section 2 転生したふたつの魂

 蒼真は乗降ドア付近に立って、薄汚れた夕日が多摩の山々に沈むのを窓からぼんやり眺めていた。まもなく電車は国立(くにたち)駅に停車し、疲れた人の群が目の前を通り過ぎる。はあ、どこかで会ったか? 見たかも知れない? 若い女が降りた。

 気のせいか? 親父の転勤で俺は10回以上も転校した。それでどこかで会った子だと錯覚したのかも知れない。蒼真は立川駅で降りて、コンビニで晩めしを確保してアパートに戻った。


 蒼真は実家を離れて都内の大学に通う学生で、週3回はゲーセンでバイトをしている。ケイタイが鳴った。

「前田だ、頼みがある、聞いてくれ!」

「嫌だ、オマエのろくでもない頼みなんか。金ならないぞ!」

「そう言うな、やっとデート出来そうだがワンペアはイヤだって、誰か連れて来いってさ」

「オマエは信用されてないのか、そんな女とデートするな!」

「ちょっと待て、ゲーダイの子だぜ」

「ゲーダイって上野にあるやつか、絵描きのタマゴか?」

「絵描きじゃない、ドレミだ。来いよ、頼むよ」


 数日後、蒼真は約束の居酒屋に行った。すでに前田太一はふたりの女子と待っていた。

「おい、こっちだ、こっちだ」

 スレンダーの女を見たとき、この子は電車で見た子か? 俺の視線を感じたその子は恥ずかしそうに小さく笑った。

「私は相川真理子、この子は石原由紀、よろしくね」

 元気で張り裂けそうな丸い顔の女が言った。

 石原由紀? どこかで聞いた名前だ。しばらくして思い出した。仙台の青葉小で、いつもボーッとサッカーを見ていた子と同じ名前だ。

「東月、見とれていないで自己紹介しろよ」

「僕は東月蒼真(とうげつそうま)です。東工大2年です、よろしく」

 由紀は大きな眼をいっそう大きくして蒼真を見つめ続けた。

「知り合いか?」

「いや、違う」

「お前が遅いから先に飲っていたが、相川さんはオペラ歌手志望でパートはソプラノだと聞いた。石原さんは卒業したらピアノ教室の先生になりたいそうだ。僕らと違って未来設計があってすごいと思ったよ」

 ベラベラしゃべり続ける前田と、ツマミを小皿に取り分ける相川を眺めて、こいつらは相撲部屋の親方とおかみさんのようだな、可笑しくなった。由紀は薄い水割りを抱えて、前田と相川の会話を笑って聞いていた。親方とおかみのトークでまあまあ盛り上がって、お開きとなった。

「石原さんは国立に住んでるそうだ。お前の一駅前だ。送ってやれよ、送り狼になるな!」


 蒼真と由紀は酒臭い人々で混み合った中央線に乗り込んだ。

「遅い時間ってこんなに混んでるんですね」、びっくりした由紀が人波の揺れに巻き込まれないように、蒼真は壁になって守った。「次は国立です」のアナウンスが響いた時、「まだサッカーは続けてますか?」と蒼真を見つめて由紀は降りた。

 俺が誰か気づいたようだ。あの子は仙台の石原医院の子だ、間違いない! 生まれつき心臓が悪くて学校も欠席がちだと聞いた。元気になったのか、もう一度会いたいと思った。前田を通せば相川さんから連絡が取れそうだが、前田に話したくなかった。


 蒼真は中央線に乗るたびに由紀を探したが見つからなかった。

 大判の譜面をたくさん抱えた由紀と出会ったのは、合コンから1カ月も経った頃だろうか。

「重そうだね、持つよ」、蒼真は『ショパン練習曲 Op.10.1-12』と書かれたそれを奪い取った。驚いた由紀にかまわず蒼真も国立で降りた。

「家まで送ってもいいけど、君が誤解されるとまずい。家は駅から遠いのか?」

「いいえ、学園通りを真っ直ぐ下って、右に曲がってちょっとです。あと少しで珈琲のお店があるから、そこで待ってくれませんか。譜面を置いて戻ります」


 珈琲店で待っていると、由紀は息を弾ませて戻って来た。おい、心臓は大丈夫かと言おうとしたが笑顔を見てやめた。

「君は僕が青葉小の時にサッカーをよく見てた子だろう? なぜいつも見てたんだ?」

「空高く飛んでいくボールが羨ましくて、ボールみたいにどこかへ飛んで行って、同じ場所に戻りたくないって思ってたんです。学校に行っても給食は食べれない、体育や掃除当番も出来ない、私なんかいないのと同じ…… つまんなくて消えたいと思ってたんです」

「みぞれ混じりの日に君は裸足だったが、そういうことか」

「私の友だちはピアノだけだった。でも少しづつ元気になれて、中学の終わりには学校に行けて、だんだん普通の子になれたの。でも東月さんはあれから学校にいなくなったでしょ」

「ああ、親父が転勤ですぐ転校したんだ。覚えているかい、君は2階の窓から手を振った」

「覚えてます、とっても嬉しかったけど恥ずかしかった。だって東月さんは憧れの先輩だったから」

「ヘェ~ 僕が?」

 由紀はにっこり笑った。互いのケイタイを教えてその日は別れた。


 由紀と再会した蒼真は、その夜また夢を見た。知らないおっさんが由紀の後を走って、「ユキコ―」と叫んだ。由紀は振り向いておっさんの胸に飛び込み、終わりのない熱いキスに喘いだ。その時、煮えたぎった血が身体中を駆け巡る刺激に襲われ、蒼真のアレは最大限に膨張して爆発した。

 これは小学6年の夢とそっくりだ。あのおっさんが裸のあの子を抱き上げた。おっさんの胸に俺と同じ十字の傷痕があった。それを見た俺は精通した。

 俺は今でも十字の傷痕がある。あの子はどうなんだ? 幼い由紀の胸にあった鮮やかな十字の傷痕を思い出した蒼真は、激しい渇望に溺れて再び暴発した。

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