7 ソロ・ウン・エクストラーニョ
地面で蝶が死んでいる。
蟻の列が蝶の腹に連なる。
蝶の腹は蟻の海に飲まれていく。
「
ランプの中の炎がゆらめき、炎の中で蟻たちは帰路につく。
◆◆◆
試練の儀礼がはじまった。
フアンとロドリゴが
ダリオとその息子の片割れ、ドロテオは太鼓をたたく。
もう一人の息子、エミリオはしなやかな手足を振り回して、礼拝堂の中をまわりはじめる。
彼に先導されるようにして、皆が踊る。
僕は、カルパを口に放り込む。タバコの灰を噛み締めたような苦み。
「
僕のまわりで皆が歌う。
マイエンをひとつまみ。汚泥のような生臭さと土臭さ。
「
僕の口が勝手に開く。
ごぼっという音とともに、緑と茶色の胃液が飛んでいく。
輝きが綺麗な弧を描いている。
胃液で空に虹をかけられるだろう。
「
「
身体に異物をいれたときの当たり前の防御反応。
僕もこれまでの儀礼で見てきたものだ。
なのに、自分が同じ目にあうとはまったく想像しなかった。
自分だけはなんとかなるのではないかと思っていた。
いつもそうだ。
僕は誰からも認められないことをやっているのに、なんとかなると思っている。
僕の前途は真っ暗で冷え切っているのになんとかなると思っている。
「
すでに吐瀉物で汚れきったローブの袖で口元を拭う。
「
僕は炎を見つめ続ける。
炎の中で蝶が揺らぐ。
鮮やかな翅は炎に焼かれず、ゆらめく。
「
蝶が飛んでいる。
蝶は僕の導き手だ。
蝶が飛ぶ。僕も蝶になる。
僕は僕を殺して僕になる。
◆◆◆
僕がブルホに生まれ変わろうとしている時、轟音が鳴り響いた。
パラパラと音がする。
僕がヘビよけにもっている散弾銃とは異なりながら、暴力的という点では全く同じ音。
掃射の音、足音、怒号。
踊っていたアンセルマの足が飛び散った。
ダーダの孫、幸薄いアンセルマ、外に出ていったのに、一人でこの地に戻ってくることになってしまったアンセルマ。
葦笛の音は悲鳴にかわる。
「
僕のラジオが海外安全情報を歌い出す。
アナウンサーがバリトンで隣国の将兵の行動を奏でる。女性アナウンサーがテノールで追いかけ、ニュースは輪唱になる。
「◯◯◯において、昨日起こった大統領襲撃事件の後、各地の軍が呼応するかのように蜂起しました。◯◯◯の管轄をおこなう在ペルー大使館によると、蜂起した軍は実際には連携しておらず、各地で軍閥と化して、周辺地域を巻き込み、略奪をおこなっているとのことです。滞在しているチノとハポネスに深刻な危険がおよぶ可能性が高いと考えられています。非常に危険ですので、直ちに精霊の助けを借りてください借りてください借りてください」
僕のゆらぐ視界の中でダーダが立ち上がる。
彼女は僕の前にあった薬物をひったくると、息を吹きかけ飛ばす。
粉状の薬物は黒い霧となる。礼拝所に突入してきた兵士たちが次々と倒れていく。
礼拝所の真ん中、ゴザの上に座る僕の足元に兵士が転がる。
腹にめりこむようにあたったヘルメットが引き金となり、僕は盛大に嘔吐する。
「
兵士が吐いた血と僕の吐いた緑の胃液が連なり合って、虹を描く。
「
虚ろな兵士と見つめ合う。
「
ダーダが呼び出したカラスが兵士の目玉をつつく姿。
僕は蝶に姿を変え飛びたとうとする。
フアンが何かを唱えると、彼は大きなヘビとなる。
ボアよりもさらに大きいヘビが小隊長らしき士官に巻き付いた。
みしりみしりという音、ぱきりぽきりという音。
上手にはばたけない僕は、ぱたりぺたりと外に出る。
外ではエラディオが一人の兵士を羽交い締めにしていた。
いつの間にたどり着いたのか。
ダーダはエラディオの横でナイフをかざす。
迷彩服が切り開かれ、脈打つ心臓が取り出される。
心臓を失った兵士は、そのまま、祈りをささげるように戦友たちを仰ぎ見る。
「
緑のパレット、赤いパレット、すべてを混ぜ合わせ、夜闇に混ぜ込む。
「
装甲車両が見える。
どうして、密林の中のこのような場所に装甲車が来るんだ。
どうして、ここに大量の兵士があらわれるんだ。
大蛇の鱗は小銃を跳ね返す。
「
トグロに守られるようにして座るダーダが口から黒い粉を吐く。
黒い粉は蟻の行列となって、兵士たちに群がる。
ブーツが噛み切られ、迷彩服が噛み切られる。
黒い蟻は赤蟻となって、白い骨の上を凱旋し、次なる戦いに向かっていく。
「
装甲車両が赤と黒で染まっていく。
光に照らされ、涙の川が光り、血が虹を描く。
「
ああ、僕の仕事がばれてしまった。
僕は呪術の研究者にしてスパイだ。今の今まで忘れていたが、そうなのだ。
脳裏に僕が書いたはずのない数々の報告者や書物が並んでは消えていく。
僕は何者だ。
「あんたは、ただの人さ、なんでもない」
ダーダが僕にささやく。死んで、生まれ、また死に、生まれなおすことを繰り返す本物の魔女。ただ人の僕とは違う存在。
僕は教室で講義を始める。
若手の教員なのに、僕は人気がない。僕の話がつまらないからだ。いや、僕は学生だ。あいつの話がつまらなさすぎて、いつも寝てしまうんだ。
ダーダが僕の胸に無造作に手を突っ込んだ。
石のナイフはバターでも切り分けるように僕の胸を開き、脈打つ心臓が取り出される。
僕は助けを求めるようにフアンを探す。
ようやく見つけた彼は目をそらしてつぶやく。
「エクストラーニョ、エスピーア」
僕は空から落ちる。
空から落ちて、地面に激突する瞬間に空に舞い戻る。
三分間を僕はループする。
僕は溶けていく。
無数の僕が泡立ち消えていく。
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