彼女が彼になった理由
「信じらんない! 何ですかあれ!」
「確率は胸の方が高いと思っていたが、股間できたか。男子校のノリだ。深い意味はないし、悪気もない」
寮に帰るなり、ミシェルはルーカスにポールにされたことを報告した。
「ここは騎士と紳士を育む学び舎ですよ!」
「異性の目がなければあんなものだ」
いきり立つルームメイトをルーカスは宥めた。
「僕は幼い頃から騎士団に出入りしてましたが、あんな光景見たことがありません!」
「それはお前が“団長の娘さん”だったからだ」
「……気を遣われてたってことですか」
突きつけられた言葉に彼女はショックを受けた。
気の置けない仲だと思っていたのはミシェルだけだったのか。
「すねるな。女だって同性だけの場と、男が同席しているのとでは言動に差が出るだろう」
「それは……」
正論を言われて、ミシェルは言葉に詰まった。
「初回が股間の方だったのはラッキーだったな。おそらく今日のが最初で最後だ」
「どういうことですか?」
「かなりデカく作ったからな。ポールが他の連中に話せば、本当に男なのかと揶揄ってくる輩は現れないだろう」
「既に男だと証明されてるからですか?」
証人がいることで性別に関する疑惑は払拭できるが、揶揄うのとは別問題な気がする。ルーカスの言葉に、ミシェルは半信半疑だった。
「違う。ヘタに絡むと、じゃあお前はどうなんだって返される可能性がある。華奢で女顔な貴様に負けたとなれば恥だ。勝負をふっかけられないよう、身体のことでイジるのは避けるはずだ」
「なるほど」
プライドの問題か。
「貴様そんな体たらくで、よく
「上の学年に従兄弟がいるので、困ったら頼るつもりだったんです」
「甘いな。ルームメイトや同級生ならまだしも、上級生なんて顔を合わす機会も少ないだろ」
「入学前に協力をお願いしたので、むこうも気にかけてくれてます。それにアランは生徒会の人間なので頼りになります」
公私ともに優秀で模範的な生徒は監督生に任命され、生徒を牽引する立場になる。
監督生の中でも選ばれし者は、寮をまとめる寮長や、学内で生徒をまとめる生徒会のメンバーになる。
ミシェルが女の身で男子校に行こうと考えたのは、一般生徒よりも強い権限を持つ従兄弟がいるからだった。
「アランって、副会長のアラン・ミルトアのことか。生徒会長のカイザー殿下は公務で欠席することが多いから、ヤツは会長と副会長両方の仕事を担ってる。個人の世話をする余裕があるとは思えないな」
「そんな……。でも、アランは約束してくれました」
向こうから協力を申し出てくれたし、実際に入学前にも色々手を貸してくれた。
「社交辞令だろ。助けは期待できないと思え」
「……」
「つまりルームメイトかつ同級生の俺は、最高の協力者だということだ! 俺の存在に感謝し、受けた恩に全身全霊で報いることだなァ!」
「……それでも、僕はアランを信じてます」
「チッ。つまらん」
ルーカスの言葉に少し揺らいだが、ミシェルはアランを信じることにした。
ミルトア家とバルト家の仲は良い。双子とアランは子供の頃から親しくしている。
アランは昔から気さくで誠実な、親戚のお兄ちゃんだった。
***
入学式から遡ること半年前ーー。
「精が出るな」
「アラン!」
ミシェルは、訓練所に現れた従兄弟に目を輝かせた。
アラン・ミルトアは、アドリア学院の騎士科の生徒であり、生徒会副会長だ。
文武両道で人当たりも良い彼は、自慢の従兄弟だ。
アドリア学院は全寮制だ。今は長期休暇の時期ではないので、何か用があって外出届を出したのだろう。
「今日はどうしたの?」
「伯父さんに用があったんだ。おっ、また木刀が新しくなってるな。今年で何本目だ?」
「三本。乱暴に扱ってるわけでもないのに、すぐ駄目になるから困っちゃう」
女とは思えないくらい、皮が厚くなった手のひらを見つめる。
いつの間にか、ドレスを着るときには手袋が必需品になっていた。
「木刀を壊すほど鍛錬する婦女子なんて、国中探してもミシェルくらいだろうな。……君達の性別が逆だったら、と思わずにはいられないよ」
「うん。私もそう思う」
弟の部屋がある一角を見上げながら、ミシェルはうなずいた。
「ミハイルは相変わらずなのか?」
「一日中絵を描いてる。食べきるまで見張らないと食事しないし、筆取り上げてバスルームに押し込めないと風呂にも入らないの」
「もう五年目か。最初は心配してたけど、今は逆にすごいと思うよ。スランプに陥ることもなく、ずっと創作を続けるなんて並の人間にはできないよな」
幼い頃からミハイルは外で身体を動かすことよりも、部屋の中で絵を描く方が好きだった。
他の家だったら、それも許されたかもしれない。
しかし彼はバルト家の男だ。
唯一の男児であるミハイルには伯爵家を、騎士団を率いていく義務がある。
騎士団については別の人間に現場を任せるという選択肢もあるが、それでも騎士達が認めるくらいの腕がないと人はついてこない。
体を動かすのが苦手なミハイルを連れ出すために、子供の頃からミシェルも一緒に訓練を受けた。
ともに父親から剣術を学んだ双子だが、この世は残酷だった。
代々受け継がれていたバルトの才は騎士になれない姉の方に開花し、騎士になるしかない弟はいつまでたっても凡夫以下だった。
ミハイルは剣が嫌いだった。
鍛えても体力がつかず、腕立て伏せもできず、握力も弱い。打ち合いでは相手の動きが見えず、言われたとおりの動きができない。
元々興味が無いことを、武人の家系だからと強いられていた。
ミハイルにとって、父親による剣の指導は義務であり苦行だった。
最初の頃ミシェルは弟に付き合っていただけだが、彼女は体を動かすことが好きだったし、鍛錬も苦ではなかった。
ミシェルは弟が嫌々訓練に参加していることに気づいていた。
バルト家の子供達がやる気も無ければ、才能も無いとなると、周囲をがっかりさせると思い、彼女は剣が好きだと全身で
きっと歯車はこの時から狂っていた。
渋々だったが、ミハイルは課せられた役目を拒否することはなかったし、訓練も休まなかった。
自分の片割れが、隣で目覚ましい成長を遂げても耐えていた。
何年やっても芽が出ない。
向いてないのは誰の目にも明らかなのに、降りることを許されない。
それでも頑張っていた。頑張らされていたのだが、母の死でポッキリ心が折れた。
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