第31話 解毒剤(2)(テリー視点)

 時は少しさかのぼりこの日の朝のこと。


「約束と違うだろう!」


 畑に向かう馬車の中で、シリアン様が珍しく声を荒げて怒っていた。

 それもそのはず、夜会でのボヤも今回の一件も、リチャード様はおそらく関与していない。


 だからこそ夜会後の側近定例会で俺が無関係の人間を巻き込むようなことをするなと言った時に、リチャード様の側近が「設備の老朽化だろう?」と言ったのだ。

 あれは、自分たちは関与していていないと暗にほのめかす発言だったわけだ。

 

 到着した我々が見た光景は、ぐちゃぐちゃに荒らされた畑だった。

 サクラ様が毎日あれほど世話をして、精魂込めて育てている薬草も野菜も何ひとつまともに残されていない、徹底的な破壊だった。


 意味が分からない。

 なぜが、そんなことを指示するのか。


 シリアン様はガックリうなだれていた。

「サクラは無事だろうか……」


「サクラ様を殺すような真似まではしないはずです。大丈夫ですよ」

 そう励ましながらも、今後のことを考えると気が重い。


 側近の様子がおかしかったというだけでは証拠にならない。

 早くもっと確たる証拠を掴んでやめさせなければ、嫌がらせはどんどんエスカレートしていくだろう。


「サクラの無事を確認したら、もう会うのはやめる。弁償の処理はテリーに任せる」


 シリアン様は長いまつげを震わせて泣いていた。


 我が主はとても優しい人なのだ。

 愛する人に危害が及ばないよう自ら身を引いて、しばらく離宮に籠り続けるつもりだろう。


 夜会当日に期待と不安でソワソワしながら身支度をしていた少年のようなお顔や、運命の人を見つけたと嬉しそうに笑っていたお顔、プレゼントに何を渡そうかと首をひねる幸せそうなお顔を思い出すにつけ悔しさが募り、奥歯をギリギリと噛みしめた。


 しかし元気な姿でやって来たサクラ様は、こちらの予想を大きく上回ることをしてくれた。


 会うのはこれっきりだと別れを告げるシリアン様に、モブ家の人間は逞しいからこんなことではへこたれないと女神様のように微笑み、なんと「すぐにでも結婚しましょう!」とプロポーズまでしたのだ。


 ――いつかここから私を連れ去ってくれるお姫様が現れるかな?


 いつだったか、シリアン様が冗談めかして言った言葉が脳裏に蘇る。


 本当に現れたんですね、あなたのお姫様が。



 おまけにサクラ様は、犯人ならすぐにわかると言い、さらに苦しんでいるだろうから解毒剤を作るという慈悲深さまで見せた。

 まさかリスのフンを集めることになるとは思わなかったが。


 しかしサクラ様の説明を聞けば聞くほど、なるほどそれは確かに強烈なしっぺ返しを食らわせることができると、心の中で高笑いが止まらなかった。


 解毒剤を持って王城へ向かう馬車の中でシリアン様の説明を聞いた彼女は、ボヤ騒ぎと今回のことはリチャード様の仕業なのかと聞いてきた。


 違う。

 リチャード様は他人を巻き込むようなことはしない。


「それがどうも違うんだ……。ボヤ騒ぎの時もいつもと違う気がしてどういうことなのか考えていたら、きみが『早く逃げましょう』って手を引いてくれたんだったよね♡」


 あ、マズい。

 シリアン様の語尾にハートマークが付き始めた。

 深刻な話をしている途中だというのに、まったく我が主ときたら……。


 話がそれないうちに引き戻すことにした。


「率直に言いますが、実は今回の件の首謀者は、リチャード様の奥様のエミリア様だと思われます」


 エミリア妃は6年前に隣国から輿入れしてきたお姫様だ。

 外交関係の強化のために幼少の頃からリチャード様との婚約が決まっていた政略結婚ではあったが、夫婦仲は良好だと聞いている。


 いかにも庇護欲をそそる華奢で儚げな美人でリチャード様ともよくお似合いなのだが、なかなか子宝に恵まれないことを気にされているらしい。


 そのことがシリアン様の恋愛を逆恨みする理由につながるのだろうか?

 真相は王城でゆっくり、ご本人から聞くことにしよう。


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