運命の人 胸に十字の傷痕が……

山口都代子

section 1 遠い日の真実

 俺が死んだのはいつだ? 多分、ずっと昔だ。俺は“神の手を持つ若き心臓外科医”とおだてられたが、愛する人さえ幸せに出来ずに死んでしまった。あの日、愛車の2000GTもろとも崖下に転落して空を見上げたが、俺の名と同じの果てしなく広がる蒼天だった。なぜだ? どうして俺は死んだのか? 死んで償うような悪いことをしたか? いや、何もしてない、医者として多くの命を救った。なぜだ!

 雪子! 俺を追って死のうとした君を、いつも俺を偲んで泣き暮らした君を決して忘れはしない! 生まれ変わったら再び出逢って幸せになろう! 待っていてくれ、迎えに行く日まで……


 福岡に珍しく大雪が降り積もった寒暁、俺は雪子を迎えに行った。

「僕だ、蒼一だ、わかるか?」

「ふぁい? 蒼一さん?」

「そうだよ。迎えに来たんだ、怖くないよ、僕とあっちの世界へ行こう」

「えっ、私はどうしたのでしょう、死んだのですか?」」

「心配するな、この瞬間にキミが死ぬことは決まっていた、僕のせいではない。医者だった僕は命に関してウソは言えない、迎えに来ただけだ。離れの雪景色を覚えているか? 今朝はあの日と同じように雪が舞っている。キスしようとした唇が凍えて泣いていた。懐かしいなあ。おいで、キスしよう」

「蒼一さんは医者だからウソは言わないって、たくさんウソついたでしょ。昔とちっとも変わってませんね」

 雪子は笑って、蒼一の胸に飛び込んだ。


 冥界に時間は存在しない、永遠のように思えるが刹那のカケラかも知れない。ふたりはここで幾日過ごしたのか? たった1日のようで100年かも知れない。誰にも邪魔されない時空で、たくさん話をして愛し合い、楽しくて嬉しくて、抱いて抱かれて極快感に浸り、永遠にこの時間が続いてくれと願ったが、それは叶わぬ幻だと知っていた。次の日、雪子を光の炎が降り注ぐ丘に連れて行った。

「僕は行かなくてはならない。僕の心は言葉で言えないないほど君を愛している、僕は君で君は僕だ。必ず会える。心配するな」

 鋭いクリスタルの破片で、雪子の胸に十字を刻み、自分の胸にも同じ傷を刻んだ。泣きじゃくる雪子を抱えて涙を拭き、秋月蒼一は光の炎に包まれて消え去った。


 それから何年が過ぎ去ったのか、いや、何十年かも知れない……


 東月蒼真(とうげつそうま)は胸に大きな十字の傷を持って生まれた。転勤が多い父と転校を重ねたが、サッカーが得意で新しい学校、級友にすぐ慣れた。蒼真は背番号10のエースストライカーだった。170センチ近い長身が蹴り出すシュートは、小学生キーパーを翻弄した。

 ある日、蒼真はふと気づいた。いつもグランドの片隅で練習をぼんやり見ている女子がいる。サッカーが好きな感じはなかった。声を出して応援することはなく、高く蹴り上げられるボールをボーッと見上げるだけだ。炎天下やどしゃ降りの日も佇んでいるが、いつもひとりだ。


「あいつはどこの子だ?」

「ああ、あれは2丁目の石原医院の子だ。生まれつき心臓が悪くて、めったに学校に来ないらしい」

「ふーん、サッカーだけ見てるのか、何年生だ? 2年か?」

「弟と同じクラスで4年生だ。アレルギーがあって給食はアウトで弁当を持ってくるそうだ」

「ふーん、ずいぶん小さい子だなあ」


 仙台は冬の訪れが早い。朝から北風が吹き荒れ、午後には小雪混じりのみぞれに変わった。シュートしたボールは風に阻まれ、あらぬ方向へ流された。練習が中止されようとしたとき、グランドの隅にあの子がうずくまっていた。なんだあれは? どうしたんだ?

 近寄ると、パジャマの上にダウンコートを着ているが裸足だ。よくわからないが、何だか胸を押さえて苦しそうだ。

「早く先生を呼べ!」

 すぐ教師が走り来て心臓マッサージした。遠巻きに見ていた蒼真は、その子の真っ白な幼い胸に自分と同じ十字の傷痕を見た。その子は救急車で運び去られた。

 その夜、蒼真は夢を見た。見たことがないおっさんが「ユキコ―」と叫んで誰かを追いかけた。呼び止められて振り向いたのはあの子だった。あいつはユキコ? 雪子?

 翌日、同級生に訊いた。あの子はユキだ、確か漢字はこれだと「由紀」と書いた。


 しばらくあの子を見なかった。蒼真は下校時に遠回りしてあの子の家の前に立った。涙を溜めた眼で2階の窓から空を見上げていたが、俺に気づいて涙を拭った。手を振ったら、小さく手を振って窓を閉じた。

 再び夢を見た。前も夢に出て来た知らないおっさんが、裸のあの子を抱き上げていた。おっさんの胸に俺と同じ十字の傷痕があった。

「ユキコ、本当に会えたね。さあ、大人のキスをしよう、覚悟しろ!」

 おっさんに抱かれたあの子は、頰を染めて恥ずかしそうに微笑んでいた。あのおっさんは誰だ? 誰なんだ? 俺はいつまでも続くキスを見ていた。あの子はおっさんの腕の中に崩れ落ちた。ああ、俺の体は火のように熱くほてった……

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