第20話 雨が降る
「うあ」
振り向いた目と鼻の先にハクがいてビックリした。彼女、全く気配を感じさせずに現れるんだよね。
踵をあげた彼女と俺の目線は同じで、唇と唇がくっつきそうな距離……さすがに子供な見た目の彼女に対してドキッとしたりときめりたりはしないものの近すぎて気まずい。
彼女が無表情なので尚のこと。
俺の頭の中など露知らぬ彼女がだしぬけに思わぬことを口にした。
「離れた方がいい」
「離れる?」
「雨が降る」
「雨が降るから渓谷から退避した方がいいってこと?」
彼女の表情は変わらない。相変わらずいつもの無表情のままで、説明も短く何を言いたいのかイマイチつかみきれない。
退避した方がいい、となると結構深刻な状況を予想しているってことか。
「小屋だと雨に耐えられなさそうってことかな?」
ふるふると首を振る彼女。
ますますよく分からなくなってきた。暴風雨ってわけでもないのか……?
万が一のために備えて土嚢とかを準備したいところだが、袋が用意できないので対策をしようにもどうにもこうにも。
幸い食糧のストックはあるから激しい雨で外に出ることが難しくなってもなんとかなる。
「雨はどれくらい続くの?」
「十日」
思ったより長いね。
雨が降るまでにもう少し食糧を集めておくことにしよう。
食糧より前に準備しなきゃならないことがることに気が付いた。まずはそっちからだ。
そいつはなのかというと、燃やすものである。IHはもちろんガスコンロもないので、お湯を沸かすにしても枝やらの燃料が必要だ。
今日も雲一つない晴天だというのに、ハクが雨というので雨が降ることを疑わないのか?
正直なところ、確実に雨が降ると思っている。何をもって彼女の言葉を信じるのか、と言われると難しい。
彼女は謎ばかりだ。渓谷で一人で住んでいたり、クーンの進化について知っていたり、気配を感じさせず後ろに立っていたり、と只者じゃない事実がいくつもある。
種族も分からないし、彼女の語りもポツポツなのでどうにもつかめないままなんだよね。
そんな彼女が雨だから退避しろと忠告してくるくらいなら、余程やべえ雨なんじゃないかって。
「うーん、悩ましいな。薪は必須として丸太を積み上げるなりして家の周りにおいとく、とかした方がいいかな……」
「わお」
きょとんとするクーンを見つめ、先ほどの彼女とのやり取りを思い出す。
俺は「小屋だと雨に耐えられなさそうってことかな?」と彼女に聞くと、首を横に振っていたよな。
ハクの言葉からやべえ雨が降るから対策をした方がいいのかどうしようかと首を捻っていた。
ところがだ。彼女は手作りで決して頑丈とはいえない小屋は問題ないと答えた。
「だったら、そのままでいいか」
なあんだ。案外この小屋、頑丈に作ることができていたのだな。マルチェロがいなかったらどうなっていたか、だよ、ほんと。
それじゃあ、憂いもなくなったことだし、当初の予定通りでいくとしようか。
「よっし、薪を作った後、暗くなるまで野山で採集に行こうか」
「わおん」
犬はお散歩が大好きだ。クーンにとって野山で駆けまわることはお散歩になる。
栗や山菜、キノコを採集して暗くなってきたので戻ろうとした時に雨がぱらつき始めた。急ぎクーンに乗って戻り、小屋の中に駆け込むとザーザーと雨音が強くなってくる。
次の日もしとしとと雨が降り続けていた。
強い雨であるが、無風状態に近いため、小屋ががたがたすることもない。心配していた屋根の作りだったのだけど、雨漏りもなかった。
この分だとハクの予想通り小屋が崩れることはなさそうだ。
その後も三日、四日と雨が続く。
小屋から出ると変わらぬ勢いの雨がザーザーと音を立てている。
「わお」
「雨続きだと身体もなまるよなあ」
雨の中でも散歩をしちゃいけないって決まりはないぜ。濡れた体を乾かす手段を確保してりゃあ問題ない。
本日も無風なので、トラゴローに手伝ってもらった屋根付きの竈を使うことができる。なので竈で暖を取り服を乾かすことだって問題ないのさ。
そんなわけで外に出たのだが、泥だらけになりながらクーンと遊ぶのが案外楽しい。
渓谷からは出ずにちょこっとだけ遊ぶつもりが、駆けまわってしまった。ここにいるのは俺とクーンのみ、服を気にすることだってない。
いそいそと服を脱ごうとするも、濡れていると脱ぎ辛いな。
「わおん」
待ちきれないクーンが先に温泉へどぼんとする。
ちょ、服の差はいかんともしがたい。ようやく脱いだ俺の体にも雨が降り注ぐ。裸で雨を受けるとなんだかすがすがしくなってきたぞ。
調子に乗ると体が冷えて風邪を引く。雨の中走り回っていたから今更であるが……。
雨が続いているけど、岩風呂は大洪水になったりはせずいつも通りのたたずまいだ。多少水位が上がったような気がする程度である。
「ふういい」
多少ぬるくなっているが、これはこれでよい。ぬるめのお湯に長く浸かる方が体の芯まで暖まるとか聞いたような気がする。
この温度なら長く浸かっていてものぼせそうにない。
岩に背中を預け崖を眺める。温泉からの景色ってなかなか絶景なのだよな。雨だと虹が見えないのは残念だけど、崖の中腹から出る滝の様子は楽しむことができる。
雨の中でも滝の音ってハッキリ聞こえるんだなあ。
「ん」
「わお?」
クーンに話しかけたつもりではなかったのだが、声に反応して耳をふんふんさせる彼である。可愛い。
「なんか滝が大きくなっているような気がする」
「わおん」
離れた方がいい、と言った無表情のハクの姿が頭に浮かぶ。
雨によって滝の勢いが増す。当然といえば当然だ。勢いが増すだけならよいのだが……。
ハタとなり立ち上がる。素っ裸で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます