2-4 ワンダーランド
覚悟を決め、扉を開けた平凡な受験生。まるでトリックアートのようなその世界では、扉を開ける度にその先の景色が変わる。
「っ……こっちか!?」
完全に迷子になったその人は、ほとんどやけくその状態で駆け回っていた。あっちこっちから顔を出し、壁だか天井だか分からない部分を走っては、途中にある落とし穴にハマり、永遠に続く不思議な階段を登り続ける。
「はぁ!?」とか「なんだこれ!?」など騒がしい声を上げながらも、決して足を止めることはなかった。しかし、試験というものは制限時間がある。このままやみくもに走っても、埒が明かない。
「はぁ……はぁ……何やってんだ、俺……」
導いてくれたあの子を失い、やる気が出たのもつかの間、燃え盛ったはずの炎が今にも消えそうだ。それもそのはず、努力の結果が見えないのだから。ついにトオルは足を止め、座り込んでしまった。
試験終了まで後どのくらいあるのかを確認するために腕時計を見る。すると、そこで明らかな異変を感じた。いつも規則正しく時間を刻んでいたはずの針が歪んでクルクルと回っている。
「? ……これ、時計……回り? それとも反時計回り?」
文字盤と針を見つめれば見つめるほど、頭があまり働かなくなる。心做しか、視界も歪んでいる気がする。あべこべな世界がこんな所にも影響しているのか、と溜息をつきたくなった。
いやいや、そんな悠長にしている場合ではない。急がなくては不合格がすぐ後ろに迫ってきている。もういっその事、さっきのあの子みたいに下に落ちるか……
そう思って下を覗けば、相変わらず真っ暗な闇があるだけ。底が見えないそんな場所にどんな勇気があれば飛び込めるのだろう。改めてあの子の規格外な部分を認識した。
しかし、本当にどうしたらいいのだろう。悩む前に再び行動しようと思ったその子は立ち上がる。すると、何やら変な音が聞こえてきた。紙のような、軽い音……なんとなくさっきの暗闇を覗く。
「!? なっ……へ?」
顔を下に向けた途端に湧き上がってきたのは、ペラペラの紙。その模様から察するに、トランプだと思った。ただ……トランプにしては少し大きすぎるような……
宙を舞うトランプ、という異様な光景を目の前に頭の中は混乱するどころか綺麗に隊列を組んで飛んでいるなぁ、などとお気楽な感想しか出てこなかった。また新しい壁が迫っているというのも知らずに。
「……あれって、普通……ではないよな?」
「…………ゲテ……」
「?」
アホみたいに口を開けて見上げていると、今度は言葉のような音が聞こえた。それに気がつき辺りを見渡せば、扉が微かに開いているのが見えた。そこから覗く小さな手。
…………そして、綺麗な金髪。
「! マヨイちゃん!!」
「……逃げて、トオル。早く……」
扉から出てきたマヨイの顔は半分血で汚れてしまっている。トオルにはそれしか分からなかったが、片足を引きずり腕をだらんとさせたマヨイはとても無事には見えなかった。
トオルが駆け寄れば、縋るように服を掴んで「逃げて」と同じ言葉を繰り返す。無邪気なあの瞳はどこにもない。あるのは恐怖だけ。とりあえず落ち着かせようと、トオルは声をかけた。
「マヨイちゃん落ち着いて! 逃げるって……一体何から?」
「何って……あの人たちに決まってるでしょ!? どこに行っても、何をしてても追いかけてくるの…! あたしをその視線で刺してくる……ずっと……ずっと……!!」
あの人と言って指をさしたのは、飛びまわるトランプたち。どこからどう見たって人には見えないが、マヨイの異常なまでの怯えように何も言うことが出来なかった。
「ぁ……ァあ……見ないでよ。ねぇ、なんで見るの? あたし何もしてない……何もしてないのに……!!」
「お、落ち着け! 誰も見てない!! ここにいる人間は俺だけだ!!」
「違う……いっぱいいる……いるんだよ……」
だんだんと震えが大きくなってきたのと同時に、床が血まみれになっていく。このままじゃマズイと思ったトオルはもう何も考えられなくなり、とにかくマヨイを守ることを優先した。
強く服を掴むマヨイを抱き上げ、扉を蹴り飛ばした。そのまま先の分からない暗闇に突っ込んで行く。暗闇を抜けた先は新しい空間。そこにトランプはいなかった。
(……とりあえず、ここにはいない……か?)
そう安堵したのも一瞬だけ。どこからともなく、トランプたちは湧いてきて空で踊る。その度にマヨイはパニックを起こして
「くそっ……! 一体、この試験は何がしたいんだよ!!」
恐怖よりも怒りが勝ってきた頃、マヨイの精神も限界に達していた。言葉が言葉に聞こえないほど体が震え、出血量が多いことも相まって顔からは生気が失われていく。このままじゃ本当にマズイ。
そんな焦りと怒りが混ざったまま、トオルはひたすらに足を動かす。得体の知れない世界に敵か味方かも分からないトランプ。もう合格不合格どころの話ではない。今はただ、無事に帰ることだけを望んでいた。
「……」
「マヨイちゃん?」
逃げ惑っていると、突然静かになったマヨイ。異変に気づいた瞬間にトオルは足を止め、声をかけた。しかし、反応は返ってこない。それどころか、何か様子がおかしい……様子を確認しようと1度下に下ろしたその時だった。
「!?」
空を飛んでいたはずのトランプが周りを取り囲み、トオルの顔に影を落とす。まるで鳥籠のようなその光景に、体を感情が支配して何も出来なくなっていた。このままでは何かマズイ……そんな漠然とした不安が襲う中、マヨイはどんどんと熱を失っていく。
冷たく、硬くなっていくその人間の手を握りながらトオルは必死に頭を動かそうとする。しかし、その度に余計な記憶が邪魔をして上手く考えがまとまらない。その間にも距離を詰めてくるトランプ達。もうトオルの頭の中には自身の呼吸音しか聞こえていなかった。
(……早く……はやくしないと……)
呼吸音が時計の音に変わり、ナニかを急かしてくる。自分は何を急いでいたんだっけ……なんでこんな所で……何か大事な……大切なことがあったはずなのに分からない。
分からない、分からない。分からない分からないわからない……
──────(ワカラナ……クテモイイカ)
もう何の反応も示さなくなったソレから手を離せば、全身の力が抜け落ちて無気力になる。光を灯し続けていたはずの瞳はついに何も映さなくなった。
そこにあるのは、何も無くなった器だけ。重なり合うトランプがその器を取り込もうと全体を覆ったその刹那。
バシャ……ッ!────────────
「!」
突如として衝撃を与えてきたのは、雨……というよりも大量の水だった。それはトオルの頭上で大きな球体となり、その場で四方八方に爆散したらしい。
おかげでトランプ達はびしょ濡れになり、外側にはね飛ばされた。ついでに全てを水浸しにしたが……そんなことよりもその衝撃でトオルの思考が復活した。
「俺……何を……? って、冷た! なんで濡れて……」
何が何だか分かっていないトオルが周りに視線を向けると、そこにはすっかり水を吸って元気をなくしたトランプが倒れていた。その瞬間にフラッシュバックしてくる恐ろしい光景。
トオルは慌ててマヨイの手を握る。しかし、もう人だと認識できないほどにその手の感触はトオルの知らないものになっていた。受け入れたくない現実が絶望を連れてやってくる。
「ぁ……っ、ぅあ゙……」
パニックを通り越してバグを起こし始めたソレは、心も体も……人格を形成する全てを置き去りにした。そうすることで最後に残るモノ。それは一体何なのだろう。
.
自身の虚像を目の前に蹲っているソレを取り囲むゴミと化した化身たち。原型すらも分からなくなったそれらは、モゾモゾと動き出しゴミ同士くっつきあって形を形成していく。
崩れていく末端など気にせず塊になったそれらが求めるのは、確かな実体。何でもいい。血肉が形になっていれば、それだけで自分達は……
(……オレ、何やってんだっけ……)
それは、人間にとって初めて感じた魔力だった。奇跡を起こす力、それは勝手に素晴らしく美しいモノだと思っていた。だって、自分を助けてくれたのはいつだって魔法への憧れだったから。自分が憧れたモノがこんなにも黒くて恐ろしいモノのはずがない。そう信じていたかった。
──────────本当は分かっていた。
奇跡なんてこんなものだって。
人間も魔物も変わらない。力を持っていれば、それを私利私欲のために使い、利用する。正義も悪も、結局はどうせナニかのエゴだ。あの日見た"白"だって、ただの自分の理想でしかなかった。
現実から目を逸らして満足して。夢や憧れなんて綺麗な言葉で着飾っても、それは欲望でしかなくて……
生き物なんて、所詮は欲望発散するために生きてるだけ。だったらいっその事、我儘になってもいいんじゃないか。逃げられない本能を拒むより、それを利用してやる。
(……今、欲しているのは……)
光のない瞳で見上げた先にいるのは、化け物の姿をした魔力の塊。ソレが欲するのは"器"のみ。対するその器が望むモノとは……
「…………魂は地へ、真実は海へ、願いは空へ……」
「……
その文言は決して変えることを許されず、ただ願えば良いだけだった。人間にも魔力が扱えるようにと簡略化された媒介、そのはずなのに……
欲望の渦に呑まれて、その形に合わせるようにソレは変化をする。そうして生まれた変化を、人は"奇跡"と呼んだ。
「我は……」
化け物が体を広げて器を取り込もうとした。その瞬間に、瞳が光を取り戻す。
「……我は、未来を望む一条の光である」
────────────刹那
視界に映ったのは、
衝撃で巻き上がった強風に目を細めたトオルの見た景色。それはまさに、あの日あの時……魔法に憧れる原因によく似ていた。
「…………綺麗……」
「?」
漏れ出た声はさっきまで感じていた欲望を完全に否定したものだった。その呟きに反応して、その人はトオルの方を振り返る。風で飛ばされかけた帽子を手で押え、座り込んでいるトオルを見下ろしたその人はただただ無表情だった。
2人が見つめ合うこと数秒。トオルが特徴的な耳飾りに目を向けると、立っているその人は口を開いた。
「……良かったね」
「へ……?」
無表情のまま口だけが動き、その人はそれだけを言って立ち去ろうとした。呆けて何も言えなくなっていたトオルは、慌てて引き止めようとするがどうにも足が動かない。
体だけが前に進もうとして、前に体勢が崩れる。その人はそれに気がついたのか、面倒くさそうにもう一度振り返ってトオルを見下ろした。
「ま、待って……君は……」
「?」
「……君は……」
何者か、何故ここにいるのか、聞きたいことは山ほどある。しかし、初めに言うべきなのはそんな言葉ではない。トオルは動かない足を引きずり、正座をするとその人に向き直った。
まるで幻だったかのように、その足元には欠片一つ残っていない。数分前まで必死になって守っていたモノは、そこにはなかったのだ。そんなことは露知らず、トオルは言葉を捻り出す。
「……助けてくれて、ありがとう」
頭を下げれば、ポタポタと雫が垂れる。目の前でお礼を言っているトオルを見て、その人は何を思うのか。そんなことトオルに分かるはずがなかった。
「……君、本当に何も分かってないの?」
「何も……って?」
「…………無意識っていうのも少し嫌だね」
反射的に顔を上げれば、そこにいたのはこちらを凝視して怪訝な顔をしているその人だった。そんな顔をされることを言った覚えはない。トオルが首を傾げると、その人はさらに眉をひそめた。
「……まぁいいや、それもまた才能ってことで」
「? あの、俺何も……」
「悪いけど、お喋りしてる時間はもうないみたいだ」
そう言って指をさしたのはトオルの鞄。何も変わった様子はないが、とりあえず中を覗いてみる。すると、中にあった受験票が微かに光っているのを見つけた。それを取り出せば、辺りを光が包み込む。
足元には大きな2つの魔法陣が重なっている。驚いてその人の方を見ると、またもや無表情になったその人が凛と立っていた。
「!」
「今度はちゃんとしたお迎えだ」
「ちょっと待って! せめて……!!」
せめて名前を! と叫ぼうとした瞬間、その人は初めて笑顔を見せた。その顔は焦っていたトオルの心を落ち着かせ、暖かく包み込む。そして、あの日とそっくり同じ声で同じ言葉を紡ぐ。
「……またね」
心に残る美しい音色。真っ白になる視界の中で、その音と可愛らしい笑顔だけがずっと頭の中に残った。
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