第4話 ん、この音

 どうだ。

 再び同じ場所を見てみる。

「谷の合間に虹がかかっている。近くで見たら綺麗だろうな」

「わうん」

 そうだろ、と応えるかのようにフェンリルが尻尾を振った。

「あの辺りは行ったことねえな」

 額に手を当て同じ方向を見ていたマルチェロがうそぶく。

「冒険者っていろんなところへ行くんだよね?」

「まあそうだが、冒険者も本当に未知の場所へ行くってことはあんまねえんだ」

「そんなもんなの?」

「おう、おいしいところとおいしくないところがあったら、おいしいところに行くだろ」

 何となく彼が言わんとしていることは分かった。

 冒険者ギルドの依頼は多岐に渡る。子供たちが想像する冒険者は魔物の襲撃に悩む村へさっそうと登場し、バッタバッタと切り捨てるって奴だけど、こういうのって一回限りなんだよね。一方で冒険者は日常的に依頼を受けてお金を稼がなきゃいけない。

 そうなると、いつでも買い取ってくれる魔物の素材とか薬草の採集といった依頼を受けることになる。いつでも安定して受けることができる依頼のことを彼は「おいしいところ」と表現しているのだろう。

 うんうん、そういうことかあ、と頷く俺に向けマルチェロが言葉を続ける。

「ティル、いや、何でもない」

「気になり過ぎる言い方だね」

 予想できることはいくつかあるな。

 この後どうするつもりなんだ、とか、さきっほど使った付与術のこと、とか、うんぬん。

 思わせぶりな発言でバツが悪くなったのか目が泳ぎ口笛を吹くかのような口で無精ひげを撫でる。

「それはそうと、この後どうするつもりだ?」

「決めているよ」

 ふ、ふふ。その質問は予想した一つだぜ。

 無邪気に笑い、ビシッと前方を指さす。

「ん?」

「あの虹、見に行ってみようと思ってるんだ」

 へ、と毒気を抜かれあっけにとられるマルチェロ。子供ぽく天真爛漫に振舞ってみたのだが、どうやら彼は騙されてくれなかったらしい。

「見た所、お前さんの種族は俺と同じ人間のようだから、俺の想像するくらいの歳なんだろうが。歳と頭ん中はベツモノだろ」

「は、はは」

 分かり辛い表現だけど、彼が言わんとすることは察することができた。

 たとえ子供だとしても軽く見ず、ちゃんと一人の人間として接する、ってことだろう。俺に何か考えがあってのことだな、って分かろうとしてくれている。

 言い方が素直じゃないけどね。

 一方で彼はビッと親指を立て白い歯を見せる。

「乗りかかった船だ。虹のところまでは付き合うぜ」

「とても助かるよ」

 虹のあるところまで行く、ということは、考えあってのことだけど……それ以外選択肢がないというか。

 根拠はないけど、フェンリルが案内してくれた場所だから何かあるんじゃないかなってね。

 それ以外にも、谷なら川か湖がある可能性が高い。

 

 ◇◇◇

 

 いざ、虹のかかる渓谷を目指して進む。フェンリルとはあの場で別れ、今はマルチェロと二人でてくてく歩いている。

 うっそうとした森の中、人の手が一切入っていない自然のままの景色は新鮮で興味深い。

 貴族生まれで街から出たことのないお花畑な俺であっても、呑気な散歩感覚にはなっていないぞ。景色を楽しむことはしているけどさ。

 人の手の全く入っていない食糧豊富な森となれば、野生動物の数も多い。野生動物はさほどの脅威ではないが、この世界には魔物もいる。

 魔物は野生動物とは比較にならないほど危険度が高く、フェンリルのように友好的な種は少ない。

 魔物を見たら襲い掛かって来ると思え、と言われているほど。

 こんな大自然の森の中をソロで冒険していたマルチェロはきっと腕の立つベテラン冒険者だ。彼がついてきてくれて非常に心強い。

 かといって彼に頼り切りになるつもりはないんだ。いや、頼り切りと言えば頼り切りだな。

 虹のかかる渓谷につくまでという短い期間しかないから、景色を見つつも彼の所作を見て一つでも生きる術を学んでおこうとしている。

 更に感覚を研ぎ澄ますため、雀の涙ほどではあるが五感を強化する中級付与術「ハイ・センス」を自分にかけて、彼が魔物に気が付くのと自分が気が付くのにどれほどの時間差があるのか、も試せるようにしていた。できれることなら魔物には出会いたくない。木に登ったら凌げるのかなあ……。

「そう硬くならんでも、気にせず歩け」

「ん、この音」

「お、耳がいいんだな」

 感心感心と腕を組みニヤリとするマルチェロ。それ、悪だくみしているようにしか見えないぞ。

 ザアザア。

 かすかに聞こえていた音が大きくなり、水の流れる音だと確信する。

 湖の水はそのまま飲むには怖いけど、川の水なら大丈夫だと思う。思うことにする。

 日本基準ならどちらもダメだ。浄水してから飲みましょうになる。分かっていても火打石の一つも持っていないから煮沸消毒さえできないからね。

「やったー! 喉が渇いてたんだ」

「荷物も全部置いてきちまってるものな」

「命があっただけでももうけものだよ」

「なら、無駄にしちゃいけねえな」

 彼なりの冗談に対しくすりと笑う。対する彼も苦笑し、先に川の水へ口をつける。

 続いて俺も水を飲むことにした。んー、乾いた体に染み渡るう。

 ザ、ザザザ。

 その時、脳内にノイズのような声? 音? が響く。

 ハイ・センスで多少なりとも感覚を強化しているから、虫の知らせ的な何かだろうか。気のせいだと言えばそれまでなのだが、大自然の中ではこういう感覚は大事にしていきたい。

 目を閉じれば脳に入ってくる情報が減るから、ひょっとしたら先ほどのノイズをよりハッキリと感じて獲れるかも?

 瞑想する時のように意識を内へ内へ――。

「ティル……」

 これまでのおちゃらけた様子から一変し、低い声でマルチェロが耳元で囁く。

 ただならぬ彼の様子に目を開け、彼が顎で指し示した方向を見やる。

 え、と声が出そうになるのを飲み込む。

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