6 クリサリダ

 儀礼の三日前から食事を減らし始める。

 僕に与えられる食事からは魚が抜かれ、塩も減らされた。

 儀礼の間は絶食するので、このような準備は科学的にも合理的に解釈できるものだ。

 「コーヒーとたばこも少しずつ減らせよ」

 僕はうなずきながら、紙巻きタバコの箱をフアンに向ける。

 フアンは箱から三本引き抜くと、一本を耳に挟み、もう一本を口にくわえ、最後の一本を僕の方に向ける。

 僕たちは紫煙をくゆらす。

 刺激物を減らすというのも、多分、合理的に解釈できるものであろう。でも、かなり辛い。


 準備期間の日中は何もしないでいる。

 摂取カロリーを減らしている以上、普段のように野良仕事にいけない。

 まぁ、僕だけではなく、雨季になると男性陣はあまり野良仕事に出なくなる。

 性別による分業というやつだ。

 ただ、これはあくまで「伝統的」なものである。フアンにいわせると現代的モデルノではないらしい。

 彼は年若い愛妻とともに毎日、畑に出ていた。

 畑にいく脚が鈍る男、すなわち「伝統」とやらを重んじるのは、ロドリゴやダリオだ。

 ロドリゴはダーダの息子、フアンの大オジにあたる。ただ、ダーダもロドリゴも年を取りすぎていて年齢不詳になっている。夫婦と言われても僕は納得しただろう。ダーダとは違う理由――物忘れがひどくなっている――で、あまり話ができない。

 ダリオはフアンの義父で、街の出身だ。職を転々とした後、この地に流れ着いた元「よそ者」だ。

 離婚して実家に戻ってきていたフアンの母、コンスタンサと恋仲になったあとに、「啓示を受けて」、ブルホの仲間になったという。

 元よそ者だけあって、僕にも比較的親切だ。酒とタバコはたかられまくるが。

 ロドリゴは、儀礼で使うカルパとマイエンの根っこを削っていく。

 どちらも引き抜いたあと、洗って干しておいたものなのに、ナイフが滑るたびに土の匂いがひろがる。

 「僕は儀礼に耐えられるのかな?」

 ロドリゴはナイフを置くと、タバコをよこせと手を出す。もちろん、ダリオも一緒に手を出した。

 「どうだろうな? でも、しっかりと見続けるんだ」とはダリオのことばだ。ロドリゴは手のひらを僕に差し出したまま、無言で僕を見つめる。

 僕はタバコの箱を彼らに向けたあと、自分も口にくわえて、火をつけた。

 今日の最後の一本。

 見続けたら、何が見えるのだろうか。僕はとりあえず、立ち上っていく煙を眺める。


 最後の朝、いくつかの植物を浸した水で夜明け前に沐浴をする。

 服をすべて脱いで、新月の夜を歩く。

 灯油ランタンは携えているが、月のない夜は驚くほどに暗い。

 運の悪いことに蟻の行列に足を踏み入れてしまう。

 スネを襲う痛痒さと激痛と不快感で、反射的に飛び退く。

 落としたランタンの横で、水を入れたバケツの中に足をつっこみ、スネをこする。

 払い落とし、洗い流しなお、ポツポツと吹き出物のようなものを手のひらで感じる。

 吹き出物がちくちくと痛む。

 ランタンを拾い上げて、スネを照らす。

 無数の蟻の頭が僕のスネに食い込んでいる。

 胴体をなくしても、まだうごめく頭の数々。


 僕は何をやっているのだろう。


 学問は楽しかった。

 ただ、僕は才覚もなく、分野的に受けも悪い。

 目端のきく仲間のように、今風の研究ワードを引っ張ってくることができなかった。


 それでも僕は人より運が良かったから、生活費と研究費を獲得はしていた。

 でも、それもどうせすぐに終わる。

 そのあと、僕は長い長い氷の世界を歩み続けねばならない。

 先輩たちを見ていると、わかることだ。


 そんな僕だけど、少しでも受けを取ろうと、身体をはってみせる。

 でも、誰も僕の命がけの挑戦なんて気にしないのだろう。

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