第4話 西から来たもの
エバンス王国王立魔導学院では、いまも混乱が続いていた。ひと月前のユベール学長の死、そして人気教授であったラザール・シュバリエ氏の行方不明と、事件、事故として処理されたものの、不穏な出来事が相次ぎ、後ろ暗い噂が出回るようになれば、生徒たちの間でも動揺が疫病のように蔓延するのは当然の事と言えた。
そんな揺れる学院が、まだ学舎としての機能を失わずにあったのは、エバンス王国国王からの支援と、学院生徒会の統制力によるところが大きい。
「入ります。『魔女』殿」
学院内の一室。扉を叩いて入室の意を伝えた『
案の定、扉に鍵は掛けられていなかった。
「失礼いたします、『魔女』殿」
「……なるほど、そういうことさね」
恰幅のよい体型をゆったりとした紫色のワンピースに包んだ五十絡みの女性が、腕組みをして部屋の真ん中に立っていた。黒髪よりも白髪の多くなってはいるが、毛量豊富な髪を太い三つ編みにして背中に落とした横顔は、年齢相応よりも遥かに肌艶がよく清潔感があり、実年齢よりも若く映る。
「『魔女』殿?」
「ああ、イオリアかい。ちょっと、そっちを持って拡げてくれないかい?」
こちらが入室してきたことは認識しているが、集中し過ぎていて目の前のことを為す以外に注意を払う様子はない。イオリアに目を向けることはせず、彼女は正面……部屋の床に広く並べられたものに視線を落とし続けながら、手招きで手伝うように言っている。
イオリアは応じる言葉を発しようとして、飲み込み、床に拡げられたものを踏まないように迂回して『魔女』に歩み寄った。イオリアは思う。この状態の時の『魔女』の思考は、何かしらの確信に迫っているので、邪魔はしない方がいい。
『魔女』は自身のすぐ脇にあった木製の小さな机に、手にした大きな紙を拡げようとしていた。そっち、というのはこの紙の、彼女が持つ対角側の紙片のことらしい。
イオリアは無言のまま受け取るが、机の上にも様々なものが乱雑に置かれているのを見て、この状態では紙を拡げられないだろう、と思い、まずは机の上のものを除けようとした。
「シホは西の空から光るものが飛んできた、と言っていた」
しかし『魔女』は机の上を顧みることはなく、置かれたものを片腕で払い落とすと、手にした大きな紙を机の上に拡げた。
「……エバンスの西にあるのは」
「カレリア領オード。旧オード王国のあるオード半島……?」
「いや、それだと距離がありすぎるねえ」
『魔女』の手が拡げた紙の上を滑る。日焼けした紙に描かれているのはアヴァロニア大陸全土を記した地図で、その手は何かを求めるように動き続けていた。大陸南方、エバンス王国を発した手は、イオリアが言ったオード半島へ向かって西へと進む。地図上では海になるその部分を横断する手が、ある位置でぴたり、と止まった。
「……ここにあるのは?」
「……古都ミルズ・ベラ。旧王国時代には三万からの人間が暮らした、という都です。ですが……」
「旧王国の崩壊に伴って、大半が海へと没したと言われている。いま残っているのは多重構造をしていたと考えられている当時のミルズ・ベラの上層都市郡さね」
古都ミルズ・ベラ。旧アヴァロニア統一王国時代の都市遺跡である。魔法の力を暴走させたことが原因で滅んだ、と伝わる旧王国の戒めであるかのように、その大半は大陸南方の大海、アデリア海に沈んでしまっているが、まだ海上に顔を出している部分もある。大陸側から見るとき、それは巨大な構造物のみが突き立つ島のようだという。
「あたしの考えが正しければ、こいつが翔んできたのは、ここからだね」
「しかしフィッフス殿、ミルズ・ベラは……いや、そもそもこれは何なのですか?」
『魔女』フィッフス・イフスが示した、床に並べられた飛翔体の残骸と思われるものをイオリアも指して言った。フィッフスにはもう既に、このものが何であるのか、見当がついている様子だった。にやり、と口角が上がる。
「広義では『
「何か分かりましたの、イフス女史!!」
イオリアがそっと開いた入口の扉を、蹴り開けたのではないかと思うほどの勢いで開き、声の主は現れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます