ちびっこ付与術師、でっかい犬と契約して山暮らしをはじめる

うみ

第1話 ちびっこ付与術師、攫われる

「こうかな、いや」

 大人用の椅子の座り、届かない足をブラブラさせながらうんうんと頭を捻る。

 ここは私設図書館の中にある特別研究室。分厚い一枚板で作られた執務机の上に積み上げたこれまた分厚い本たち。

 私設の研究室としては王国で一番かもしれない一室に俺のような子供が籠っていることは異質も異質である。

 僅か八歳にして子供一人でこんなところに籠っているのはもちろん理由があるわけで……。

 父がつけてくれた一流の付与術師から学ぶことができる付与術は全て学んでしまった。両親や兄はそんな俺を天才だ、神童だと褒めてくれたのだけど、本人としては微妙さしかない。

 前置きしておくが、俺は決して天才とかそんなものじゃあないんだ。ここまで座学が得意なことには秘密がある。

 それは……前世日本の記憶を持つからだ。

 余りに唐突過ぎたよな。少し長くなるけど、順を追って語ってみることにしよう。

 ある日突然、目覚めたら自分が知らない世界で赤ん坊になっていた。広い部屋に意匠を凝らした調度品からお金持ちの家に生まれ落ちたのかなと思っていたが、貴族だったとはびっくりしたのなんのって。

 貴族に生まれ変わった、こいつは勝組だぜ。そう思っていた時期が俺にもありました。

 俺はオイゲン伯爵家の次男として生まれたわけなのだけど、かの家は魔術の大家として名を馳せていたんだ。父は豪炎の魔術師という異名を持つ宮廷魔術師長。五つ離れた兄も水属性に高い適正のある魔術師として将来を嘱望されている。

 俺もまた希少な付与術師の適正を持って生まれた。魔法がある異世界、それも魔術の名家で自分もその才能を持っている。ワクワクしたさ。もうこれでもかってほどにね。

 付与術に限らず魔術を発動させるには高度な技術が要求される。いくら優れた能力を持っていても技が無ければ宝の持ち腐れだ。

 術式を脳内で組み立て呪文と共に魔力を流し込むことで魔術が発動する。

 前世の記憶がある俺は幼い時から既に大人と同じ思考能力を持っていた。都合のよいことに術式の理論は数学に似る。前世で数学系の大学にまで行った俺としては元から積み重ねがあったんだよね。高校数学レベルだったことも幸いした。

 瞬く間に上級付与術の術式まで学びきり、家庭教師が必要なくなってからはこうして一人研究に励んでいる。

 ここまで研究に没頭しているのにも理由があって――。

 コンコン。

「どうぞ」

「ティル坊ちゃま、紅茶をお持ちしましたぞ」

「先生自ら、恐縮です」

「あなた様こそ我が師ですぞ。今日もまた新たな術式を組んだのですかな」

 ふぉふぉふぉ、と上品に笑いながら淹れたての紅茶を注いでくれる老年の付与術師。

 彼は俺の師で付与術の何たるかを教えてくれた人だ。

 そんな尊敬すべき師に……これ以上何も言うまい。

「一応、新しい術式が完成したのですが……」

「見せていただけますかな?」

 余り気が進まないけど、お世話になっている我が師の前だ。彼ならば俺を笑うこともない。

 思考を高速回転させ、術式を組み上げる。

「アルティメット」

 ぼんやりした白い光に全身が包まれ、光が消えた。

 効果を確かめるようにその場で軽く跳ねてみると、高い天井に当たりそうになる。

 ま、まあ、こんなもんか……。

 がっかりする俺に対し老年の魔術師はワナワナと指先を震わせ目を大きく見開き言葉にならない声をあげていた。

「ア、アルティメット……アルティメット・ストレングスでもなくアルティメット・アジリティでもなく、アルティメット……まさか、このような……」

「発想の転換でした。全能力に対しバフをかける、シンプルで強力な付与術です」

「天才……ティル坊ちゃまこそ、天がこの地に遣わせた御子に違いありません!」

「い、いえ……僕はそんな」

 付与術師の最も基本的な術式は身体能力強化――バフである。強化の強さは筋力だとストレングス、ハイ・ストレングス、アルティメット・ストレングスとランクがあるんだ。

 通常、筋力やスピードなど別々にかけるバフを一気にかけたものが先ほど使ったアルティメットである。

 これ以上の身体能力強化の付与術は存在しない。

 まさに最高峰の強化率、ひょっとしたらと思って開発してみたのだが……逆に落ち込むことになってしまった。

 苦笑いしつつ、紅茶をいただき彼に見せぬようはああと息を吐く。

「少し休憩してきます」

 そう言い残し、部屋を辞す。


「ちくしょおおおおお」

 誰もいないテラスで力の限り叫ぶ。

 考え得る最高峰の強化でも、この程度だった。最高の術式で低級かそれ以下の威力しか発揮しないとは、これ以上俺にどうしろってんだよ。

 原因は分かっている。

 どれだけ術式構築能力が優れていても、俺には魔力が致命的に少ない。

 最高級のレースカーに乗っていてもガス欠じゃあ、おんぼろの中古車にも負ける。

「どうすりゃいいってんだよおお」

 もう一度思いの丈を力いっぱい叫んだ。

 魔術の大家たるオイゲン伯爵家で不甲斐なさ過ぎる。父も兄も慰めてくれたし、惜しみなく研究室を使わせてくれた。

 でも、魔力がないことはどうにもこうにもできなかったんだよな。体が成長すれば魔力が増えるのだが、それも魔術の学術書を読み漁ったことで絶望に変わる。

 魔力は体積辺りに蓄積される量が決まっていて、子供から大人に成長することによって体積が増えるから魔力も増える仕組みだ。

 そもそも絶望的に魔力が低い俺の体積が倍になったところで……なんだよ。

 このままだと父が笑いモノになってしまう、それならいっそ俺なんていない方が。

 ブルブルと首を振り、沈む気持ちを打ち払う。

「こんな時はコッソリ抜け出して気分転換だ」

 屋敷の外れにはあと一年くらいしたら抜け出せなくなっちゃうだろうなあ、というくらいの小さな穴があってさ。

 そこから外に行くことができるんだよね。屋敷に監禁されているわけじゃないので、言伝をすれば堂々と外に出ることはできる。

 だけど、護衛がゾロゾロとついてくるし、何よりこいつが楽しめない。

 握りしめた小銭を露店のおじさんに手渡した。

 手に入れたるはコップ一杯に注がれたドリンクである。こいつは水に水あめとジンジャーを混ぜた庶民に愛される一品だ。

 前世の子供のころに飲んだ「冷やしあめ」そっくりの味でさっぱりとしていて疲れた時とか気分転換したい時に飲みたくなる。

 頼めばお屋敷のメイドが出してくれるのだけど、こうして露店で買ってベンチで楽しむと格別ってものよ。

 護衛を連れていると露店で買い食いなんてできないからね。 

「ふう」

 広場の隅っこのベンチに座り、ちびちびとドリンクを楽しむ。ぼーっと雑踏を眺めていたら気持ちも落ち着いてきた。

 さて、戻るか、と立ち上がったところで視界が真っ暗になる。

「ぐ……」

 麻袋かなにかを被せられたのかと自覚した時、首に鈍痛が走り意識が遠くなった。

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