第18.5話(前編) 魔王の破滅

 魔王バレーシアはベットの上で突然叫んだ。

「頭の中が腐っていく!

 頭の中が腐っていく!

 うわぁああああ!!!

 うわぁああああ!!!

 やだぁああああ!!!

 やだぁああああ!!!


 頭の中が腐っていく!

 頭の中が腐っていく!

 うわぁああああ!!!

 うわぁああああ!!!

 やだぁああああ!!!

 やだぁああああ!!!


 頭の中が腐っていく!

 頭の中が腐っていく!

 うわぁああああ!!!

 うわぁああああ!!!

 やだぁああああ!!!

 やだぁああああ!!!」

 バレーシアは頭を抱えながらベッドの中を転げまわっていた。

「ふぎいぃいいいいいい!!!! ぐぎぃいいいいいいい!!!!」

 突如響き渡る魔王の絶叫に一目散に駆けつけたのは、お眠り大臣のジャーナだった。

「魔王様!」

 ジャーナは明らかに異様な動きを見せる魔王に衝撃を受けたが、すぐに駆け寄ると暴れ回る手脚を掴んだ。

「何があったんですか?! どうしたんですか?!」

 ジャーナの呼びかけに、目があらぬ方向を向いた魔王が断片的に話した。

「ミミ……ミミノナカ……ミミ……ムシ……ムシがぁ」

「ミミ? ムシ? もしかして耳の中に虫が入ったんですか?」

 ジャーナがそう聞くと、魔王は痙攣したように頭を何度も振った。

 そして、急に起き上がった。

「はいまわっている!! はいまわっている!! 私の中で何かが喰い尽くそうとしている?!」

 魔王はベッドから降りると、手当り次第に物を叩き壊したりいた。

 ジャーナは唖然としていた。

 魔王の錯乱状態にさすがの彼女もお手上げだった。

「出ろ! 出ろ! 出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろぉおおおおおお!!!」

 バレーシアは壁に何度も頭をぶつけ、額から血が流れても叩き続けた。

 ジャーナはもう彼女にかける言葉もなかった。

 魔王の奇行をただただ見ていた。

 ジャーナの脳裏に魔王との幼少期の思い出が過ぎった。

 小さい頃に母を亡くし、いつも寂しがっていたバレーシア。

 ジャーナは彼女の手を取り、ソッと抱き寄せた。

――これからは私があなたのママよ

 その言葉が脳内に響きわたった。

 しかし、彼女の視界に広がっているのは、散乱した寝室と錯乱して傷だらけになった魔王だった。

 ジャーナは夢だと思いたかった。

 目が覚めたら、いつものように隣で子供のように眠る魔王がいる事を願った。

 しかし、残念な事にまごう事なき現実なのである。

 バレーシアは現実で親子が描かれた絵画を破っていた。

 バレーシアは現実で奇声を上げていた。

 バレーシアは現実で床のカーペットを歯で食いちぎっていた。

 バレーシアは現実でドアを叩き壊していた。

 バレーシアは現実で……そう。現実で。

 現実で、現実で、現実で、現実で!

 魔王バレーシアは悲惨な姿を見せていたのだ。

 ジャーナは悪夢であって欲しかった。

 だが、何度も目をつむっても夢から醒める事はなかった。

 そう。これは紛れもない現実なのだから。

 ジャーナはどうすればいいのか分からなかった。

 魔王の奇行をどうしたら止められるのか分からなかった。

 ふと彼女の指先に何かがあたった。

 チラッと見てみると、見慣れないものがあった。

 黒光りしたブーメランみたいな形をしていた。

 ジャーナは直感で昔本で読んだ武器を思い出した。

 確かその名を拳銃と言い、これで不老不死のエルフを殺したという。

 ジャーナはどうしてこんなものが魔王のベッドの上に置かれていたのかは分からなかったが、自然と拳銃を握っていた。

 使い方は何となく知っていた。

 うろ覚えの知識で標準を魔王に向けていた。

 バレーシアは歯ぎしりしながら奇声を上げていた。

 今は静止している状態なので、絶好のチャンスだった。

 ちゃんと弾が入っている事を確認すると、安全装置を外して魔王の頭を狙った。

 そして引き金を――ひこうとしたが、躊躇してしまった。

 ジャーナの手は震えていた。

 幼少期の頃から我が子同然に育ててきた魔王を自分の手で息の根を止めるのかと思うと、ためらってしまった。

 そんな事を思っていた時、ある不思議な事が起きた。

 奇行のバレーシアの姿が見る見るうちに変わり、幼少期の魔王に戻っていたのだ。

 魔王はジャーナの方を見ると、彼女の名を呼びながら駆け寄ってきた。

 ジャーナは銃を捨てて抱きしめようとした。

 が、それは幻だった。

 温かい紅茶に入れた砂糖のように溶けてしまった。

 次に現れたのは少し大人になった魔王だった。

「ジャーナなんか大ッキライ!」

 どうやら反抗期を迎えているらしく、そっぽを向いて走ってしまった。

 ジャーナは呼び止めようとしたが、これが幻だと気づくと掴もうとした腕が急に力を失ったかのように落ちていった。

「ジャーナ! ついに魔王になったぞ!」

 いつもの姿のバレーシアが満面の笑みでジャーナを見つめていた。

 彼女の瞳から自然と涙が流れた。

「今まで迷惑をかけてごめん。これからは民のために、母が成し遂げられなかった夢を果たすために頑張るよ」

 バレーシアの言葉に、ジャーナはますますアレが幻だと思いたかった。

 しかし、何度も言うが非情な事にアレが現実なのだ。

 若かりし頃の魔王の姿が消えると、また頭を壁に打ち付けているバレーシアがいた。

 ジャーナは絶望した。

 自然と銃口が彼女に向けられていく。

 すると、ドアが壊され開けっ放しになった入り口部分にストレートヘアの女性が立っていた。

 顔立ちは魔王に似ているが、彼女よりも大人びいていた。

「せ、先代様……」

 ジャーナはすぐに魔王の母だと気づいた。

 魔王の母は娘の奇行に悲しんでいる様子だった。

 どうやら亡霊らしい。

 魔王の母はジャーナの方を見ると、静かに首を横に振った。

 それを見たジャーナは銃口を自分のこめかみに向けていた。

「先代様、あなたの娘を守れず申し訳ございませんでした」

 ジャーナはそう言って、引き金を引いた。

――パンッ!!!

 室内に響き渡る銃声。

 魔王の母は悲壮感漂う顔を浮かべたまま消えてしまった。

 すると、今まで奇行を繰り返していた魔王がピタッと止まった。

 ゆっくりとベッドの方を向く。

「ジャーナ!」

 力尽きた家臣に駆け寄ると、彼女を抱き寄せた。

 バレーシアの瞳はいつもの燃え盛る炎みたいに燃えていた。

「ジャーナ! ジャーナ!」

 ようやく正気を取り戻した魔王は酷たらしく自決した家臣に困惑していた。

 魔王バレーシアは何も覚えていなかった。

 せいぜい悪夢を見ていたという記憶しかなかった。

 気がついたら寝室がメチャクチャで、長年寄り添ってきた家臣が死んでいる……これが悪夢だったらどれほど嬉しいか願った。

 しかし、現実だ。

「ジャーナ……ジャーナぁぁぁぁ……」

 魔王は家臣を抱きしめたまま嗚咽を漏らした。

 脳内では彼女との思い出が蘇った。

 すると、どこかで歌声が聞こえた。

「ね〜むれ〜♪ ね〜むれ〜♪ 安らかに〜♪ 夢の中へ〜♪」

 これは間違いなくジャーナのものだった。

 魔王はハッとした。

 そうか、自分は夢の中にいるんだ。

 これは単なる幻の一部で、あの歌声の方に向かえば、自然と目が覚める。

 そして、隣にはジャーナがいつも通りに「おはよう」と挨拶をしてくれる――バレーシアはそう思い込んだ。

 ゆっくりとジャーナの亡き骸をベッドに寝かせると、フラフラと立ち上がった。

「ね〜むれ〜♪ ね〜むれ〜♪ 安らかに〜♪ 夢の中へ〜♪」

 歌声は彼女を道案内してくれた。

 バレーシアが迷いそうになった時は必ず歌声が聞こえてくるのだ。

 だから、魔王は迷う事なく、一切歩みを止める事なく進んだ。

「……ねーむれ……ねーむれ……安らかに……夢の中へ……」

 バレーシアは無意識に子守唄を口ずさんでいた。

 うわ言のように口をパクパクしながら進んでいく。

 しかし、一瞬だけやけに静かすぎる事に疑問が浮かんだ。

 衛兵や兵士達はどこにいるのだろうと思ったが、これが悪夢の中だと解釈すれば問題なかった。

 早く夢から醒めるために魔王は急いだ。

 駆け足で向かうと、大広間に出た。

 いつも家臣や魔王八天王達に怒声を浴びせていた謁見の間だった。

 魔王は既に家臣達が待機している事に気づいた。

 バレーシアはホッとした。

 本当に誰もいなかったらどうしようかと思っていた。

 悪夢だと思っているが、内心は心細かったのだ。

「お前達、私が来たんだぞ? 挨拶をしろ!」

 バレーシアはようやく魔王らしい振舞をしたが、衛兵達はジッと見つめたまま静止していた。

「聞こえなかったのか?! 魔王が来たんだぞ!」

 バレーシアはそう叫ぶが、先程と同じ反応だった。

「お前ら……いつからそんなに生意気になったんだ」

 魔王は足早に一人のトカゲ頭の衛兵に駆け寄った。

「手厚いしつけが必要だな!」

 バレーシアはそう叫んで衛兵に殴りかかろうと――した時。

「貴様! 生きて帰れるとは思うなよ?!」

 突然衛兵が叫んだ。

「……は?」

 魔王は困惑して、攻撃をためらってしまった。

「お前、何を言っているんだ?」

 バレーシアはそう声をかけるが、衛兵は「貴様! 生きて帰れるとは思うなよ?!」と同じ事を言った。

「それは分かった。なぜ魔王の前でそんな無礼な口を聞けるんだ?」

「貴様! 生きて帰れるとは思うなよ?!」

「まだ言うか! お前、本当に……」

「貴様! 生きて帰れるとは思うなよ?!」

「いや、あの……」

「貴様! 生きて帰れるとは思うなよ?!」

 最初は衛兵が無礼を働いたかと思ったが、何度も声をかけていくうちにある不審感が芽生えた。

 魔王はトカゲ頭の衛兵をスルーして、今度はゴブリンの衛兵に声をかけた。

「おい」

 バレーシアはそう呼ぶと、「グヘヘヘ!! 魔王様は今日も美しいなぁ!」と気持ち悪い声を出してた。

「なっ……てめぇ!」

 魔王は怒り混じりに魔法を放とうとした。

 が、発動できない事に気づいた。

 何度も何度も試みても結果は同じだった。

「な、なんで……」

 バレーシアは困惑していると、ふと自分の玉座に目が行った。

 魔王の母が鎮座していた。

「ママ!」

 バレーシアはすぐに駆け寄ったが、母はかすみのように消えてしまった。

「あ、あぁ……」

 魔王はうなだれた。

 玉座の肘掛けに血まみれの額を擦りつけていた。

「これは……これは呪いなの? 多くの人を殺めた罰……?」

 魔王は独り言のように呟くと、背後に視線を感じた。

 バッと振り返ると、そこには群青ぐんじょう色のコートを着た男が立っていた。

「お前……誰だ? 家臣ではないな」

 魔王はそう尋ねるが、男は黙っていた。

 男の様子に魔王はハッとした。

「貴様……これはお前の仕業かっ!!!」

 バレーシアは立ち上がると、男に向かった。

「言う事を聞きなさい。バレーシア」

 男がそう言うと、魔王は金縛りにあったかのように動けなかった。

「なっ、あっ、ぐ……」

 魔王は懸命に振り払おうとしたが、抵抗も虚しく玉座に腰をおろした。

 すると、さっきまでの苦悶としていた顔は嘘みたいに、いつもの余裕綽々といった顔をつきをしていた。

 男はコートのポケットから手帳とペンを取り出すと、魔王の方に近寄った。

「フハハハハハハハ!!! よくぞ来たな! お前らの旅はここでおしまいだ!!」

 バレーシアはいきなり叫ぶと、また静かになった。

 男は手帳を開いた。

 ページには色んな名前が書かれていた。

 その中に『バレーシア』という名前が書かれていた。

 その下には『ジャーナ』という名前があり、隣にバッテンが書かれていた。

 男はバレーシアの名前の隣に丸を付けると、そのまま去っていった。

 

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