section 22 デジャブな事故!

 両親に幾度も礼を述べて、俺たちは東京に戻った。

 東京ではいつもの学生生活が待っていた。蒼真は毎月トヨタのセミナーに出席し、社会人の心得やコンプライアンスを学び、由紀は神戸でもらった譜面に夢中で、吉田先生も顔を出しては写譜していた。


 蒼真は卒業し、東京本社の経営企画部に配属されて社会人のスタートを切った。今まで住んでいたワンルームから通勤したが、学生のように自由に使える時間は僅かしかなかった。希少な時間に由紀を抱いてまだ見ぬ未来を語った。そんなある日、由紀は抱かれた後のぼんやりした顔で、

「先生が大学院に進みなさいと勧めてくださったんです。少し心が揺らいだけどやっぱり仙台に帰ろうかなあ。でも、仙台だと蒼真さんに会えないから、私なんか忘れられてしまいそうで、迷って……」

「そんなこと考えてるのか、君はピアノ教室を開く夢を実現しろよ。僕の気持ちは変わらない。今すぐは無理でも2年後に嫁さんになってくれるか? 僕を信じろよ、仙台はロンドンより近いぞ、ほんの2時間弱だ。心配するな、会いたいと思えばいつでも会えるさ。さあ続きをやろうぜ、いいだろう?」


 由紀の授業がない日は勤務先の東京本社の社食に呼んだ。従業員ファミリーのプレートを胸に下げた由紀とランチを食べ、学校帰りの由紀を夜の後楽園遊園地に誘って、デートを重ねた。

「蒼真さんのスーツ姿ってとっても素敵です。憧れちゃいます」

「子供の頃に僕に憧れたと言ったじゃないか、あれはウソか?」

「ふふっ、だっていつも一緒なので忘れてました」

「こら、そんなに甘えると僕のとこに泊りだぞ、覚悟はいいな」

 この幸せはずっと続くように見えたが……


 学生のように長い夏休みは取れないが、蒼真は会社の厚生部に書類を出して箱根の宿を確保した。由紀は楽しみにその日を待ちわびた。

 その日、蒼真はスカイブルーの車で由紀を迎えに来て、系列会社のレンタカーだから格安で借りられたと自慢げに説明した。

 旧盆のためか東名高速は混雑していたが、天候に恵まれた蒼真の車はトラブルもなく箱根に到着した。会社の保養寮だが、1940年代半ばまではナントカ公爵の別荘だった広大な日本建築の屋敷だ。時代遅れの設備で人気がなく宿泊客は少なかったが、由紀は三の間付きの豪華な部屋に感激して、「お姫さまになったみたい、嬉しい!」、蒼真にねだり続けた。

 箱根は初めてだと言う由紀をあちこちと案内して帰路に着いたが、昨日と天候は一変して夕方には小雨が降り出し、次第に本格的な大降りに変わった。

 

 吾妻山トンネルを抜けると、勢いを増した大粒の雨がフロントガラスを叩いた。視界が悪く50m先が見えない。確か、俺の前は4トンのコンテナ車だったが、連続するカーブの陰に重なって確認できない、雨で見えない。蒼真は恐怖を感じて減速した。

 その瞬間、何が起こったか蒼真はわからなかった。

 対向車線で打上げ花火そっくりの爆裂音を聞いた途端、閃光が走って真昼のように明るくなり、すぐ暗闇に戻った。今のはなんだ!! 眼を凝らしたとき、前方にコンテナ車が迫り、それは目の前で横転した。逃げられない! ハンドルを左に切ると同時に急ブレーキを踏んだ。衝撃で助手席から飛び上がって前のめりになり、フロントガラスに頭を強打した由紀の上に、蒼真は覆いかぶさった。由紀を絶対守る、守らなくては! 蒼真の意識はそこで途切れた。


 事故は、スピード超過の大型トレーラーがカーブを曲がりきれずにスリップして、対向車線に突っ込み、蒼真の前を走行していたコンテナ車を直撃した玉突き事故だった。8台の車両が巻き込まれ、3名の死者を出したが、懸命な救助活動で蒼真と由紀は緊急搬送された。

 ふたりの両親が病院に着いたのは未明のことだった。蒼真はフロントガラスを破壊して突入した金属の塊やガラス片が、背中や頭部に突き刺さった状態で救出され、すぐさま集中治療室に運ばれたが、意識がなかった。由紀は事故のショックで意識が朦朧としていたが、蒼真が守ったためか強度の打撲および擦過傷で済んだ。


 耳元で呼びかける懐かしい声に、ぼんやりと眼を開けた由紀は、

「ああ、私、どうしたのでしょう……」

「やっと気がついたか。わかるか? 父さんだ」

「はい、わかります、お母さんも。でも、蒼真さんは?」

 父は事故に遭ったことを娘に教えた。

「由紀は大きな怪我をしなかったが、彼は集中治療室に収容されて面会謝絶だ。考えられる限りの生還措置が行われているだろう、命がけで闘っている状態だ、彼の生命力にかけるしかない。普通は助手席の人間が大怪我するそうだが、彼は上から抱きついて由紀を庇った、それで負傷がひどいらしい。意識がなく深刻な状態だ」

「お父さん、蒼真さんに会えませんか、会ってください! どんな状態か教えてください。お願いです!」

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