第10話 モブの心得(1)
第三王子の夜会でボヤ騒ぎが起きた事件は王都でもたちまち噂になり、みんな口をそろえて「やはり残念王子だ」と頷き合っている。
ハーブと薬草を納品しに行き、ラミとお客さんたちがその話題で盛り上がっているのを目にするたびに、あの綺麗な顔と手を思い出した。
気に入って買った赤いヒールを自ら折ってしまったことに後悔はない。
一生関わることがないと思っていた王子様のご尊顔をあんな至近距離で拝めただけでなく、手まで繋いだのだ。
お土産に持ち帰ったクッキーも弟たちに好評だったし、いい思い出になった。
モブとして、これ以上望むことはなにもない。
いや、望んだりしたらモブ失格だ。
ちなみに「モブ」という言葉を教えてくれたのは、学生時代に1年間だけ机を並べた同級生だった。
学園祭でクラスごとに演劇を披露することになり、わたしと彼女はセリフのない脇役だった。
役名は「村人A」「村人B」だったと記憶している。
「わたしたちみたいなのを『モブ』って言うのよ」
「モブ?」
「そう。名前もセリフもないその他大勢の群衆っていう意味」
「ふーん」
彼女の父親は世界各地の言葉を収集して研究する学者で、転校してきて1年でまた他の国へと行ってしまった。
ちなみに「サクラ」がイベントを盛り上げるために紛れ込ませたニセの客を表す言葉だと教えてくれたのも彼女だ。
演劇の役どころだけでなく、わたしの人生そのものが「モブ」だと思う。
目立たず地味で実直に暮らしていく「その他大勢」でもなんら問題ない。
幼い弟たちが大きくなったら誰かいい人を見つけて結婚して、ごく普通の家庭を持ってみたいという夢もある。
着飾って参加した夜会と麗しいシリアン様のことをすでに良い思い出として記憶の格納庫にしまい込んだわたしは、カボチャの収穫に精を出した。
あの夜会から一週間が過ぎた頃、靴屋にヒールの折れた赤い靴を持って行ってみた。
修理のついでに、買った時のような高いヒールではなく普段用にぺったんこな踵を付けてもらえないかと相談するためだ。
カウンターに靴を置いて職人に事情を説明している時だった。
「やっと来たか、シンデレラ」
いきなり背後から肩を掴まれて驚いて振り返ると、そこにはフードを目深にかぶった背の高い男性が立っていた。
シンデレラって誰!?
「いえ、あの、人違いだと思いますが……」
「いつ靴の修理に来るんだろうと思って、毎日この店に張り込んでいたんだよ。今までどうしていたんだ?」
「えっと、最近はカボチャの収穫で忙しくて……?」
「ほら! やっぱりシンデレラじゃないか!」
嬉しそうに笑う口元をどこかで見たことがあるような気がするけれど、それどころではない。
さっぱり意味がわからないんですが!
「おやめください、怖がってらっしゃるじゃないですか」
フードの男の後ろから、別の男性が呆れた声で窘めながら姿を現した。
この人も見覚えがある気がする。
場所を移そうと言われたが、わたしは首を横に振った。
「わたしは靴の修理に来ただけですので、本当に人違いです」
するとフードの男が懐から取り出したものをわたしに差し出した。
それは紛れもなく、あの夜会でわたし自身が折った赤いヒールに違いなかった。
あの時、このヒールを拾ったのは――。
「思い出してくれた?」
フードを少しずらして群青色の瞳を楽し気に輝かせながら、シリアン様が笑っていた。
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