第8話 サクラ・デ・モブ(テリー視点)(1)

 恋人が欲しいなあ。


 シリアン様がそんなことを言いながら紅茶のカップを優雅に口に運ぶ様子を傍らで眺めていた。


「どうせなら恋愛結婚したいよね。そう思わないか、テリー?」

「……お答えしかねます」


 恋愛ぐらい好きにしろと言いたいところだが、俺が仕えるこの不遇の王子にそんな自由はない。


 年の離れている腹違いの兄王子たちは、シリアン様をとても可愛がっていたと聞いている。

 しかし俺が仕えるようになった7年前、15歳になったシリアン様は、すでに孤独だった。


 実の母親が急逝し(毒殺という噂もある)、本人も「不運」では片付けられないほどの酷い目に遭うことが多く(平たく言うと暗殺未遂だ)、周囲を巻き込みたくないという理由で学校を退学して離宮に移り住み家庭教師に切り替えたと聞いている。


 外出は国家行事の参列と年に数回の孤児院の慰問のみで、あとは離宮の書庫で本を読み耽る日々だ。

 特に女性向けロマンス小説がお気に入りで、その影響で思考が少々「乙女」なところがある。


 こんな風に第三王子を持て余し飼い殺しにしている一方で、早く貴族の娘と結婚して王室を離脱させろと思っている者も多い。

 元踊り子の妾の子供を玉座に就けてなるものかと考える一派が、シリアン様を早く追い出したがっているのだという。

 このままではまた命を狙われることになりかねない。


「いつかここから私を連れ去ってくれるお姫様が現れるかな?」

「それは絵空事です」

 思わずそう言ってしまった。


「じゃあ恋愛経験豊富そうなテリーに現実の恋愛をレクチャーしてもらおうか」

 綺麗な顔で迫られ、自分の恋愛遍歴を白状させられる羽目に陥ったのだった。




 シリアン王子の婚約者探しをするための夜会を開催する――公には知られていないが、実はこれは国王陛下から直々のお達しだ。


 恐妻家で知られる国王陛下がいよいよ王妃様にせっつかれてシリアン様を追い出しにかかったのだろう。

 通常ならば、こんな方法を取るまでもなく婚約者ぐらい決まるものなのだが、水面下でずっと婿入り先を探していたのに断られ続けてついに公募に切り替えたのかもしれない。


「同年代の女の子と喋るのなんて何年ぶりだろうね?」

 シリアン様は夜会をとても楽しみにしていた。


 なかなか参加者が集まらないと聞いていたが、当日は40名ほどの令嬢が参加してくれた。

 この中にひとりぐらい、シリアン様と意気投合するご令嬢がいるかもしれないと期待していただけに、ボヤ騒ぎで夜会を台無しにされてひどく失望した。


 厨房からのボヤで済んだものの、ひとつ間違えば離宮が全焼していたっておかしくない。そうなればたくさんの犠牲者が出ていただろう。

 

 夜会当日、離宮の常駐メンバーだけでは足りないため王城から助っ人が大勢が来ていた。

 ボヤ騒ぎを起こせと指示を出したのは誰で、それを実行したのは誰だろうか。

 心が黒い靄で覆われて落ち着かない。


 なんとお気の毒なシリアン様――そう悲嘆に暮れていたのはどうやら俺だけだったらしい。

 当の本人は、なぜか浮かれていた。


「私の手を引いてね『一緒に逃げましょう!』って。あの子が私をここから連れ去ってくれる運命の人だよ、きっと」


 ああ、なんたる乙女。


「そのご令嬢のお名前は?」


「なんだか耳慣れない不思議な名前だったな。たしか『サクラ・デ・モブ』と言っていたと思う」


 にこにこ笑うシリアン様を眺めながら、モブという家名の貴族なんていただろうかと頭をフル回転させたのだった。



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