section 19 蒼真の就活
帰省した蒼真に母は、「何だ、やっぱり由紀ちゃんは来ないの?」と落胆した。そんな母を横目で見ながら親父は、
「蒼真、お前は何度も恋をして幾度も失恋すればいい。俺はあの子を否定はしないが、彼女は芸術家だ、アーティストだ。お前よりもあの子を飛躍させる男が必要だ。ピアノを聴いてそう思った。それをあの子はわかっていない」
「何を言うのよ! 由紀ちゃんは世界的なピアニストになるつもりはない、子供を教えるピアノ教室を開くのが夢だと言ったのよ。あなたは由紀ちゃんのことを何も知らないで、勝手なことを蒼真に吹き込まないでよ!」
「やめてくれ! そんな話をするために帰って来たんじゃない、夫婦ゲンカはうんざりだ」
親父は黙ってしまった。父と母、それぞれ思いは違うが、俺と由紀を心配しているのが痛かった。親父は由紀の将来を考えて俺を能力不足だと案じた。それほどあいつのピアノは親父の心を掴んだかと、おぼろげにわかった。
翌日、就活の進展状況を親父に報告したが、
「この企業は大き過ぎないか? 単体で7万人、グループ全体で36万か、途方もない数字だ。世界にはWalmartの200万人以上なんて企業もあるが、巨大企業に入社したお前は歯車の一部、いや、歯車を支える微小なビスだろう。次の会社は一見堅実な同族経営企業だが、縁故採用が有名で社員の半数は縁故と聞いた。その次の企業は若者から見ると興味ある分野だろうが、一般入社は使い捨て要員だぞ。つまり、政治家や有名企業の子弟を採用してここまで業容拡大を実現した企業だ。お土産付き入社なら大事にされるだろうが、賄賂が蔓延る業界だ。
お前が学んでいる経営工学は発展途上の企業会計にこそ役立つと思うがどうだ? 既に巨体化した企業を内部から改革するのは至難の技だ。まだ時間がある、考えてみないか? 神戸には神戸製鋼や川崎重工、アシックスがある、就職は東京だけじゃないぞ」
両親に会った蒼真は想定外の不安を抱えて帰京した。由紀はどう考えているかと気になったが、いつもと同じの何も考えていない笑顔で蒼真を包み込んだ。親父は俺が由紀には力不足と指摘したが、こいつがアーティスト? 由紀は世界的なピアニストになりたい気持はないと言った。ピアノが天才的に上手い女子大生で、ピアノ教室を開いて子供を教えたいと望むなら、それでいいじゃないか。しかし、俺がいつまでも恋人でいたら由紀は羽ばたくチャンスを逃がすのか?
「どうしたんです? 元気ないです、疲れてますか?」
いっこうに大きくならない俺のアレを見た。
「もしかしてどこかで遊び過ぎたの?」
「そうじゃないよ! 親父からいろいろ言われて気が滅入っただけだ。だけど母は君の応援団長だ、驚いたよ」
ふふっと笑った由紀は、ぱくりとアレを口に含んで、「チビ蒼ちゃん、ガンバレ」と舌先で転がした。そんなことをされてはたまらない! ビンビンに刺激が走ったチビ蒼ちゃんは、脇目を振らずダッシュ&ゴーで決めまくった。いつの間にか部屋の灯りが消えた。
新学期早々、巨大企業から内定通知が届いたが、縁故採用の企業からは不採用の返事があった。しばらく経って大手広告代理店からも採用メールが届いた。親父に結果を知らせると、
「おめでとう! 合格した2社は業界を代表する企業だ。俺はもうツベコベ言わん、お前が選べ。ところで由紀ちゃんは元気か? 母さんが心配してるぞ、会いたいそうだ」
へぇ? 親父が“由紀ちゃん”か。ついに母さんに負けたなと思った。由紀はといえば、100年前からそうだったように、毎日ピアノに向かって真面目に大学に通っている。俺に甘えてねだるあいつに、他の男の影はない。
「あの~ 父は就職が決まった蒼真さんに会いたいそうです。医者の世界しか知らないので、いろんな話を聞かせて欲しいと言ってますが、忙しくて無理ですか?」
「お父さんの気持ちはすごく嬉しいが、話すことなんか何も持ってないよ。僕は若造で世間を知らない、経験もない、失望させるだけだと思うが、それでもいいのか?」
「蒼真さんの話を聞きながら、男同士でお酒を飲みたいなんて勝手に言ってますが、無視しましょうか? 夏休みは私一人で帰ります。今の話、忘れてください」
「ちょっと待ってくれ、母は電話で催促するんだ。君をいつ連れてくるのかと、うるさいんだ。よっぽど会いたいらしい」
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