第35話 会計課(2)(テリー視点)
サクラ様の畑の被害額の概算を出すために、会計課の文官を呼びに行った。
会計課には複数の文官が在籍しているが、その中でも懇意にしているベテランに頼むことにした。
「お忙しいところ申し訳ありません。シリアン殿下絡みのちょっとした事故で畑を台無しにしてしまいまして。弁償することになったんですが、その概算を出していただきたいんです」
説明しながら並んで廊下を歩く。
「被害に遭われた方の身分によって算出方法が大きく変わりますが、よろしいですか?」
相手が高位貴族であれば、弁償額が跳ね上がるということだろう。
頷きながら、モブ家という貴族を知っているかと尋ねると、彼も聞いたことがないと首を捻った。
「もしかして、その被害者は殿下の例の恋人ですか?」
彼が声を潜めて遠慮がちに聞いてくる。
毎月、会計課の窓口になっている彼に離宮の会計報告書を手渡している。
先月の交際費とその内訳をチラっと見た彼に「おめでとうございます」と言われたのが、つい先日のことだ。
シリアン様にいい人ができたことを察してくれたようだった。
だからこちらも、つい口が滑らかになってしまう。
「これはまだ非公式ですので、どうぞご内密に。その彼女と結婚することでご本人同士が合意いたしました。あとは彼女の家との話し合い次第ですね」
「そうですか! なんとおめでたい。あの夜会がきっかけでしょうか?」
「そうです」
「実は、あの夜会にはうちの娘も参加していたんですよ。といっても、数合わせですけどね……あ、この言い方だと殿下に失礼ですね。どうぞこの発言はご内密に」
「もちろんです。そうでしたか、お嬢様も参加されていたんですね」
その「お嬢様」がサクラ様のことだと発覚したのは、この5分後のことだった――。
******
「まさか『モブ』がそういう意味だとは思いませんでしたよねえ」
モブもサクラも名前ではないという説明を聞いて、大きな勘違いにようやく気付いたシリアン様と俺だ。
「家名だと言ったのはテリーだろう。モブ家の家訓はどうのこうのとか、いったいどんな思い込みだ。継母もいないらしいじゃないか」
「なにをおっしゃいます! そもそも、彼女の名前はサクラ・デ・モブだと最初に言ったのはあなたですよ?」
シリアン様と顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。
今となってはその勘違いのまま会話が成立していたのがおかしくてたまらない。
思いがけない親子の邂逅と、その後の彼女のしどろもどろな説明、そして父親の混乱――挙句の果てに、シリアン様がその場で「あなたの息子にしてください」と頭を下げて、「お父様、お父様」といつもの強引な朗らかさで迫ったものだから、父親は倒れそうになっていた。
そして「今日はもう仕事が手につかない、すぐに妻と話し合わなければならない」と言う理由で父親は早退することになった。
父親とともに馬車に乗り込もうとした彼女を、シリアン様が引き留める。
「結婚を反対されてしまうだろうか……」
「大丈夫じゃないですかね、お断りするという選択肢は、我が家にはないと思います。いろいろと話し合わなければならないことは山積していますけど」
その言葉を聞いてホッとした様子のシリアン様が嬉しそうに笑って彼女を抱きしめた。
「改めてきみの口から、名前を聞かせてもらえないか」
彼女は、うふふっと笑い、シリアン様を真っすぐ見上げて言った。
「わたしの名前は――――」
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