神絵師の中の人

 双子の母は、外から嫁いできた人物だった。

 彼女は夫ほど子供に強くなることを求めていなかった。武門とは無縁の家出身だったので、騎士団のトップが、剣の腕も頂点トップである必要は無い。騎士団を運営できる頭脳があれば充分という考えだった。

 仲のいい夫婦だったが、子供の教育に関しては度々衝突していた。

 ミハイルにとって母親は、強くなれない自分を肯定してくれる命綱のような存在だった。


 母の葬儀の後、ミハイルは部屋に引きこもるようになった。

 剣を握らなくなった彼は、昔から好きだった絵を描くようになった。

 父と姉は、女主人の不在を埋めるのにそれぞれ手一杯で、ミハイルを気にかける余裕がなかった。


 バルト騎士団には、国から予算が割り当てられている。

 しかしそれはあくまで国の治安維持・防衛費としてなので、伯爵家のものではない。

 伯爵家は伯爵家で、自力で財源を確保しなければいけない。

 双子の母が健在だったときは、彼女が上手く立ち回り金策していた。

 長年家政を取り仕切っていた夫人を喪い、伯爵家は窮地に立たされた。

 騎士団の方は問題ない。跡継ぎであるミハイルが、騎士として未熟なまま引きこもってしまった点を除けば、今まで通り運営できる。

 問題は伯爵家の方だ。一人娘であるミシェルの社交界デビューすら危ぶまれるほど金がない。


 そんなときミハイルが、姉の名でコンクールに出した絵が受賞した。

 受賞作を気に入った王妃が、大枚はたいて絵を買い取ったことで、まだデビューすらしていなかったミシェル・バルトの名は社交界に広まった。

 絵の依頼や、既存の作品の購入など、ミハイルの絵に人々は殺到した。

 現在伯爵家の主な収入源は、彼の絵だ。

 本人も行き場のない感情をキャンバスに吐き出していたが、絵が売れるようになってからは、社会に認められている、跡継ぎとして不適格だった自分が家に貢献している、と自分を肯定できるようになり精神的に安定するようになった。


「アランの言う通り、あそこまで何かに夢中になれるのは才能だと思う。お金を稼ぐために、無理して頑張ってる感じはしないの。描きたいものが溢れていて、体が追いつかない、時間が足りないって感じよ」

「ここに来る前に部屋に寄ってきたけど、全然話してくれなくてさ。嫌われたかな」


 ポリポリと頭をかくアランに、ミシェルは微笑みかけた。


「いつものことよ。むしろ作業の手を止めて会話したなら、アランのことは好きなんだと思う。常に頭の片隅で作業してるから生返事しかしないし、お茶の時間どころか睡眠や食事まで時間の無駄だと思ってるみたい」

「それなら嬉しいな。オレは何かを生み出す才能はないから、ミハイルみたいに創作する人を尊敬してるんだ」


 ミシェルも父も、やっと落ち着いたミハイルが昔の状態に戻ることを望んでいない。


 今では家も騎士団も、ミシェルが婿を取る方向で考えている。

 ミシェルが騎士団に出入りして、年頃となった今も鍛錬を続けているのはそのためだ。


「ああ。それといつものお届け物。モテモテだな、ミシェル」

「止めてよ。それは私じゃなくて、彼等の想像上の“ミシェル・バルト”宛ての手紙だわ」


 アランが差し出した手紙の束を、ミシェルは苦虫を噛みつぶしたような顔で受け取った。


 ミハイルの描く絵は繊細で、幻想的で、それでいて大胆だ。

 作品は作者を映す鏡。きっとミシェルという少女も、絵のように神秘的な女性に違いない、と会ったこともない人物からラブレターをもらうのはしょっちゅうだ。

 高貴な人物も混じっていたりするので、対応にはすごく気を遣う。

 それに弟の功績を奪っているようで居心地が悪い。


「――それで真面目な話。学院のことはどうするんだ? オレの在籍期間と重なる間は、気にかけることができるけど、四六時中面倒を見ることはできないから、本人にも頑張ってもらわないといけない。今のミハイルにそれができるのか?」


「……学院に行くこと自体は、本人も了承してる。でもあの子に騎士科は厳しいと思う」


「バルト伯爵子息の立場なら“選ぶ側”だから、成績が悪くてもなんとかなる。でも集団行動とか、他人とコミュニケーションできないのはマズいぞ」


 上流階級の跡継ぎは、幼少期から高度な教育を受けているので今更、学院で学ぶ必要はない。

 アドリア学院の普通科は、家庭教師を雇う余裕のない中流以下の家の跡取りが、標準的な知識を身につける場。国が用意した救済処置だ。

 故に一定以上の格を持つ家の子息が、普通科に通うことは恥とされている。

 普通科を選ぶことは、入学前に必要なことを学び終えていない、と告白するも同然なのだ。


 では高貴な貴公子達がどこへ行くかと言えば、同学院の騎士科だ。

 文武両道であるとアピールし、長い年月、共同生活することで、生涯の忠臣を見つけることができる。

 継ぐ家を持たない人間にとっては、就職活動の場。

 家を継ぐ人間にとっては、青田買いの場。

 国内には他にも学校があるが、貴族の大半は国きっての名門校であるアドリア学院への進学を選択する。


「……いっそアドリア以外もありかなと。将来不利になるけど、このまま絵を描き続けるならあまり関係ないと思うし」


 ミシェルが結婚したら、弟には別邸で今まで通り絵を描いて過ごしてほしいと思っている。

 いつまでも収入を弟頼りにはできないから、絵の売り上げは彼の生活費にし、伯爵家については夫となる人物と二人で頑張るつもりだ。今は婚約者どころか、恋人すらいないけど。


「学閥か。あったら有利だけど、ミハイルはまず学校に行けるかが問題だからな」

「男児は通学が義務付けられてるから、学校に通わないって選択肢はないのよね」


 この国にあるのは全寮制の学校だけだ。

 学のない者が爵位を持たないよう、貴族籍を持つ男児全員に学校教育が義務づけられている。

 またお家乗っ取りや、虐待を防止するために、寮という方法で家から引き離している。

 長年虐げられて洗脳に近い状態になっていても、同年代の少年と過ごすことで、自分のおかれた状況が異常だと気づき、助けを求められるようにとのことだ。

 持病があったり、体が不自由な者は、国立病院の敷地内にある特別学校に通うことになる。入院しながら学ぶ形だ。


 つまりどこであろうと集団生活。

 今ですら引きこもりで、他人に面倒を見てもらっている人間が、はたして寮生活できるのだろうか。

 寮でも引きこもりになったり、ルームメイトに迷惑をかけて家に連絡が来る未来が見える。


「……厳しいことを言うが、今のミハイルじゃどの学校に行ってもいじめられると思う」

「――!!」


 アランの言う通りだ。他人に迷惑をかけるのも心配だが、他人に傷つけられる可能性の方が高い。

 もしそうなったらミハイルは、外に助けを求めることができないだろう。それができる子なら、そもそも引きこもったりはしない。


 そして彼女は決意した。

 弟が姉の名を騙って絵を描く間、姉は弟の名を騙って学校に通うことを。

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