 鬼族は遥か昔からジンライの伝説を語り継いでいたのか。

「そうだ、シュシ。長雨を予想したのはハクだけじゃなく、ヒジュラの星読みもだったよね」

「星読み様は大災害は『見える』けど、ジンライは雨や地震じゃないから」

 なるほど、理解した。

 ジンライを予見できるのはハクのみ。彼女が予見しなかったら、ジンライが現れるその時まで対策を打つことができなかったってわけか。

 だいたいの状況が理解できたぞ。

「不幸中の幸い……か」

「改めて聞いてもやべえもんはやべえな。対策は逃げる、だけか?」

「いや、ジンライを撃退する、って手もある」

「いくらお前さんの付与術でも、ジンライがどんな奴なのか分からねえとどうにできねえだろ。対策を打つには敵を観察しねえと」

 どうやら、マルチェロの酔いが覚めたようだ。まともなことを言っている。

 彼とて相手を知らずにはどうにもこうにもいかないと俺が重々承知しているってことは分かっている。

 俺の焦りを察し、落ち着けるために言ってくれたのだと思う。

 敵を知り己を知れば百戦危うからず。俺の大好きな名言の一つだ。今のところ分かっているのはジンライが生物だと言うことだけ。

 あ、空を飛ぶことも判明しているな。空を飛ぶ相手を仕留めるには降りて来たところを叩くか、筋力を強化して岩などを投げるか。

 といった感じに相手の特徴によって対処方法が変わる。ジンライが現れるまでに詳細情報を知ることは難しいと思う。

 何しろ千年前に封印されたらしい生物だから、実物を見た人がいない。

「うーん、でもなあ……」

 ハクの横顔をチラリと見て、視線を落とす。

 俺の動きを見たマルチェロがぐいっと俺の腕を引く。そのままズンズンとハクたちから離れ、声を潜め俺に耳打ちする。

「お前さんのことだ、最善と思える手が浮かんだんだろ」

「ま、まあ……俺なりに、だけど」

「だが、そいつがお前さんにとって都合が悪い、ってんだろう」

「その通り、すげえな」

 ガハハと笑い、俺の背中をバシバシと叩くご機嫌な様子のマルチェロをジトっと恨めしそうに見上げた。

 すまん、すまん、と悪びれない彼に自分の考えを伝える。

 まずはクーンの機動力を生かし、逃げ込める場所を探す。洞窟の中とか周囲が壁で囲まれているような場所がベストだ。

 そんでしばらくの間、籠城できるように準備を進める。壁という壁は付与術で強化し維持すれば、凌げるはず。

 これで凌げなかったら、諦めるしかない。

 こうして退避場所を確保しつつ、アルティメットで身体能力強化してジンライの偵察を行い、奴の特徴を探る。

「ほう、てっきりジンライの行動範囲外まで村人を連れて逃げると思ったが」

「それは時間次第だなあ。籠城するなら俺とクーンだけの方がやり易い」

「俺も混ぜろよな」

「ははは、だけど、この案は無しだよ」

 最善と頭で分かっていても、実行に移す手ではない。

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