第32話 麻袋

「おはよう、ハク」

「うん」

 戻ってから一番驚いたことは鬼族の人たちの家があったことではなく、彼女が毎朝俺と同じくらいの時間に起きてくることだった。

 栄養ドリンク的な薬を買ってきたのだけど、今の彼女には必要なさそうだ。

 残念かって? いやいや、逆だよ。薬を使うこともなく元気になってくれた方が嬉しいに決ってる。

 そうそう、今日はハクと編み物をする約束をしていたんだった。

 ん? 誰か足らないんじゃあ? いや、クーンはちゃんと俺の傍にいるぞ。わおわおしてる。

 もう一人いたような……あ、あのおっさんはまだ寝てるさ。鬼族の人からお酒を頂いたとかで、飲んだくれて楽しい休日を過ごしているんじゃないかな、うん。

「朝ごはんを一緒に食べてからハクの家に行っていいかな?」

「うん」

 小麦は育てていて、米は栽培さえしていないのでパンも炊いた米もない。

 炭水化物ががっつり取れないのは寂しいけど、そのうちパンは食べられるようになりそうだから今しばらくの我慢だ。

 鬼族の人たちから分けてもらったウーロン茶そっくりのお茶にイノシシ肉のハム、あとはハムに挟む香草類である。

 コショウを少し振って食べるとこれがまたシンプルながらも美味しいんだよね。

 ハムの作り方を教えてくれたのも鬼族の人たちであることは言うまでもない。

 調味料と少しばかりの手間をかけると、これほどおいしくなるんだよな。

 初期の頃の食べ物は酷かった。あの時は食べること、が第一目標だったので仕方ない、仕方ない。しかしまあ、もう一度やれと言われたら辛い。

 人間、贅沢を覚えるともう戻れなくなってしまうんだよ。とはいえ、いざとなればどれだけおいしくないご飯でも生きることを優先するけどね。

 行き先の選択から自給自足生活がベストだった事情があったけど、アガルタに来て生活したことは俺にとってかけがえのない経験になった。

 裕福な家に生まれたからこそ、鬱々とした気持ちで日々を過ごしていたのだけど、ここにきてからはそんな気持ちは全て吹き飛んだよ。

 落ち着いてきたら落ち着いてきたで、家族のことが気になってくる。ほんと都合のいい奴だな、俺って。

「おいしかった。ごちそうさま」

「うん」

 ハクはコクコク頷くも、食べている間ピクリとも表情を動かしていない。基本的に彼女は表情を表に出さないし、声色に出るのもマレのマレである。

 だからといって感情がないわけじゃないし、口数も少ないけど彼女と二人で接していても居心地は悪くなることはない。

 むしろ逆だ。言葉や表情が乏しくても、彼女の気持ちは伝わってくる。彼女は穏やかでとても優しい人なんだってことだって分かってるさ。

 自分を護らず、俺に逃げろと言ったり、なんてこともあったし。

 利他的……とは違うと思う。アガルタから離れられない理由があるのかも。

 ちょっと話が逸れてしまったけど、言葉数少ない彼女に根掘り葉掘り聞くつもりもないので謎が解けることは今後ないかもしれない。

 それはそれでいい。

 

 朝食後はそのままハクの家にお邪魔した。

 ハクの家には小さな文机が一つある。領都ハクロディアでは机と椅子がセットになったものが一般的であったが、ハクの家にある文机は地べたに座ってちょうどいい高さのものになっている。

 ハクのサイズに合わせているから、俺が座ってもちょうどいい高さだった。

 文机にはぐるぐるとロールに巻き付けた麻糸と、編針のみ置いている。編針は鬼族の人たちが持ち込んでくれたもので、麻糸はアガルタで作ったものだ。

 知らなかったのだけど、近くに麻の群生地があるらしく、それらを採集して作ってくれた。もちろん、村の人が。

「麻袋を作りたいなと思ってて」

「袋?」

「大きさの違う袋を作りたくて」

 コクコクと頷いたハクはさっそく編針を手に取る。

 麻糸はたんまりとあるぞ。

 俺も彼女の真似をして編針を掴むが、どうやりゃいいんだこれ。

「ティル?」

「ハクは編み方分かる?」

「見てて」

「おう」

 葦の籠が作れたので、麻袋もなんとかなるんじゃね、と思っていたがどうやったら編めるのかを模索するに時間がかかりそうだった。

 あああ、うまくいかねええ、ってのを繰り返すもの嫌いじゃあない。しかし、ハクが分かるというなら縋りつきたい現金な俺である。

 やり方不明なのにハクを誘ったのは彼女に失礼だろう、ということもあるが、事前に彼女には俺が編み物をやることは初めてだと伝えてあった。

 その時の彼女はといえば、コクコクと頷くいつもの返答だったわけで。

 さてさて、彼女の手元に集中、集中、だ。

 麻糸を編針に通して、ふむふむ。ほうほう。

 ……もう分からなくなった。

「ハク、ストップ、ストップ」

 もう一回最初からやってもらっても、すぐに追いきれなくなってしまう。

 そこで、ハクと横に並んで座り俺が編針を持ち彼女に見てもらうことにした。

「こう」

 彼女は小さな手を俺の手の甲にあて、間違っているところを教えてくれる。

 俺とハクがもう少し大きければ、恋人の仲睦まじい様子だったかもしれないけど、俺たちじゃ微笑ましいがいいところ。

 実践しながら教えてもらうと理解が進んだ。

「おお、こんなもんか、ありがとう、ハク」

 よおっし、小さな麻袋が完成したぞお。これでコツを掴めた俺は次の袋作りに取り掛かる。

 麻袋はいくつあっても困らない。麻紐を快く提供してくれた鬼族の人に感謝。

 ハクは俺の三倍以上の速度で編み編みしていた。

「さっそく麻袋を使いに出かけない?」

「ん?」

「クーンの散歩も兼ねて渓谷の外で採集や狩をしようかなって」

「いない」

 いない? とはどういった意味なのだろう。

 いない、いない……あぶない? が一字抜けただけ?

「クーンと俺がしっかり護るから安心して」

 コテンと首を傾げるハク。ここ最近、彼女の体調は良くなってきていたので散歩をするのも良いかなと思ったんだよね。

 どうしたものか、と後ろ頭を撫でていたらおもむろにハクが立ち上がる。

 彼女の動きに合わせて伏せをしていたクーンもむくりと起き上がり、はっはと尻尾を振った。

「ティル?」

「い、行こうか」

 ま、まあいいか。しっかりと周囲に警戒しつつ採集や狩に勤しむとしよう。

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