おっふ
座学を学ぶ教室では、休み時間になると入学前から顔見知りだった者たちは互いの席に足を運ぶ。知り合いのいない者達は、席が近い生徒に話しかける。
皆この新しい環境で、自分の居場所を作ろうと必死だ。
ミシェルは学校に通うのは初めてだが、要は騎士団と同じ団体行動・集団生活。
規律を守り、周囲と友好的な関係を築けば良いのである。
「――……昨日も寮長に詰め寄られたところを助けてくれたし、案外いい人だよ」
受けた恩は返さねば。今のところミシェルはルーカスに助けられっぱなしだ。
彼女は雑談の合間に、さりげなくルーカスの話題を挟んだ。
「マジで!? オレの姉ちゃん、あいつに話しかけたら“馴れ馴れしい、失せろ。くだらない話で、俺の貴重な時間を浪費させるな”って言われてさ。泣いたら“すげなくされたら、被害者気取りか。大した嫌がらせだな”って追い打ちかけられたんだぜ。あいつに平謝りした父さんに母さんがキレて、もう帰りの馬車、空気最悪」
ミシェルの言葉に、隣の席のアンドレイが顔をしかめる。
いきなりパンチの効いたエピソードが出てきて絶句する。
「俺はパーティーで服を褒めたら“他人の持ち物がそんなに気になるのか。俺は他人の私物に興味はないし、他人に査定されるのも不愉快だ”ってぶった切られた。あれ以来近寄らないようにしてる」
アンドレイと同室のオスカーが、大きく頷きながら同調する。
「オレの叔父さんは“臭い。失せろ”って言われたらしい。前後のやりとりは知らないけど、頭からお茶かけたってさ」
出るわ出るわ。まさかこんな小さなグループで、立て続けに被害者がいるとは驚きだ。
「お茶って。どこの世界の貴婦人だよ」
「マジでそんなことするヤツいるんだな。フィクションだけだと思ってた」
「だよな! ヤバいよな!」
吹き出すオスカーとアンドレイに、ポールも笑う。
盛り上がっているが、ルーカスの扱いは完全に“触れるな危険”だ。
「ないわー。つまりは自己中で、他人を思いやれないってことだろ」
自分本意で他人を否定することに迷いがない。
こっちだって社交として話しかけているのに、理解しているのかいないのか。
「同じクラスになっちまったけど、極力関わりたくねぇ」
気に食わなければ攻撃してくる上に、その基準がなんとも言えない。テメーのルールなんざ知るかよ。
正直に言って、そんなに気をつかってまで親しくなりたいとは思わない。ハッキリ言って面倒くさい。
「ミハイル災難だな。お前の犠牲は無駄にはしない」
結論。近付かないのが吉。
三人から口々に同情されて、ミシェルは何も言えなくなった。
「……」
彼女は視界の端で、ルームメイトの姿を確認した。
窓際の一番後ろという時代を問わず人気の席だが、彼の周囲に人の姿はない。
まるで立ち入り禁止の結界がはられているように、生徒達は赤髪の少年から距離をとって過ごしている。
(これ無理じゃない?)
ひとつ褒めれば、倍になって悪い話が出てくる。
しかも根も葉もない噂じゃなくて2/3が体験談。
ミシェルが内心ため息をついていると、いつの間にやら背後に立っていたルーカスが声をかけてきた。
「やあ、ミハイル君。ずいぶん楽しそうだね。早速友達ができたのかな」
うさんくさい微笑みに、彼の意図を察する。
(あ、これ。紹介しろってヤツだ)
クラスメイトとの仲を上手く取り持て、ということだろう。
「スッ、スコーティア!? 俺たちすぐ退散するんで!」
「どうぞ、ここに座ってください!
「ごゆっくりどうぞ!」
しかし悲しいかな。ターゲット達は機敏な動きで逃げてしまった。
「……オイ。貴様、協力する気はあるのか?」
立ち去るクラスメイトを見送ると、エドガーは着席したままのミシェルを見下ろした。
「ちゃんと褒めましたが、過去が酷すぎるんですよ。一朝一夕でどうこうなる状況じゃありません」
「そう言って、俺から搾取する気じゃないだろうな。クラスメイトはともかく、セドリックは期限があるんだぞ。もし間に合わなかったらどうなるか、わかってるんだろうなぁ!?」
破落戸のような台詞を吐くルーカス。
「わかってますよ! いちいち脅すのやめてください! 親睦会までですよね」
近くにいてもおかしく思われない程度に親しくなり、危険から守る。
「分かっているなら話は早い。今日の放課後、温室に行け。あそこに入り浸ってるのはセドリックくらいだ。髪の色は俺と同じだから、見れば分かるだろう」
「はいはい」
ルーカスが去ると、退散したクラスメイトが戻ってきた。
「おいっ。お前大丈夫なのか?」
「やっぱ無理してんだろ。先生に言いに行くなら付き添ってやるぞ」
「証言してやるから安心しろ」
「え? なに? 何の話?」
矢継ぎ早に詰め寄られて、彼女は瞠目した。
「お前が酷い目に会うんじゃないかって、俺たち離れたところから様子見てたんだよ」
「全部は聞こえなかったけど、声を張り上げた部分は聞こえたぞ」
「脅されてるんだろ?」
「んん? ――あっ!」
おそらく彼等は、
「もし間に合わなかったらどうなるか、わかってるんだろうなぁ!?」
「わかってますよ! いちいち脅すのやめてください!」
という部分だけ聞いたのだろう。
「そういうのじゃないから! 大丈夫!」
「一人で耐えるだけが勇気じゃない。助けを求めるのもまた勇気だぞ」
真剣な表情で、ポールが肩に手を置いてきたので引き剥がした。
「違うから! 本当に大丈夫だから!」
二歩進んで三歩下がる。ルーカスの好感度が上がる日は遠い。
*
植物園は、普通科の校舎に近い場所にある。
この学び舎は左右対称な設計になっているので、騎士科の訓練所に対比するように、温室を備えた植物園が造られている。
ガラス張りの空間は、南国を思わせる木々が生い茂っていた。
ギャラリエのような人工的な建築美と、ジャングルを持ってきたような野生が不思議な雰囲気を醸し出していた。
今の季節は春だが、温室内は初夏のような気温だった。外は時間帯によっては肌寒いのに、ガラス一枚隔てただけでこうも変わるとは。
視覚情報だけではなく、暖かな空気も相まって、温室の中に一歩中に入るだけで、外の世界から切り離された気になる。
生命の息吹を色濃く感じるが、人の気配のない空間をミシェルはゆっくり進んでいった。
「こんにちは」
ルームメイトと同じ色をした後頭部を見つけたので声をかける。
振り向いた青年は、声の主と目が合うと軽く会釈をした。用は済んだと判断したのか、無言のまま元の姿勢に戻った。
「先輩ですよね。ここで何をされているんですか?」
「……。君は何をしに来たの?」
近づいて話しかけてきたミシェルを、セドリックは訝しげに見上げた。
「……実は僕、絵を描くんです。姉には及びませんけど」
さりげなく傍によけて隠しているが、スケッチブックと絵筆が見えたので、彼女は賭けに出た。
「姉?」
「ミシェル・バルトです。僕は弟のミハイルと言います」
「!? そうか、彼女の弟か」
当たりだったようで、セドリックは笑顔になった。
絵を描く人間にとってバルト伯爵令嬢の名は効果抜群だった。
「いい場所ですね。静かだし、人気が無いし、雨に濡れない。何より自然な明るさがいい」
「そうなんだよ! 部屋だと薄暗くて仕方が無い。実家は窓が大きかったのか不便だと思ったことはなかったけど、この学校の建物は窓が小さい割に照明が弱いんだよ。屋内で描くなら、明るさって大事だよね。勉強するにしても暗くていいことは一つも無いのに、どうしてあんな設計にしたのかな」
ミシェルを同志と認めたのか、一転して饒舌になるセドリック。
「ですよね。彩色に影響するのも困りものですが、デッサンだって薄暗いと目が辛くなりますよね」
「わかる! 最初はいいんだけど、段々辛くなってくるんだよ! 部員じゃないと美術室使えないから、君も騎士科ならここで描けばいいよ。校舎を分けるのは構わないけど、それならせめて同じ設備を平等に作ってほしいよね。騎士科にだって美術室は必要だと思うんだ。これってひどい偏見だよね!」
彼の方から話してくれるのは嬉しいが、捲し立てるように喋られて困った。異母弟とは離れて育ったはずだが、血の繋がりがあると喋り方も似るのだろうか。
「ああ、僕たちは部活禁止ですもんね」
「校則では禁じられてないけど、暗黙の了解みたいになってるね。入部届を出せば認められるだろうけど、普通科の人間しかいないから居心地悪いと思うよ」
先ほどまでとは違い、落ち着いた口調になる。
どうやら彼の早口は、趣味の話題限定らしい。
ずっとあの調子で話しかけられるのは辛いので、ミシェルは安心した。
「そうなんですね。まだ入学したばかりで、この学校のことよくしらなくて」
「寮で上級生と同じ部屋なら、教えてもらえるんじゃない?」
「人数の都合で、新入生同士の部屋なんですよ」
ミシェルは種をまいた。これからルームメイトの話題を小出しして、親近感が芽生えた頃に実は異母弟だったと明かす作戦だ。
「デッサンの邪魔してすみません」
「かまわないよ。周りに絵を描く人間がいないから、話せて嬉しかった」
「先輩はどんな絵を描いてるんですか?」
ミシェルの問いかけに、セドリックは固まった。
踏み込みすぎたかな、と彼女は慌てて撤回した。
「すみません、出会ったばかりなのに図々しかったですよね。無理にとは言いません」
「いや、いいよ。ただ独学で癖があるから、どう思われるか不安であまり他人に見せたくないんだ」
セドリックは照れくさそうな顔をして、紙を差し出してきた。
ルーカスと半分血がつながっているとは思えない。地味というか相手に安心感を与える顔立ちだった。
二人の似ている部分は、艶のある深紅の髪くらいだ。薔薇のように深みのある赤い色をしている。
彼は上級生だが、一人で黙々と絵を描く姿が弟と重なり、ミシェルは微笑ましく感じた。
「ありがとうございま――」
言葉が不自然に途切れてしまったのは仕方ない。
紙には複数の美少女が描かれていた。
(お、おおう……)
全員等身が低いので、美幼女といった方が正しいかもしれない。
頭と目が大きく、手足がとても細い。
とてもかわいいのだが、かなり個性的な絵だ。あと露出がすごい。
(先輩も男なんだな。……アランもこういうのが好きなのかな)
従兄弟がこういった絵に夢中になっている姿を想像しかけて、ミシェルは動揺した。
(いやいやいや。アランを思い浮かべたのに特に意味はないから! 身近な異性といったらアランなだけだから! うんそう、それだけ!)
誰もなにも言っていないのに、心の中で慌てて否定する。
(アランは幼女に興味は無いはずよ。普通の男は色気がある女が好きなんだから!)
描かれた少女達に色気はない。見えちゃいけないところが出ちゃってるが、いやらしさは感じなかった。
「……もしかして、ここにある植物がテーマ……というか、象徴してます?」
「そうなんだ! 彼女たちはここにある植物の擬人化なんだよ!」
「そ、そうでしたか。かわいいですね。絵本にしたら女の子が飛びつきそうです」
目を輝かせるセドリックに、ミシェルは気圧された。
「絵本か」
「先輩の絵なら、童話とか相性が良さそうですね」
「子供向けの自覚はなかったけど、ありかもしれないな」
(いやむしろ子供向けでは!? これ大人に見せてどうしろと?)
心の中でツッコみつつ、ミシェルはセドリックをヨイショした。
「絶対人気出ます! “無難な絵”、“できのいい絵”はこの世にいくらでもあります。でも人“の心に残る絵”、“他にはない個性がにじみ出る絵”は稀です。先輩の絵には、誰にも真似できない個性があります!」
「そう真正面から褒められると、照れるな……」
「自信を持ってください!」
ミシェルは断言した。
親しくなるために、心にもない褒め言葉を口にしているわけではない。
異質だがセドリックに唯一無二の個性があるのは事実だ。有無を言わせぬ画力の高さで、奇をてらった作品を“新しいジャンル”にして魅せている。
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