2-3 トロンプ・ルイユ

 真っ暗な筒状の滑り台を滑ること数秒。

 

 ポイッと投げ出された2人は宙を舞う。マヨイは器用に着地し、その反対にトオルは思い切りお尻から落ちた。痛そうな音と共にもがき苦しむトオル。そんな知り合いには目もくれず、マヨイは何かに目を奪われていた。

 

「っ……いてて……」

「……」

「? マヨイちゃん、大丈夫? 怪我……と、か……」

 

 痛みが引いてきた頃、トオルはようやく相手の心配をする余裕がでてきた。立ちすくんでいるマヨイに何かあったのかと声をかけ、自身も顔を上げたその時に視界に入ってしまった現状。

 そのあまりの光景にトオルは「ぁ……」と喉から声ではない変な音を鳴らす。そして、せっかく立ち上がろうとしていたのに、もう一度尻もちをついてしまった。

 

「……なるほどね」

「な、なんだここ……」

 

 2人が目にしたのは、さっきの白い部屋とは真逆のカラフルな世界。しかも、あっちこっちに扉があり、妙なところから階段が生えている。上も下も、右も左も分からない……まるでパラレルワールドだ。

 あまりの鮮やかさに目がチカチカする。平衡感覚がおかしくなりそうな空間でトオルはただただ口を開けていた。反対に、困惑しているトオルの横でマヨイは目を輝かせる。

 

「マヨイちゃん……ここ、さっきとは全然違う場所……だよね? 早く戻らなきゃ……」

「あたし達が落ちてきた穴なら、さっさと閉じちゃった。そんなことより、ここなら本当の自分が見つかるかもしれない」

「え?」

「あれが正解ルートだったみたい」

 

 目を輝かせて笑うマヨイを見上げ、トオルはさらに困惑した。何故この状況で笑っていられるのだろう。何が起こるか分からないのに……

 分からないことに怯えるのが人の性ではないのか? それなのに、今目の前にいるこの子は心を躍らせている。その表情が示しているのは、底知れぬ好奇心。そして、探究心だ。

 

「あたしはここら辺を探索して来るよ。トオルも行く?」

「いや……俺は……」

「そ、じゃあここでバイバイだね」

「待てよ! 1人で行くつもりなのか!? それはいくらなんでも危ないだろ!」

「そんなの試験に参加した時点で分かってることでしょ? それにあたしは、今1番必要な選択をしてるだけ」

 

 歪む口元と、爛々と光る瞳にトオルは背筋がゾッとした。幼い子供のような思考の中に潜んでいる残虐な精神。この子は、そんなことを思わせるような雰囲気がある。その考察が合っているのかどうかは知りたくない。

 呆気にとられて何も言えなくなっているトオルを見下ろすマヨイは、変わらぬ笑顔でこう告げた。

 

「ねぇ、トオル。人はね? 人と関わることで生きてるって認められるの。……そして、人と関わることで変わっていく。でも、本当の自分を見つけるのは、自分にしかできない。誰も見つけてはくれないの。

 だから、本当の自分を見つけるってことは今の自分を変えることじゃない。ただ少し……少しだけ勇気を出すことだよ」

 

 話しながらどんどんと前へ進むマヨイを目で追う。その表情ばかり見ていたトオルは気が付かなかった。クルリと体を翻してこちらに振り返ったマヨイのその先に……

 

 ────床なんてものは存在していないということ。

 

「……!! マヨイちゃん!!」

 

 慌てて立ち上がろうとしたトオルだったが、知らないうちに腰が抜けていたのか上手く立ち上がれない。しかし、そんなことは関係ない。無理やり骨盤を手で押したトオルは、足をバタバタさせながら不格好でも前に進む。

 真っ逆さまに落ちていったマヨイ。その子の顔はまるで恐怖なんて感じていないようだった。美しい金の糸が、視界から完全に消える。這うようにしてどうにかその子がいた場所まで辿り着いたトオルは、急いで崖の下を覗き込んだ。

 

「……っ……」

 

 トオルの目に見えたのは、ただの黒い空間。あれだけ天井は床や階段らしきモノがあるのに、どうして下には何もないんだ。そう悔やみ、ダンっ! と行き場のない怒りを拳に込めてみるが、なんの意味もない。

 たった1人パラレルワールドに残されてしまったただの人間は項垂れた。今更動くようになった足を投げ出す。その場に大の字で寝転べば、現在進行形で姿を変える空間が広がっている。

 

(……父さん、母さん。俺、ダメかも)

 

 唇をかみ締め、腕で目を覆う。そもそも、誰かの力を借りようと思ったこと自体が間違いだったのだ。あの時点で、自分の負けを認めたようなもの。ここまで来ても……自分は何者にもなれなかった……

 鼻の奥が痛くなるのと同時に、これまでの日々が走馬灯のように流れていく。あの日、魔法に魅了されたこと。必死に勉強した1年間。どれだけバカにされても決して諦めなかったこと。下を向いても、絶対に顔を上げてきたこと。

 

 ────────────

 

「せっかく人間に生まれたのに、なんで化け物なんかと一緒になりたいんだよ」

 

「魔法? そんなの2次元で十分でしょ。リアルではちょっといいかなー」

 

「総魔に行きたい? 受けるのは構わないが、第1志望にするのはやめておきなさい」

 

──────「……なんでですか」

 

「そんなの決まっているだろう」

 

 

 

 

──────"人間"が"魔物"に成り下がる必要なんてないからだよ。

 

 いつかの面談で担任に言われた衝撃の一言。どう考えても教員が言っていいセリフじゃない。確かに自分が通っていた学校は人魔共学じゃなかったし、差別思考を持ってる奴は腐るほどいた。でも……

 

「……導く立場の大人が、んなこと言ってんじゃねぇよ」

 

 いつから人間は生物の頂点に立ったんだ。

 

 ずっと違和感があった。人間と魔人は、同じ姿をしていても思考が少し違う。それは魔力の有無も関係しているのだろうが、そもそもの遺伝子が違うのだ。生き物としての根本が違う。でもそんなの、すべての生き物に言えることではないか。

 なのに、なんでそれを受け入れられない。認められない。言葉は傷つけるためにあるんじゃない。理解し合うためにあるんじゃないのか?

 

「俺は……」

 

 俺は信じたい。

 

 最初はただ超常現象スゲー、くらいの憧れだった。でも今は違う。周りに否定され続けて芽生えた本当の夢。違う生き物だって、分かり合えなくたって、否定されずに笑顔で生きていける世界。

 綺麗事でも、どれだけ難しくても、こんな世界に理想を描いた奴が1人でもいたんだぞってことを歴史に刻み込んでやる。それなのに、自分が自分を否定してちゃ夢も何もあったもんじゃねぇ。

 

「俺は……何であろうと否定しない……俺は俺を信じてる……!」

 

 それはマヨイも例外じゃない。今こうしてうじうじ悩んでいられるのもあの子のおかげだ。きっとあの子なら、本当の自分を見つけて今頃自宅に帰っているかもしれない。

 トオルは寝転がっていた体を起こして立ち上がった。乱れた制服を直し、再びスクールバッグを背負う。顔を上げれば、さっきまで恐ろしかったはずの世界がなんだか楽しく思えてくる。

 

「……よし!」

 

 誰かに頼ってばかりではダメだ。自分は自分の道を行こう。そうすれば、何かヒントがあるかもしれない。そう思ったトオルは、近くの壁にあったドアノブに手をかけた。一体この先がどうなっているのか妄想が広がる。

 

 

 

 

 .

 

 

 

 

 私立クラヴィス総合魔法学校。別名総魔そうまと呼ばれているその学校は、日本で唯一人間が魔法を学べる教育機関である。

 しかし、人間が魔法を学ぶということは簡単なことではない。魔力がないということは、魔力を感じることも防ぐことも出来ない。五感を失った戦士が裸で戦場にいるのと同義。それ故に、厳しい訓練を乗り越える必要がある。

 

 "来る者拒まず去るもの追わず"

 

 総魔に入るために必要なのは、筆記試験と実技試験のみ。明確な動機や人格などは一切関係ない。しかし、筆記試験には平均以上の学力を求められる。そして、1番厄介なのが実技試験だ……

 

(……魔人と人間……試験内容は違うんだろうけど、結構厳しいんじゃないか?)

 

 何も無い真っ暗な部屋の中で、突然現れては消えていく刃を避ける1人の受験者。その子は随分と余裕そうな顔で、ベストなタイミングを計っていた。動く度に揺れる耳飾りは、いつもと同じように輝いている。

 命の保証をされているとはいえ、少し過激な試験内容にその子は眉をひそめた。実技試験は"想いを試される場"だと聞いたことがある。おそらくそれは、魔法を使うに当たって1番重要になる部分を見ているのだろう。

 

 魔力=生命力

 

 魔獣の中には、実体を持たず魔力だけで生命を保っているモノもいる。つまり、それは魔力自体が独立して生きているということだ。それに意思があるのかは分からない。だが、魔力が独立できるということはそれを扱う生き物も危ないということ。

 

 魔獣や魔人などの自らの生命力を魔力としている生き物は、自分の魔力を元に魔法を使う。簡単に言えば、体を動かすのに筋肉の力を使うのと同じ感じだ。

 しかし、人間はその元となる魔力がない。魔法を使うには外部から魔力を取り入れる必要がある。ようは、指1つ動かすだけでも操り人形のように関節に糸をつけ、さらにそれを自分で動かさなければならないのだ。

 自分で自分の糸を動かす。そんな無茶苦茶なことを人間は魔法を使う度に繰り返している。

 

(その糸が、ただの糸だったらいいんだけどね)

 

 その子は、飛んでくる刃を器用に避けながらもその正体を見破った。柄の部分についている細くて強靭そうな魔力の糸。あれをどうにかすればこの試験はクリアだろう。

 だが、その魔力の糸が魔獣から放たれたモノなのか、それともあれ自体が魔獣なのか……魔人ならすぐにその答えが分かる。では、ここにいるのが人間だったら……

 

 魔力はそれ自体が生命となり得る。正しく使役しなければ、抵抗しない生き物などただの依代よりしろでしかない。だから、人間が魔力を扱うには生命力を上回る精神が必要となるのだ。

 

 "弱さも強さに変える"

 

 それこそがこの試験の本質だとその子は考えていた。それに、魔法はイマジネーションだとかいうファンタジーもあながち間違いじゃない。精神力は何よりの武器だ。心の持ちようで、人間は幾重にも進化するということを魔人はよく知っている。

 人間と魔人、姿形は同じでも根本がまるっきり違う2つの種族。その違いが顕著に出ているのは精神面だろう。弱さは弱さ、それの何が悪いんだ。その子は首をストレッチして息を深く吸った。

 

「……ボクは、あんまり好きじゃないんだけど……っ!」

 

 振り下ろされた斧を避け、魔力の糸を強引に掴んだその子は力の限りそれを引っ張った。その瞬間に姿を現したのは、クルクルと回っている糸車。紡がれた糸が巻取られずにうねうね宙を舞っている。

 その子は、それを見つけた途端に容赦なく蹴りを入れて壊してしまった。結局、それが何の魔獣だったのかは分からない。分かったところで、試験には関係ないだろう。

 

「ふぅ……次は……」

 

 バラバラになった糸車には目もくれず、真っ暗闇を歩き出した受験者。おそらく、この試験をクリアするにはもうひと工夫いるはずだ。だって、あの総魔の実技試験がこんなにも簡単なはずがない。もっと何か……

 

「! ……?」

 

 キョロキョロと辺りを探索していると、ポケットに入れていた受験票が魔力を帯びてきたのを感じた。何の気もなしに受験票を取り出す。するとそこには、魔法陣が浮かび上がっていた。ここに来る時に使った転移魔法と同じ陣だ。

 

「え……まさか、不合格?」

 

 あの糸車を壊したのが悪かったのか、このまま強制送還されると思ったその子はその魔法を無視することに決めた。

 別に受かりたいなどとは1ミリも思っていないが、だからといって落とされるのはムカつく。大体、強制送還なら無視したくらいで魔法が作動しないなんてことないだろうし。

 

「〜♪」

 

 再び受験票をポケットに戻して、その子は暗闇を歩き続ける。すると、微かだがパキパキという妙な音が聞こえた。その音はさっき壊した糸車の音と似ていて、とてつもなく嫌な予感がする。

 そんな予感と共に襲ってきた禍々しいほど膨大な魔力。咄嗟にガードをしたにも関わらず、その子は横から飛んできた細い何かに吹き飛ばされた。飛ばされている途中で見えたその正体。

 

(……! あれ、って……)

 

 糸車などどこにもない。あるのは、おぞましい巨木だけ。黒くて大きいソレは、背景に同化して見えないはずなのに、何故だかはっきり確認できた。

 

「……そういうことか」

 

 人の精神力を試すのに1番効果的なのは、相手の記憶に最も強く残っているものを呼び起こすこと。怒ったことでも、悲しかったことでも、怖かったことでもなんでもいい。

 その時、その子は初めて気がついた。今目の前にあるソレが、自分の記憶に強く残っていることに。気が付かないように、忘れるようにと過ごしてきたのが一瞬で無駄になった。だが、別にショックというわけではない。

 

「……もう1回、遊べるってだけじゃん」

 

 さっきの衝撃で投げ出された帽子を取り、被り直す。いつの間にか受験票に宿っていた魔力はなくなっていた。それが正しいことなのか、間違っているかは分からない。

 汚れた頬を拭えば、覗く瞳が獲物を捉えた。隠し持った短剣を手にしたその後が駆け出すと、揺れる耳飾りが輝き始める。第2ラウンドの幕開けだ。

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