どこまでが物語なのか

 一人の生徒の突然の死は、閉鎖された学び舎に小さな波紋を与えた。

 表面上は今まで通りだが、うっすらと言葉にできないような不安が生徒達の間に広がっている。

 とはいえ、彼等の生活がそのことによって大きく変わるわけではない。

 一見いつもどおりの管理された毎日が続いている。


 朝は起床時間前に布団の中で靴下をはいたり、寝間着を脱いでおき、ラッパの音と同時にベッドを飛び出す。

 駆け足で寮の前に整列し、点呼の後には監督生のカウントに従って腕立て伏せ。

 朝の儀式を終えると、ぞろぞろと食堂に移動。美味しくも不味くもないお決まりのメニューを腹に入れたら、部屋に戻り荷物を手にし、校舎へ移動して授業を受ける。

 午前中は座学、午後は訓練。合間にお茶の時間と称した昼食。

 放課後の僅かな自由時間はスポーツをしたり、鍛錬に励んだり、セドリックのように趣味にいそしんだりと思い思いに過ごす。


 一日の終わりを告げる鐘がなれば、食堂で夕食。

 就寝時間までは自習時間になっており、シャワーの順番がくるまでは自室で勉強。

 こっそり友達の部屋に遊びに行く者もいるが、シャワーから戻ったら隣の部屋に伝えるという流れを遮ってしまうと先輩にどやされるので、長時間居座るようなことはない。

 三階建ての寮は、各階の端の部屋からシャワールームを使用するので、階数違いのだいたい同じ部屋番号の生徒が同時に体を洗うことになる。

 ルーカスのアシストで鍵を手に入れたミシェルは、放課後にシャワーを済ませている。温室に通い出してからは、夕食前にさっと浴びるようになった。


 家にいたときは曲がりなりにも貴族令嬢だったので、侍女の手をかりて肌や髪の手入れをしていたが、ここでの生活にそんな余裕はない。

 あまり身ぎれいにしていては男らしくないだろう、と香油もなにも持ってこなかったが、入学して一ヶ月経つ頃には髪が傷んできたので後悔している。

 髪は伸びる。痛んだ部分は切ればいい。頭ではわかっているが、乙女心は複雑だった。


 ちなみにルーカスは洗いざらしでなにもしていないのに、肌も髪も艶々だ。

 連日日差しの下で訓練しているのに、ほんのり赤くなった肌は翌日には白くなっており日焼けとは無縁だ。


「なにもしてないのにそれって、ズルくないですか?」

「俺は美形設定だから、努力しなくても作中屈指のイケメンキープできるんだよ」

「もはや何でもありじゃないですか」


 今日も適当に石けんで洗っただけなのに、乾燥とは無縁の仕上がりになっているルーカスに恨みがましい視線を向けた。


 最後にシャワーを終えた生徒は寮長に報告に行き、廊下で夜の点呼が始まる。

 点呼後は就寝時間となり、全館消灯。

 朝になるまで廊下を出歩くことが許されているのは見回りの監督生と、夜中に催してトイレに行く生徒だけだ。


「……セドリック先輩の件、申し訳ありませんでした」

「なんだ藪から棒に」


 部屋で待機して、点呼が始まるのを待つ間。ぽつりと謝罪したミシェルに、寝間着姿のルーカスが振り返る。


「側にいたのに防げませんでした。危機感が足りていませんでした」


 ミシェルは一介の生徒で、セドリックを守る義務はない。

 だが嘘みたいな話だとしても、彼が危険に晒されるかもしれないと知っていたのになにもできなかった。


「強制力については俺も確信はなかった。だから、危機感が足りなかったのは俺も同じだ」


 憑依や転生ものでシナリオの強制力が発生するのは、一部の作品だけだ。

 大抵は記憶を取り戻した人物が、行動を改めるだけで未来は変わる。

 転生者でもなんでもないミシェルが原作と違う行動をとっていたので、ルーカスもこの世界はそれほど強い支配を受けていないと考えた。

 念のため小説内の大きなイベントに目を光らせることにしただけなので、家の力を使ってセドリックを欠席させるような真似はしなかった。

 手立てがあったのに実行しなかった、という意味ではルーカスの方が罪が重い。


「そう気に病むな。セドリックの死は貴様の責任じゃないーー」

「いいえ。ルーカス様の話を信じてなかった僕の責任です」

「え?」


 彼女に責はないとする根拠を説明しようとしたところで、被せるように否定されルーカスは固まった。


「え? お前、俺の言ったこと信じてなかったの?」

「思春期特有の病で、おかしな設定を信じ込んでいるものと思ってました」

「え? お前、俺のこと中二病だと思ってたの?」

「適当に付き合ってやれば満足するだろうと思ってました」

「ふざけんな、表でろ」


 手袋の代わりにタオルを投げてきたので、ミシェルは片手でキャッチした。


「受けて立っても構いませんが、多分僕が勝ちますよ」

「今日のところは勘弁してやる。今後は俺の言うことを信じろよ」

「……」

「オイ、こら。返事しろ。この期に及んでまだ認めないつもりか。いい度胸だな」


 しおらしく謝罪したかと思えば、頑ななミシェルにルーカスは青筋を立てた。


「ちょうどいい。親睦会の後、日常パートのイベントがいくつかあるから、シナリオの強制力がどの程度か実験するぞ」

「実験?」

「ついでに俺がこの世界の作者だと、往生際の悪い貴様にも認めさせてやる」


 今までのミシェルなら間髪入れず「いえ、結構です。謹んで辞退します」と返しただろう。

 しかしセドリックの件があるのだから、頭ごなしに否定するのはもう止めるべきだ。頭から信じるのも無理だが。


「いいか。近いうちポール・ソロモンは町にある食事処の看板娘――エリスに惚れる。昼は食堂、夜は酒場になっている店だ。一人で女に会いに行く度胸のないポールは、お前に同行を求めるだろう」


「……もしかして小説内でも、ポールは“ミハイル・バルト”の友人だったんですか?」

「食いつくのそこか」

「大事なことです。ミハイルに友達ができるとわかっていたら、私はこんな……」


 動揺のあまり言葉遣いが女に戻る。


「ショックを受けているところ悪いが、二人は友人じゃない。他の連中だったらライバルになりかねないが、コミュ障のミハイルなら敵にならないと思って連れて行ったんだ」


「うわー。でもポールならやりそう」


「しかしミハイルの方がイケメンだからな。黙りで俯いている姿も、“ミステリアスで素敵”に変換されて女はミハイルの方を選ぶ」


 ミシェルは二人が並ぶ姿を想像した。

 確かに見た目だけで判断するなら、ミハイルの方が女性が好む容姿をしている。


 ここ数年鍛えていない弟だが、何故か身長はすくすくと伸びた。

 過去にルーカスが言ったとおり、彼の影武者をこなせるくらいには男らしい体つきをしている。

 ただしそれは服を着た状態だからであって、脱げばしなやかな筋肉がついたルーカスと、運動していないミハイルは似ても似つかない。


「でも僕とミハイルはだいぶ違いますよ」


「そこがポイントだ。エリスが女並みに小柄なお前を選ぶ可能性は低い。小説とは違う理由だが、ポールがお前を指名するのは揺るがないだろうが、エリスがどちらを選ぶかはわからん」


「普通の女の人は、僕を選びませんね」


 ミシェルは女性の平均身長だ。

 エリスの方が身長が高い可能性は大いにある。


「ミハイルを選んだくらいだから、ショタ好きじゃないだろう。どの程度シナリオ通りに進むかで強制力の度合いを測りたい。ついでに、俺の予言通りにことが運べば、流石のお前も信じざるを得ないだろ」



 かくしてその日はすぐにやってきた。


「ミハイル。今度の外出日、町に行くんだけど付き合ってくれないか?」

「えっ!? 嘘!?」


 驚くミシェルに、ポールは気分を害したように顔をしかめた。


「なんだよその反応。そんなに俺が誘うのが意外なのかよ」

「いやー。ははは……。もちろんいいけど、僕だけ? オスカー達は誘わないの?」

「えーっと、今回はアイツらはいいんだよ」


 言葉を濁す姿に、ミシェルは恐る恐る「……何しに行くの?」と聞いた。

 言葉を詰まらせたポールは、キョロキョロと周囲に人がいないことを確認する。


「絶対に他のヤツに言うなよ」

「あ。うん」

「実はさ、気になる子がいるんだよ。お前この間の親睦会覚えてるだろ。あの日の料理って、町の食堂に頼んだものらしくてさ。親子で届けに来たんだけど、娘の方が超かわいいの」

「もしかしてエリスって?」

「なんだよ。知ってんのかよ。……まさかお前も狙ってたり?」

「全然! 人伝で聞いたことがあるだけ!」


 まさかと思う気持ちと、やっぱりという気持ちが鬩ぎ合う。

 ルーカスが言った通りのできごとが起きようとしていた。

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