放課後のちん入者

「おっ。戻ってきたか。ずいぶん長いモノローグだったな」

「はぁ?」


 なに言ってんだコイツ、と思いながらミシェルはルーカスを見た。


「“俺が前にいると言うのに、長いこと物思いにふけってたな”という意味だ」

「あっ、すみません。弟のことを思い出してて……」


 端的に指摘されて、ミシェルは我に帰った。

 確かに人と話しているのに、堂々と考え事をするなど失礼な話だ。

 心ここにあらずだった彼女に、彼が気分を害した様子はない。新生ルーカスは寛大な男のようだ。


 少し気まずくなり、彼女は話題を変えた。そう、つい今し方まで頭の中を占めていた弟の話題を――


「そういえば、公子の物語の中で、ミハイルはどうして共犯者になったんですか」

「……事故に見せかけて手を潰すと脅した」

「なんだと!?」


 耳から入った言葉を理解すると同時に、彼女は目の前の男に掴みかかった。


「貴様っ! それがっ、あの子にとってどれだけ惨いことかっ! お前はわかってて言ったんだな! この卑怯者!!」


 騎士科だから剣を握る手を怪我したら困るだろう、などという単純な話ではない。

 この男ルーカスはミハイルが絵を描くことを知っていた。ならば“潰す”という表現は、二度と筆が持てなくなるよう利き手を破壊するという意味だ。

 ミハイルを殺すと言っているも同義だ。


「記憶が戻る前の俺は、そのくらい普通にする人間だった……」


 ルーカスは冷静に返し、彼女の手を引き剥がした。


「――っ! すみません。架空の話なのに……頭に血が上りました……」


 衝動的に手を出してしまった己を恥じて詫びる。

 彼女にとって弟の話題は非常にデリケートだ。何が正解だったのか今もわからないが、それでも自分は間違えたとミハイルに対し負い目を抱いている。だから弟に強く出られないし、他人が弟を傷つけることにも敏感になる。

 過保護だと自覚しているが、どうにもできない。

 今彼女がしていることも、弟を危険から遠ざけるためと口では言っているが、本当はミハイルを信じて送り出すことができなかっただけだ。


 ルーカスは鷹揚に謝罪を受けいれた。


「後継者を辞退するのは、それもある。俺は過去にしたことを覚えているが、全て加害者の視点だ。事実は一つでも、した側とされた側では認識が違う。いじめた人間が、やったことを本当の意味で理解できるとは思わない。俺が心を入れ替えたところで、許せないと思う人間の方が多いだろう」


「逃げるんですか?」


 批難するような言葉を投げられても、淡々と説明を続ける。


「善良な人間は“相手が改心して謝ったら許さなければいけない”という考えにとらわれる。わだかまりが残っているのに見ないふりして、もう気にしていない、もう許したと己に言い聞かせることになる。そんな脅しみたいな和解はごめんだ」


「……」


「なんてことないできごとが切っ掛けになり、ある日突然爆発する可能性がある。それでブスッと背後から刺されるなんてゴメンなんだよ! 無害アピールしてさよならした方が、お互いのために平和なんだよォ!」


「最後が余計ですが、ルーカス様の主張は理解できました」


「働かずに贅沢して生きたい」と言っていたが、後継者の座を降りるのは公爵家の関係者に対して、既に色々とやらかしているからだろう。

 首都から離れたリゾート地に住みたいのも、人間関係をリセットするためだ。

 呆れたが一理ある。

 過去から逃げようとするその選択は許しがたいが、それは彼女が無関係な人間だからだ。

 もし自分が公爵家の使用人で、彼から酷い目に合わされていたら。謝罪して行動を改めたとして、本当に忠義を尽くすことができるだろうか。

 表に出さないだけで禍根は残り続け、仕事だと割り切って働くに違いない。

 そしてルーカスの何気ない発言で、いともたやすく恨みが再燃するのではないか。


「異母兄のセドリックは、ロス子爵家の長男だ。本来なら普通科に行くべき人物だが、父は息子二人を騎士科に入れた。これがなにを意味するかわかるか?」


 ロス子爵家はさほど裕福でもなく、爵位も下から数えた方が早い。

 当然優秀な教師を雇う金もコネもない。

 セドリックは、子爵が外で作った子供ということになっているが、真実は子爵の姉が生んだ婚外子だ。

 表向きは弱小貴族だが、実父である公爵が内密に支援しているため実際は余裕のある生活をしている。

 教師に関しても、二人には同じ人物が教鞭をとったので、異母兄弟はほぼ同条件で学んでいた。


「騎士科では個人の能力がシビアに評価される。息子二人を比較し、いざとなったら兄を認知して、公爵家を継がせるつもりなんだろう」


 ルーカスは幼い頃から手のつけられない子供だった。

 公爵は早々に見限り、スペアとしてセドリックを教育していた。


「……」


 公爵の判断は大貴族の当主としては正しいのかもしれないが、親としてはあまりに無責任で非情に感じた。


「俺が更生したら父は正当な嫡子を優先するだろうが、俺にそのつもりはない」

「セドリック先輩は、公爵家についてどうお考えなんですかね」


 ルーカスが譲る気でいても、セドリックにその気が無ければ成立しない。


「以前の俺は異母兄を意識していたから、それなりに情報収集している。セドリックは成績上位者で、評判も悪くない。落ち着いた性格だが、根暗ではない。野心家ではなさそうだな。父や子爵家の人間に対して遠慮しているきらいがある」


「先輩が負い目を感じる必要はないんですが、そうは思えないんでしょうね」

「ああ」


 麗しくも恐ろしい公爵夫人のことは、社交界に疎いミシェルでも知っている。

 侯爵家の令嬢だった現スコーティア公爵夫人は、国一番の美貌と名高い貴婦人だ。

 だが気性が激しく、我が儘で傲慢な人物としても有名だ。ルーカスは見た目も中身も母親似なのだ。

 彼の二つ名が“毒薔薇”なのは、烏の濡れ羽色の髪を持つ母親が“黒薔薇”と呼ばれているからだ。


 美しいが心安まらない妻を娶った公爵は、癒やしを求めて慎ましく咲く花に手を出した。

 妻より先に愛人を孕ますなんて恥しかないので、妊娠は公爵にとって予期せぬことだったに違いない。

 避妊に失敗したのも、子供を産む選択をしたのも全部大人の責任だ。

 醜聞を押しつけられた子爵夫妻も、子供を使って公爵から金を引き出しているので、被害者とは言い切れない。


 ルーカスから事情を聞かされ、ミシェルは胸がモヤモヤした。

 二人が無言になったとき、乱暴にノックする音が響いた。



「キサマがミハイル・バルトだな!」

「あのぅ……」


 心当たりはないが、相手は気が立っているようだ。

 知らぬうちに何かしてしまったのか、とミシェルは不安になった。


「はっきり返事をしろ!」

「はい」

「声が小さい!」

「はい!」

「語尾を伸ばすな!」

「はいッ!!」」


 扉の向こうで仁王立ちしていたのは、名も知らぬ上級生だった。

 見上げるほどの長身で、体の厚みはミシェルの二倍……は言い過ぎだが、向かい合う二人はかなり体格差がある。


「噂は聞いたぞ。ずいぶん調子に乗ってるようだな」

「え? 何のことでしょうか?」


 今日は入学式の後、学校説明や教室内での自己紹介しかしていない。

 ミシェルが人の注目をあつめることなど、ルーカスと同室になったことくらいだ。


「とぼけるな。キサマ、騎士科で一番だとほざいているらしいな」

「何の話ですか!?」

「男の沽券の話だ!!」


(あ。察し)


 沽券というか、股間の話だろう。


(ちょっとポールのヤツどんな風に吹聴したのよ!)


 事実に基づかない噂だと、わかっていても恥ずかしい。

 騒ぎを聞きつけて、寮生が集まってきた。


「騎士科で一番の男はオレだ。今この場で勝負しろ!」

「今この場で!?」

「ここには男しかおらんのだ、恥じる必要はあるまい。丁度いいからギャラリーには、勝負の見届け人になってもらおう」


 赤くなった顔が、瞬時に青くなる。

 野次馬の一人と目が合い、ミシェルはぶんぶんと首を振った。


「絶対嫌です! お断りします!」

「逃げるのか卑怯者!」

「卑怯でも何でもかまいません。先輩がどんな話を聞いたのか知りませんが、僕は自分の体について吹聴した覚えはありません! もし噂の内容が気に障ったのなら、それは僕のあずかり知らないところです!」


 人前で脱ぐなんて冗談じゃない。なんと言われようと絶対に応じるわけにはいかない。


「噂については無実だと理解した。だが、噂になるほどの逸物イチモツを持っているのは事実。騎士科の頂点はどちらなのかハッキリさせるぞ!」

「させなくていいです!」

「オレはしたいんだ! 減るものではないだろう、さっさと脱げ!」


 掴みかからんばかりの勢いで近づいてくる上級生に、ミシェルは後ずさりした。


「――先輩。待ってください。こいつはまだ“子供”なんです」


 初日にして絶体絶命。涙目になったミシェルの視界に、鮮烈な赤が入りこむ。

 彼女を庇うように、紅の髪を靡かせてルーカスが立ちはだかった。


「何だと?」

「同じ土俵にすら立っていないんです。“大人”な先輩と比べては酷というものです」

「もしや……」


 上級生がハッとした表情かおになり、小柄な少年をまじまじと見下ろす。

 少女のように華奢だ。まさかまだ二次性徴を迎えていないのか――!?


「そうです。服越しのサイズ勝負ではさぞ立派にみえるでしょうが、まだ“未熟”なんです! 勘弁してやってください!」

「そ、そうだったのか。騎士科で一番などと耳にして、つい冷静さを失ってしまった。すまん。大人げなかったな」


(え。どういうこと?)


 歯に衣着せぬルーカスにしては珍しく、ほのめかすような会話だ。

 頭上で交わされる会話にミシェルはついていけない。

 あっという間に勢いを削がれた上級生が、最後には頭を下げてきた。


「人の成長には個人差がある。あまり気にするなよ」


 終いには憐れみの目で慰めてきた。わけがわからない。


「……先輩のせいで、彼のデリケートな問題を多くの生徒が知るところとなりました。どう責任とってくれるんですか?」


「え?」


 退散しようとする大男を、ルーカスが引き留めた。


「今後は風呂や更衣室で、好奇の視線に晒されるでしょう。彼のこれから受けるであろう精神的苦痛に対し、先輩は一体どう責任とるんですか?」

「そっ、それは」

「先輩は寮長ですよね。寮生を守る立場の人間が、一人の生徒の学生生活を潰したんです。この罪は重いですよ」

「しかしバラしたのはお前だろう」


 言い返すも、言葉で他人を攻撃することに慣れている毒薔薇公子には反論のうちにも入らなかった。


「騎士科の代表ともあろう人が言い訳ですか! 俺が説明しなければ、先輩は彼を公開処刑したんですよ!」

「す、すまない」


 ルーカスに責め立てられ、寮長はどんどん小さくなる。


「謝ったくらいですむ話ではありません。誠意を見せてください」

「……オレにできることなら何でもしよう」

「では彼が更衣室とシャワールームを人目を避けて使用できるように、鍵を与えてください」

「いやしかし、そんな設備を私物化するような真似は……」


 男らしく覚悟を決めてみせたが、突きつけられた要求の大きさに慄く。


「誰のせいで、他の生徒と一緒に利用しづらくなったと思ってるんですかねぇー」

「うぐ……」


 顔も口調も悪党そのもの。寮生達の前で寮長をつるし上げる新入生。

 酷い絵面だ。


「今夜から使いたいので、夕食後前に持ってきてください」

「うむ……」

「よく聞こえませぇん。ハッキリ大きな声で言ってくださぁい」

「~~ッわかった!!」


 あれよあれよという間に、ルーカスはミシェルの着替え&風呂問題を解決してみせた。


(ありがたいけど、これ絶対噂になるやつだ)


 人助けをしてもイメージダウンになる男。それが新生ルーカス・スコーティアだった。

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