第2話 落ちる、落ちる

 目を開けるが、視界は暗いまま。鈍い俺でも自分が置かれた状況は理解している。

 まさか、人の目の多い広場で人さらいにあうとは、完全に油断していた。

「楽勝だったわ、伯爵家の次男は無能って噂だったからな」

「間違えて長男を攫おうものなら、俺たち今頃消し炭だぜ、ガハハ」

「しっかし、こいつで本当に身代金を取れるのか?」

「お貴族様にはメンツがあるだろ。いくら極潰しの無能でもな」

 声からして若い男と年かさの男の二人だな。ちくしょう、好き勝手言いやがって。

 自分でも自覚してんだよ。そうだよな、いくら使えない面汚しでも伯爵家には貴族としての面子がある。

 前世に読んだ無能だから追放する、ってわけにはいかないよね。う、ううん。それはそれで自分が無能と自覚しながらずっと家族に迷惑をかけて過ごすことになるのか……。

 俺が力を持たない子供と分かっているからか、こいつら本当に舐めてるな。俺を縛りさえしていない。

 といっても、大の大人二人相手に逃げ出せるなんて思ってないのだが……。

 鬱々とした俺の気持ちなんぞ、知ったこっちゃない二人の会話が続く。

「おい、兄弟。お貴族様はメンツが傷つかないのならいいんだよな」

「怖え、貴族怖え。攫われて亡き者に、とか」

「何言ってんだ、兄弟、こんな子供を亡き者になんて」

「俺がそんなことをするわけねえだろ! ちいとばかり金をいただきたいだけだ」

 ああ、そうか。そういう手もあるんだな。

 自ら出奔したら家名に傷がつく。ならこのままいっそ……いやいや、ここから逃げ出し街から離れたらそのまま野垂死ぬのが関の山だろうて。

 ヒヒイイイン!

 はあとため息をつきそうになるが、馬の悲鳴で肩がビクリとあがる。

「馬の怯えよう、ただごとじゃねえぞ!」

「ゴブリンでも出たのか」

「領都傍で魔物なんてめったな事じゃ出てこねえよ」

「お、おい、兄弟あれ……」

 な、何なんだ。男たちの慌てっぷりからのっぴきならない状況になっていることだけは分かった。

 馬が悲鳴をあげる、ってことは魔物の類いか、火矢でも振ってきたか、いずれにしろ緊急事態であることは確か。

「や、やべえ。なんだあのでかい鳥は!」

「きょ、兄弟、あいつ、イルグレイグじゃねえか」

「に、逃げろおお!」

「ま、待って、お、おい、坊主、お前さんも急いで逃げろおお!」

 そう言われましても、視界がまるできかねえんだよおおおお!

 麻袋に手をかけ、頭からひっぺがそうともがく。

 ドオオオオン。

 物凄い轟音と共にふわりと体が浮き上がる。そこでようやく麻袋が取れた。

 な、なるほど。轟音は馬車が砕け散った音で馬に乗って逃げている男たちの姿が見えた。

 俺? 俺はだな。

 なんと、巨大な怪鳥に掴まれており、瞬く間に大空へと持ち上げられてしまっているようだった……。

 怪鳥の飛ぶ速度はとんでもなく、あれよあれよという間に街がはるか先に小さく映る程度になっている。

 身をよじってなんとか怪鳥の足から逃れようなんてことでもすれば、真っ逆さまだ。

 かといってこのままだと、怪鳥の雛か何かの餌になり、不幸な結末を迎えることは想像に難くない。

「俺、どうなっちゃうんだろう」

 小さな体だったことが災いし、怪鳥に掴み上げられ空を飛んでいる。

 

 無心で運ばれるままになっていたその時、転機が訪れた。

 突如、怪鳥の長い首が上に動いたかと思うと全身が硬直する。その間、1秒くらいだったが俺の体から怪鳥の足が離れるには十分だった。

 再起動し、動き出す怪鳥、対する空に投げ出され自由落下!

 不可解過ぎる事象に首を捻って……な余裕があるわけあるかあああああ。

 落ちる、落ちるうう。

 怪鳥が離した餌である俺を華麗に掴むのが筋ってもんだろ。馬車を破壊してまで俺を攫ったのだから最後まで責任持ってくれよおお!

 明後日の方向に行かないで、ま、まだ間に合う、あ、ああああああ。

 地面まであとどれくらいだ。そ、そうだ、付与術、こんな時こそ付与術だって。

 集中し頭の中で複雑な術式を組み――。

「立てれるわけないだろうがあああ。ハイ・ストレングス」

 と言いつつも中級のハイシリーズまでなら何とかなった。俺の魔力じゃ雀の涙だが、ないよりはマシである。

 巨木の合間を抜け、そのまま地面へ。

 ぼふん。

 柔らかいふわふわの何かにぶつかり、跳ねたところを誰かに支えられた。

 何が何だか分からないが、ふわふわのところに体が戻り、難を逃れたことだけは分かる。

「怪我はないか? 坊主」

「わうん」

 男の声と犬のような鳴き声が重なった。

 どちらも俺のことを案じていることが声色から伝わってくる。

「な、なにがなんだか……」

「わうん」

 俺の乗っているのは犬らしき鳴き声を出した獣の背中だったらしい。

 白銀の毛玉一つないふわっふわの長い毛は高級ベッドより尚ふかふかで、体温のおかげかちょうどよい暖かさで眠気を誘う。

 俺が三人ほどなら乗れるほどの背中をした獣は犬……いや、狼にそっくりであるが、馬よりも大きい。

 大人でも二人くらいまでなら乗れるのではないだろうか。

 夢がありすぎるだろ。乗ることのできる犬なんて。いや、狼だったっけ。

 こんな大きな狼がいるわけないよな。狼系の魔獣? いや、俺を助けてくれるのだったら聖獣? なのかもしれないぞ。

 白銀の大きな狼……犬でいいかもう。白銀の大きな犬はフサフサの尻尾を振って男を「あっち行け」と言っているかのようだった。

 対する男はぼさぼさの黒髪をガシガシとかきむしり、ばつが悪そうに一歩後ろに下がる。

 それでも尚、犬は尻尾をフリフリするが、男は素知らぬ顔で無精ひげをさすり明後日の方向を見た。

「不幸な行き違いだったんだ。お互い怪我もなかったんだしいいじゃねえかよ」

「わうん」

 な、と手を前に出す男へ向け吠える犬。吠えつつも尻尾でしっしをするのはやめた様子である。

 二人の間に何があったのか分からないけど、元々知り合いだったってわけではなさそう。

 特に友達でもなんでもないのだとしたら、この男……相当胆力がある。

 馬より大きな犬に対し、武器も持たずに至近距離で明後日の方向を見るなんて怖すぎるだろ。

 ……少し考えれば、無手で近寄るのも俺がいるからか、と理解する。

 状況からして二人は俺を助けるために協力して動いてくれたのだから。助けたのに俺の前で争うってことはないはず。

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