2 エクストラーニョ・エン・ラ・セルヴァ

 山刀マチェテで眼の前のツタをなぐ。

 ここでは、これが日常だ。僕は野良仕事から帰る所なのだ。

 密林の力強き植生は、人が通る道であっても数時間でツタを繁らせる。

 人々は、それを山刀でなぎはらう。僕もその例に漏れず往路でなぎ払った場所で再び山刀を振るう。

 この行為は、小学生が横断歩道を渡るときに旗のついたポールを掲げるようなもので、ここではひらめく黄色い旗の代わりに重くてすぐ鈍らになる刃がついているだけだ。


 先をいくフアン・サンチェス・ヴァスケスが振り返る。白い歯を見せて、僕の名前を呼ぶ。

 彼は僕のことを名前で呼ぶ数少ない者の一人である。

 電気のあるところでは、僕は中国人チノ日本人ハポネスで、電力の輝き届かぬところでも大抵は外人エクストランヘロよそ者エクストラーニョであった。


 ◆◆◆


 よそ者エクストラーニョ、僕にふさわしい言葉だ。

 僕は常にコミュニティの中に入れなかった。それは進学しても変わらなかった。

 人類学徒というへそ曲がりが集まったコミュティの中でさえ、僕は浮きまくった。

 多様性や共生といった耳あたりの良いことばを選ばず、かといって親族研究や生業といったオーソドックスなテーマも選ばなかった僕が興味を持ったのは、薬物を用いた憑依儀礼であった。

 ナラティヴなどということばを用いてごまかしてはいたものの、僕のやっていることがカスタネダのできの悪い焼き直しになることはほぼ確実であり、色物でしかないことは僕自身が一番良くわかっていた。複雑で巨大化した儀礼論という分野に正面からぶつかるだけの勇気も才覚も持ち合わせていなかったのだ。


 疎外感を抱き続けた僕がたどり着いたのは、小さな集落。バスに乗り、うわさをたどり、舟に乗り、耳を澄ませて、歩いて、たどり着いた基本的なインフラすらない小さな集落。僕はここで人々とともに働き、酒を酌み交わし、愚痴とうわさ話を聞き続ける。

 ある日、ここにフアンがあらわれた。

 「呪術師ブルホ」と呼ばれた僕と同じくらいの年の若者は、集落の商店でタバコや酒を見繕っていた。

 店主の態度は、僕に対するときよりもそっけなく、このときの僕は若者に話しかけることができず、ちらちらと眺めること、目があったらおずおずと視線を外すことしかできなかった。

 「彼はどういう人なのですか?」

 タバコの銘柄と五本という本数を盗難防止用の金網越しに店主に告げた後、僕はさりげなく聞いてみる。ブルホという単語はあえて使わない。

 ブルホがどういう存在であるかは知っていたし、彼らが近くにいるらしいというは聞いていたし、それゆえ、僕はここにいる。だから、この質問は白々しいものでしかない。それでも、僕はこの手順を踏まなければならない。というのも、この手の話は大変繊細なものでいきなり聞いてもはぐらかされてしまうからだ。

 だから、今回は絶好のチャンスであった。

 「よそ者エクストラーニョだよ。ここから一時間ほど歩いたあたりに住んでいるいかがわしい一家さ」

 いかがわしいのは、どうしてですか、という問いかけに店主はため息をつく。

 「あんたは、いつも、だね」

 だって、それが僕の生業なのですからというのは、口に出さない。

 代わりに僕は、笑顔を作る。

 僕は買ったばかりのタバコをくわえて、もう一本の吸口を店主に向ける。

 「僕はこの地の文化の素晴らしさを学びたいのです」

 ツタ紐で金網にぶら下げられた百円ライターをかちかちいわせて僕たちはタバコに火をつける。

 

 ブルホは、超自然的現象に対するスペシャリストだ。

 精霊たちは、蝶の翅やアリの脚をもぐ子どものような残酷な心、あるいはいたずら心で、人々の身体や心にちょっかいを出す。

 人間たちは、妬み憎しみの帰結として、意図的にあるいは無意識に他者を呪う。呪った者の力や気まぐれかつ無垢で残酷な精霊によって発動した呪いは、人々の身体や心に作用するわけだ。

 そのようなとき、彼らはブルホに頼る。

 ブルホに頼るのは最後の手段である。

 できることならば、ブルホとは関わり合いたくないのだという。

 超自然的な現象や精霊のスペシャリストである以上、その力は癒やしや守りだけではなく、攻撃にも使える。このように考えるのは当然の帰結で、近くにいてほしくない人たちなのだ。

 ブルホたちは「危ない人」であるから、集落から離れた場所に住んでいるし、集落で何かしらの行事があっても招かれない。そして、大っぴらに語られることもない。ブルホはこの地の「未開」の象徴でもある。

 

 「あいつらは金に汚い」

 店主はそんなことも言った。

 集落というコミュティの互助的関係から弾かれているブルホたちだ。当然、彼らの力を求める人がいてもただでは助けない。

 それなりの金、いや後に知ったことだが、かなりの大金を請求する。

 これもあって、彼らは疎まれていた。いないと困るが、普段は接したくない腫れ物的存在であった。


 僕はその後も、少しずつ、さりげなく、集落内でブルホたちへの興味を表明し、フアンが来ると、挨拶をし、ともにタバコを吸い、酒をおごった。周囲の人々は、あきれながらも、遠くからやってきた物好きな外人のことだからと許してくれたようだ。僕のフィールドノートには、ブルホたちについての人々の語りが綴られた。

 季節が変わる頃、それなりに打ち解けたフアンに対し、居候させてもらえないかと頼んだ。

 フアンは白い歯を見せ、僕は引っ越した。


 ◆◆◆


 一〇名の大人、彼らの子どもたち九名が、ここで暮らしている。

 九軒の掘っ立て小屋が並ぶ様は、集落の外れにあるさらに小さな集落といった趣だ。

 ただし、ここには商店のようなものはない。

 僕は最初はこの一つに、しばらくしてから、一〇軒目となる掘っ立て小屋を建てて、二〇人目の住人となった。


 呪術を生業としているといっても、彼らは、それだけで暮らしているわけではない。

 街なかとは異なり、自分たちの食べ物は自分たちで育て、採集しなければならない。

 多少現金を多く持っていたとしても、ここでは食べ物が簡単に買えたりはしない。

 だから、引っ越しても、さほど生活は変わらなかった。

 野良仕事をして、罠を見回り、川魚を取る。

 キャッサバマンジョカを水にさらしたり、すりつぶして青酸を抜く。川魚を燻煙し、罠で獲れた野生動物の肉をさばく。

 雑食動物の肉は臭いとのたもうた指導教授をここに連れてきてやりたい。

 臭かろうと筋張っていようと肉は肉で、最高のごちそうだ。


 「おまえが大事に持っているジンが、まだ少し残っていたよな」

 フアンが僕の酒を飲もうと提案する。掘っ立て小屋には、たいしたプライバシーがなく、僕の寝酒は周知の事実だった。

 「マリアナがこのまえ仕込んだ酒はそろそろ飲み頃のはずだろう。酸っぱくなる前に、そっちから飲もうぜ」

 僕はやり返す。マリアナはフアンの妻、フアンは僕と同い年なのに、バツイチだ。ついでにいえば、先妻およびマリアナとの間にもうけた合計五人の子の父でもある。ブルホたちの共同体で暮らす子どもの過半数がフアンの子で、ブルホとしてだけではなく、一族の存続という観点からも大変重要な人物だ。

 乾季の今、彼は、一族のため、自分の子のため、必死に畑を開墾している。

 焼畑用の耕作地開墾は重労働だ。

 自生している植物は簡単に燃えるものではないし、切り倒して乾かそうにも雨が降ったら台無しになる。

 だから、乾季の間に木をどんどん切り倒さないといけない。

 僕らがここのところ作業しているのは、新規の場所ではなく休耕地である。

 すでに一度ならず人の手が入ったところであるはずだけれど、それでも鬱蒼と樹木が生い茂っている。

 フアンはチェーンソーなんて持っていないから、僕らはここをアチャと山刀で切り開かないといけない。

 細めの木でも一時間以上、見上げる高さと人の胴ほどの太さを持つ木になれば、一日二日では終わらない。

 こんな重労働のあとにジンなんて飲んだら、ひっくり返ってしまう。

 マンジョカのどぶろくのどろっとしたやつのほうが、身体に優しい。

 フアンはわざとらしく舌打ちした後に、白い歯をみせる。


 「わかったよ。代わりといっちゃなんだが、タバコをあとで買ってきてくれよ」

 フアンの言葉に僕は腕時計を眺める。

 日没まで三時間はある。これならば、まぁ、なんとかなるだろう。

 ここでの仕事は、明るいうちに切り上げる。

 電気がない生活の必然というものだ。

 ランタンにいれる油や、懐中電灯にいれる乾電池には金がかかるが、太陽光はただである。

 明るいうちに仕事や用事を済ませて、暗くなったら、いつでも寝床にいけるくらいがちょうどよいのだ。

 僕はフアンに手を差し向ける。タバコ代の請求だ。

 手に握らされた硬貨で買えるのは八本。

 「帰り道で僕が一本もらう。帰ってから、お前と一緒に一本吸う。だから、六本になる」

 酒にせよ、タバコにせよ、僕はこの土地の流儀――日本でならば図々しいといわれるに違いないこと――にも慣れてきていた。

 「帰りの一本は我慢しろよ。一緒に吸おうぜ」

 「我慢する代わりに水浴び用の湯を分けてくれよ」

 フアンはマリアナにちゃんと頼んでくれた。

 ただし、人が集まってきて、僕は色々と買い物を頼まれてしまった。

 

 僕は、よそ者ではあったけれど、ブルホでもないし、人畜無害なよそ者として認識されていたので、集落への買い物や物々交換のような雑用によく駆り出された。

 背中にツタで編んだ背負子しょいこをかつぎ、散弾銃エスコペタとラジオをぶらさげ、片手に山刀を携えたら出発だ。

 散弾銃は主にヘビ対策、この地には危険なヘビが多い。あるものは毒で、あるものは力で人に危害を加える。

 そういうやつに、僕は散弾銃を打ち込む。同時に夕飯の材料が手に入ることもあるから、一石二鳥かもしれない。

 銃の腕はたいしたことない。長めの銃身を利用し、ヘビの頭に銃口をくっつけんばかりにしてから、引き金をひくのだ。

 そんな腕だから、ジャガーが出たら、お手上げにちがいない。

 それでもふりまわしたり、ぶっぱなせば、逃げてくれるかもしれない。僕は自分に言い聞かせている。

 ラジオは主に短波放送をチェックする。

 一日二時間だけだが、ここでも日本の放送を聞くことができる。海外安全情報とニュースで一時間、娯楽番組が一時間。

 娯楽番組は朗読やトークのものが流れる期間は幸いだ。素人歌合戦はやめてほしい。鉦の音とともに切られて最後まで歌わせてもらえない素人もかわいそうだが、素人の歌一つ最後まで聞かせてもらえない僕はもっとかわいそうではないか。

 ツタをなぎはらい、ヘビやグンタイアリに注意しながら、ニュースに耳を傾け、歩くと、約一時間の道のりもそれほど長くは感じない。


 「ようオラ記録者アノタドール

 僕はよそ者であったが、識別され、邪険にされない程度のよそ者になっていた。

 僕も以前よりは打ち解けて話せるようになったと思う。

 「おう、マウリシオおじさんティオ・マウリシオ

 ここでは、買い物にも時間がかかる。

 挨拶の言葉オラにはじまり、お互いのまわりであったことを話し、世間話をして、ようやく注文に入れる。

 「最近、隣の国は病気が流行りまくっているらしいけれど、お前のラジオはなんか言っていないかい?」

 「ラシオン熱については注意するように、できれば渡航を見送れってさ。あとは政府の無策に暴動寸前だとも」

 僕はラジオの海外安全情報で聞いたことを伝える。

 隣の隣の国を流れる川の近辺でかつて発生した致死率の高い伝染病は、流行地域が文明とは比較的隔絶した地域であったこともあって、それほど話題にはなっていなかった。

 ラシオン熱は隣の国にも拡がったが、この国が観光資源も輸出物もたいしたことのない国で、やはりそれほど話題にはなっていなかった。

 「あいつらは根っからの怠け者で暴動を起こすのも、面倒とでも言いそうだったのになぁ」

 マウリシオはひとしきり、隣国の悪口を言う。

 他愛もない悪口なので、僕もうんうんと相槌をうってやる。

 「呪い師ブルホどもは、おまえに本のネタをくれそうかい?」

 儀礼の観察自体は何度かできたが、まだメンバーシップを得るところまでは、たどり着いていなかった。

 「むずかしいもんだよ」

 僕はフアンの注文の他に、自分用にもタバコを買うと、いつものように金網からぶら下がるライターで火をつけた。

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