section 23 停止した時間

 由紀の父は、この青年は娘の結婚相手で自分は医者だと告げ、医師資格証を提示して集中治療室に入り、カルテを見た。

 蒼真は背中から腰椎にかけての損傷が激しいためか、横向きに寝かされ、様々な機器とチューブが装着されていた。何気なく蒼真の胸に視線を移すと、そこには打撲によっていっそう色鮮やかに輝く十字の傷痕があった。

 父の身体中を衝撃が走った。そうか、娘が好きになった男は理屈や常識で測り知れない運命を背負った男かと初めて知った。娘の命を二度も救ったのはこういうことか…… よし、わかった。俺はこの男を支えよう、例え麻痺が残って下半身不随になっても支え続けようと決心した。

 妻に蒼真の十字の傷痕を見たと話すと、驚きながらも冷静に事実を受け止めた。「蒼真さんは由紀の運命の人なんだ……」、そう呟いて泣き笑いした。

「カルテには腰椎と脊髄損傷の疑いありと書かれていた。仙髄か胸髄なら希望が持てるが詳しくは検査しないと損傷程度はわからない。どうであっても僕は蒼真くんを支えると決めた。その準備のために仙台に戻るが、母さん、由紀と蒼真くんを頼む」

 そう言い残して仙台に戻った。


 事故から約1週間経過して、「由紀!」と突然叫んで蒼真は意識を取り戻したが、事故の記憶は完全に消失していた。医師は微笑みながら語りかけた。

「やっと目覚めてくれましたか。ここは神奈川の病院です。東月さん、あなたは東名高速の山間部で事故に遭いました。対向車線の大型トレーラーの運転ミスで、3名の方が亡くなられた悲惨な事故でした。幸いなことに東月さんの同乗者は軽症で、退院の日も近いでしょう、安心してください」

 蒼真の母が大声で由紀の病室に走りこんで、「蒼真の意識が戻ったの! 早く来て!」

 支えられて病室に入った由紀に蒼真は、

「由紀? 本当に由紀か? ユーレイじゃないよな? ごめんな、ヘマしちゃった」

「ヘマじゃないわ、また蒼真さんに助けてもらったの! ありがとう!」

 由紀が抱きつくと、「痛い! 触るな、まだ動けないんだ」と笑った。


 由紀は退院し、金曜日の夜行バスに乗って蒼真の病院を訪れ、日曜の夕方に東京へ帰った。蒼真は集中治療室は出たが、上半身は動くが下半身は感覚が失われて力が入らず、ベッドに転がったミノムシだった。寝返りするには両手を腰に当て、腕の力で腰を持ち上げてゆっくり回転させるしかなかった。

 医師はリハビリを頑張れば動けるようになり、自力歩行が可能だと言うが、次第に不安が広がった蒼真はケイタイで執拗に検索した。わかったことは、俺はどうやら腰椎の骨が砕け、脊髄もいかれたようだ。そうだったら俺の将来は車イスか…… それはまもなく嘆きと絶望に変わった。

 ある日、父は息子に提案した。

「神戸に転院する気はないか? そこでリハビリして元気になろう。神戸なら母さんがいつも付き添える。そうした方がいいと思うが、どうだ?」

「父さん、リハビリしても僕はどうせ一生車イスなんだろう、歩けないんだろ、先は見えている。イヤだ! ほっといてくれ! 僕は終わった人間だ。はっきり言ってくれよ!」


 そのとき由紀が病室に入ってきた。

「蒼真さん、駄々っ子みたいにどうしたんです? 聞いてくれますか、お願いがあります。仙台に来てください。父は裏にバリアフリーの家を建てる途中です。そこでリハビリしませんか? 母は外科の看護師だったのでお手伝いしたいと言ってます。私は卒業したら必ず戻りますから、仙台に来てくれませんか。頑張りましょうよ、お願いです、そして私と一緒に暮らしてください」

 突然、蒼真の母が口を挟んだ。

「由紀ちゃん、よく聞いてね。蒼真は普通の体に戻らないかも知れない、最悪の場合は車イスなのよ、そんな蒼真と結婚してもいいの? 今はそんな気でも絶對に後悔するわ! 気持ちは嬉しいけど蒼真のことは忘れてちょうだい、これ以上不幸になるふたりを見たくない!」

「君は君の人生を進みなさい、そうしなさい。そして次は幸せになって欲しい、そう願うしかない」

 蒼真の父は哀しい表情で由紀を拒絶した。


 由紀はその言葉を背中で聞いていたが、突然Tシャツを脱ぎ捨て下着姿でくるりと向き直った。白い肌にくっきりと十字の傷が刻まれていた。

 瞬時に時間が静止した。

「あーっ! これは蒼真とまったく同じ…… どうして? なぜなの?」

 両親は顔を見合わせて呆然と立ち尽くした。

 しばらく経って、停止した時間を取り戻すかのように、蒼真の母は「由紀ちゃん!」と叫んで抱きつき、大声で泣き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る