M:I-3(ミシェル・ミッション・ミステイク)
「空になっちまった! セドリック、新しいのくれ!」
「今持っていくよ!」
罰ゲーム用のコーヒーが入ったポットが空になったらしい。
ミシェル達は観戦者の輪から少し離れた場所で話していたので、周囲に人はいない。
丁度セドリックが立っていたのは、予備の飲み物やコップが置かれたテーブルの前だった。
罰ゲーム用ポットも、普通の飲み物と一緒に置いてあったので、彼に声がかかったようだ。
「もう無理っす。勘弁してください」
既に何杯か飲んでいそうな下級生が呻く。
「これそんなに不味いの?」
カードが散らばったテーブルには、使い回しのショットグラスが幾つか置かれていた。手にしたグラスにコーヒーを注ぎながら、セドリックが問うた。
「不味いと言うより苦い。胃にくるんだよな。飲んだ後気持ち悪くなる」
勝者の上級生が答える。
「ふーん」
「もしかしてお前飲んだことないのか?」
「ないね」
「じゃあ次やろうぜ。敗北の味を教えてやるよ」
「今日は参加しないって、後輩と約束したんだ。だからそこの彼の代わりに飲んであげるよ」
あっと思ったときには遅かった。
一度テーブルに置いたグラスを手にすると、セドリックは一気に飲み干した。
「うわ。確かに胃にくる。なんか気持ち悪い」
「馬鹿だなー」
負けてもいないのに、自ら罰ゲームを受けたセドリックを周囲は笑ったが、ミシェルは全然笑えなかった。
(他の人が飲むはずだったものだから、きっと大丈夫よね。いや、そもそも今日先輩に毒が盛られるっていうのも眉唾物なんだし)
セドリックのそばにポットが置かれていたのは偶々。彼に他の生徒が声をかけたのも、彼が勝手に飲んだのも全部偶然。
セドリックがポットを手にしてから、飲み干すまで誰もコーヒーに触れていない。
だが嫌な予感がする。
ルーカスはニコチンの抽出液を飲んでしまったら、解毒薬はないと言っていた。
少しでも吸収される量を減らすため、吐かせるくらいのことしかできないらしい。
(確か症状は吐き気、腹痛。頭痛や発汗もあるんだっけ? ええと、それから――)
「口直ししろよ」
「まっ、待ってください!」
セドリックに差し出された果実水の入ったグラスを、ミシェルは奪い取った。
ニコチンは水溶性で、胃よりも腸で吸収されるとルーカスは言っていた。もし今飲んだのがニコチンだった場合、水分を摂取することで悪化してしまう可能性がある。
「気持ち悪いならトイレに行きましょう。吐いてしまえば楽になります」
「大げさだな。確かに気持ち悪いけど、それほどじゃないよ」
提案を断るセドリックは、いつの間にか額にうっすらと汗をかいており、笑顔もぎこちない。
「駄目です! 保健室行きましょう」
「いや、いいよ」
「よくありませんっ」
セドリックの腕をつかんで、会場を出ようとするミシェルを上級生が止めた。
「おい、新入生。しつこいぞ」
「バルトは心配性だな。不味いだけで、単なるコーヒーだぞ。本人が大丈夫だって言ってるんだから、問題ないさ」
周囲の生徒が窘める。
「それでか。カフェインのせいか、少し頭痛してきたかも」
「それカフェインじゃないかも!」
「なに言ってんだお前」
「先輩は危険なものを口にしたのかもしれません。医師に診てもらいましょう! 念のためそのポットに入ってるものは、誰も飲まないでください!」
誰も本気で取り合ってくれない。
万が一を考えてミシェルはポットをひったくり、中身を地面に捨てようとしたが腕を掴まれた。
筋力で男子に劣る彼女は、純粋な力勝負には勝てない。
「お前こそ大丈夫か」
「おい。もしかして誰か酒持ち込んだんじゃないだろうな」
「酒の匂いはしないけど、錯乱してるみたいだな」
逆にミシェルの方が、怪しいものを口にした疑いをもたれてしまい、上級生達に保健室に連行された。
*
服を脱ぐわけにはいかないので、彼女はあの手この手で診察に抵抗した。
思ったより時間がかかってしまい、校医から解放される頃には親睦会はお開きになっていた。
ミシェルが強制退場になった後、頭痛が悪化したセドリックは部屋に戻っていた。
彼女が部屋を訪ねた時、彼は鎮痛剤を飲んで寝ていると同室の生徒が教えてくれた。セドリックの様子を見て安心したかったが、部屋に入れてもらうことはできなかった。
部屋で休んでいる生徒をどうこうしようとすれば、再び正気を疑われてしまう。ミシェルは渋々引き下がった。
(気にしすぎよ。何度も言われたから不安になっちゃったけど、全部ルーカス様の作り話なんだから)
何度も己に言い聞かせたが、ずっと胸がモヤモヤする。
自分が迂闊だった自覚があるので、ことの顛末をルーカスに報告するのは勇気がいった。
「もっと上手く立ち回れたらよかったんですが……」
「起きてしまったことは仕方がない」
意外なことにルーカスは叱責することなく、彼女の話に静かに耳を傾けた。
どんな状況だったのか細かく聞かれ、ミシェルは再度己のふがいなさを振り返る形になり縮こまった。
そして翌朝。朝一番に食堂に行き、時間ギリギリまで粘ったが、セドリックは現れなかった。
休み時間に上級生の教室を訪ねて、クラスメイトから彼が体調不良で入院したということを教えられた。
彼女がセドリック・ロスの訃報を聞いたのは、更に翌日。親睦会の二日後のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます