第32話 痺れ茸の毒(1)
わたしたちが到着したとき、王城の中は「奇病が発生した!」と大騒ぎになっていた。
「シリアン殿下、これ以上奥へ行かれてはなりません。伝染する恐れのある奇病が……」
シリアン様が衛兵の言葉を遮った。
「知っている。その奇病の解毒剤を持ってきたから、我々を通してもらえないか」
わたしたちは敵のアジト――エミリア妃の居室のことだが――に乗り込むにあたり、痺れ茸の胞子が蔓延している最悪の事態を想定してストールを頭からかぶり首に巻き付けけて鼻と口を覆っている。
見た目があやしいのは大目に見ていただきたい。
ドアの前には、エミリア妃の夫である第一王子のリチャード様とその側近らしき男性が立っていた。
艶やかな栗色の髪にエメラルド色の瞳の涼し気な目元。凛々しい眉毛。
衣服の上からでもよく鍛え上げられているとわかる男性らしい体躯。
シリアン様とはタイプの違う精悍な王子様だ。
愛妻が奇病に侵されたと聞いて、たとえ伝染するおそれがあるのだとしても居ても立ってもいられずにここまで駆けつけたらしい。
それなのにエミリア妃はドアに鍵をかけて閉じこもってしまい、医師の治療も受け付けない状況なんだとか。
リチャード様はエメラルドの瞳をオロオロと揺らしていたけれど、シリアン様が解毒剤を持って来たと説明するとホッとした様子を見せた。
そんなリチャード様とその側近に「中に入るならこれを」と言ってテリーさんが予備のストールを手渡す。
「エイミィ、弟のシリアンが良い薬を持ってきてくれたよ。ここを開けてくれないか」
リチャード様がドア越しに優しく語りかけた。
するとカチャリと開錠の音がして、ほんの少し開いたドアから無言のままメイドの制服の腕が伸びてきた。
薬だけ寄越せということかしら。
随分と図々しいわね。
するとテリーさんが、
「その前に確認したことがございます。解毒剤をお渡しするのはその後です」
と言ったかと思うと、ノブを勢いよく引っ張り強引にドアを開け放ったのだった。
ドアに引きずられて転がるように出て来たメイドの顔を見て、一同がギョッとしている。
顔がパンパンに腫れていたのだ。
わたしはラミから痺れ茸がどのような症状を引き起こすのか聞いていたから知ってはいたけれど、実際に見てみるとこれはなんとも痛々しい。
痺れ茸の胞子にやられたエミリア妃、付き人のふたり、そしてメイドの唇やまぶたは真っ赤にふくらみ、顔の判別ができないほどになっていたのだった。
さらには唇が真っ赤に腫れて痺れているため上手くしゃべれないエミリア妃は、部屋の隅まで逃げて顔を両手で覆い泣き出してしまった。
リチャード様はそんなエミリア妃に躊躇なく大股で近寄っていき、彼女を優しく抱き寄せた。
「大丈夫。顔が腫れているエイミィも可愛いよ」
なんという夫婦愛。
と感動している場合ではない。
わたしは「失礼」と断って急いで部屋中の窓を開け放った。
部屋に残る胞子があるかもしれない。それを外へ追い出すためだ。
屋外へ放出された胞子は拡散して薄まるため、窓の外に人がいたとしても害はない。
痺れ茸はもともと医療用の強力な局所麻酔として重宝されている貴重な素材だが、経口で吸い込んでしまうと顔が腫れ唇が痺れる。
量さえ間違わなければ、イタズラ薬にもなる。
イタズラしたい相手の紅茶にこっそり混入したら数十分後に顔が腫れはじめ、体内から成分が抜けるまでの2、3日その症状が続くらしい。
プライドの高い貴族であればあるほど、部屋に籠るしかなくなる。
ライバルを蹴落とすために大事な行事に参加させないとか、舞踏会をドタキャンさせてそのパートナーを奪う目的で、ラミが若い頃にはよく裏取引されていたようだ。
現在それがなくなったのは、薬の取り扱いの規制が厳しくなったことと、痺れ茸が昔ほど採れなくなりすべてを医療用に回さなければならなくなったこと、そして薬事法に抵触しないもっと安価でお手軽なイタズラ薬が多数開発されたことが挙げられるらしい。
そうして痺れ茸の形状や取り扱いの注意点、どのような症状を引き起こすか、解毒剤の作り方といった知識は、ごくごく限られた一部のベテラン専門家以外には知られないものとなった。
床でぐったりしている付き人の女性ふたりは、症状が重いようで苦しそうだ。
おそらくこのふたりが畑を荒らした実行犯だろう。
早朝に畑で吸い込みまくり浴びまくった痺れ茸の胞子は、靴を履き替えたり手を洗った程度で消え去るものではなく、体中に残ったはずだ。
その体で犯行を指示したエミリア妃の朝の着替えやお化粧といった身支度を行った結果がこれなのだろう。
身に着けている服を今すぐここで脱げと言いたいところだが、男性たちの前でそれを実行してもらうのはさすがに酷であるため、糾弾は手短に済ませて欲しいとテリーさんに目配せをした。
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