10話

 初日の勤務後。集まったメンバーの内の1人、唯一の学生に会いに行った大企業の社員。

 くたびれた顔をしたその人物は、わざわざ社宅にまで足を運んだにも関わらずお目当ての相手に会えずにため息をついた。だが、絶対に会わないといけないわけではなかったので、すぐに諦めて職場に戻る。

 

「あ、主任!お疲れ様です。こんな時間まで残業ですか?」

「お疲れ様、少し忘れ物を取りにね。すぐに帰るよ。」

 

 残業終わりの社員たちを見送り、まだ残っている研究員たちを見下ろした。あの人たちは一体何日家に帰っていないのだろうか。

 まぁ、あと数日すれば月に1度の休業デーだ。全社員が自宅に帰り、1日だけ本当の休みをもらえる。とは言っても、本当に全員が休むと後の尻拭いに倒れることになる。なので、1年に1回、1月だけはこの休業デーがなくなるという決まりだ。

 

(今月は俺か…)

 

 1年に1回なくなるだけだと分かっていても、他の社員が休んでいる間に出勤するというのは気が滅入る。先月も来月も誰かが思うことなのだろうが。

 真っ暗なオフィスの電気をつけ、自身のデスクに腰かける。昼間はあんなに人の気配を感じるのに、今は誰もいない。と、思っていたのもつかの間。

 

「お疲れのところすまないね、主任くん。」

「!社長…!……こんな、小さな町工場に足を運んでくださるなんて…ありがとうございます。」

「いやいや、気にしないでくれ。本社はすぐそこだからね、帰宅途中に寄ってみたんだよ。…ここは、とても大事な場所だからね。」

 

 いかにも社長といった風貌の怠惰な体つきをした中年が、暗がりの中急に姿を現した。いつもは秘書の1人や2人付いているのに、いないところを見ると本当に帰宅途中だったらしい。

 慌てて立ち上がった社員の肩をポンポンと叩いた社長は、近くにあった寂れた椅子に座った。社員も促されて自分の椅子に座り直した。

 

「…すみません、お茶の1つも出せないで。」

「いいんだ。もう勤務時間は終了しているんだからね。こちらこそ、本当は食事でもしながら話すのがいいんだろうけど…」

 

 何故だか、声をかけられた瞬間から様子のおかしい社長に対し、社員は社長が何をしに来たのかを大体察していた。というよりも、社長がこんな寂れた場所に来る理由はただ1つ。

 

「すまんね、少しだけ時間をもらってもいいかな。」

「もちろんです。帰りを待っている者もいませんから。」

「そうか…なら、1つ。今日が初日だと記憶していたけれど、そのー……どうだね?彼らの様子は。」

「そうですね。風貌は、至って普通の青年たちだと思います。私は人間ですので、魔力とかそういう話は理解が及んでいなくて…申し訳ありません。」

「いや、いいんだ。でもそうか…普通か…特別な雰囲気はなかったかい?」

「特別…ですか?」

 

 特別とは、一体どういう意味なのか社員は少し悩んだ。だが、社長の前だ。会話を詰まらせるわけにはいかない。社員が少し悩んだ素振りを見せると、すかさず社長が言い訳のように言ってきた。

 

「そんなに難しく考えないで欲しい。君はかつて人事部で、素晴らしい人材を何人も合格にしてきたらしいじゃないか。人を見る目が素晴らしいと、役員たちが褒めていてね。

 何かそういう見分ける力というものがあるのかと思っていたんだ。しかし、採用面接でもないのにそこまで見ていないよね。すまない、変な質問をして。」

「いえ、社長にそこまでの評価して頂いて嬉しく思います。」

 

 随分と早口でまくし立てるような話し方だったが、褒められているのだけは分かった社員が礼を述べる。素直な反応を見せた上で、先程の質問に適格な答えを導き出した。

 

「…では、1つ気になることを。」

「おぉ、なんでも言ってくれ。」

「1人、やけに魔獣に対して耐性のある者がいました。防御魔法を当たり前のようにように使用していたのが印象的ですね。」

「それは、あの耳飾りの子供か。」

「えぇ、よくお分かりになりましたね。覚えていらっしゃるのですか?」

「い、いや…そういうわけではないんだが、あの年齢の子供が応募してくるのは珍しかったからな。たまたまだ。」

 

 バイトの選考など、社長は関わっていないと思っていたが、履歴書くらいは見ていたのだろうか。無駄に汗をかきながら話す社長に作り笑顔を返す。

 

「ちなみに、その子供は何か不審な動きはしていなかったか?」

「不審、ですか…?いえ、特には…強いて言うなら、プロトタイプ9に興味を持っていた様子でしたけど…」

「興味…本当にそれだけか?何か質問をされたりは。」

「いえ、口数の少ない子のようでしたので。」

 

 その後も社長は、その子供について他には他にはと聞いてくる。しかし、社員は本当に話すことがなかったのか適当に答えてやり過ごしていた。

 すると、本当に何も無いことが分かったのか、社長は礼を言って帰ってしまった。また静かなオフィスに戻る。

 

 

 

 しばらくその場で座ったまま休憩し、社員はおもむろに窓を開けた。肌寒い夜風が入ってくる。窓に背を向け、再び椅子に座れば、今度はモノクルがキラリと光っていた。

 

「お疲れのところ失礼いたします。先日お会いした…」

「覚えていますよ。何かご用ですか?」

「…先日のお話、考えていただけましたか?今日はその答えを聞きに来ました。」

「あぁ、情報提供のお話ですか。先日は一方的に提案されるだけで終わってしまいましたからね。」


 入れ替わりで現れた来客に嫌になりながらも、主任は嫌な顔1つせずに受け答えをした。そして、真っ直ぐ相手の顔を見たまま簡潔に言う。

 

「私はここの社員ですので、上に言うなと言われたら逆らえません。信用とは、一朝一夕で手に入れられるものではないので。申し訳ありません。」

「……では、こちらもそれ相応の対応をさせていただきますよ。」

「えぇ、もちろん。ですが、龍族ならば大企業であっても情報開示請求くらいはできるのでは?社員の私に聞くよりもそちらの方が確実でしょう。」

「分かっているはずです。情報開示請求などしたら、あらぬ噂が立ちかねない。それは避けたいのです。」

「でしたら、社員に会社を裏切るような行為をさせようとしている時点であらぬ噂どころか、事実が出来てしまいますよ。先程の脅すような発言も少しは控えた方がよろしいかと。」

 

 数週間前、主任の自宅に押しかけてきた龍族の関係者だと名乗る人物。自分の会社が良くないことに手を出しているのは知っていたため、それを責め立てに来たのだろうと思っていたら、ただの提案だなんて。

 そんな思いをした記憶もあるようなないような。とにかく、自分が社員…というかこの国の国民である以上、長いものには巻かれ、契約は破らずにいる方が身のためだ。

 

「…龍様に命令でもされるのなら、この地に生きる者としてそれに従わざるを得ません。こちらが、私の提案出来る最善策だと思います。」

「いえ、あのお方は絶対に命令などされません。するのは"お願い"か"我儘"だけです。」

 

 はっきりそう言いきった相手を見て、主任は初めて表情を崩した。何故ならば、この世の偉い生き者というものは命令を当たり前にしていると思っていたから。

 どんな言い方であったとしても、言われたことにNoとは言えない。言ったら最後、職を奪われるのみだ。

 

(…どうせこれも言わされてるのか。)

「最後に1つ、個人的に質問してもいいですか。」

「…どうぞ。」


 月明かりに照らされたモノクルがキラリと光る。上に仕える下っぱという立ち位置は変わらないはずなのに、目の前の人物が何故だかとても輝いて見えた。

 

「あなた個人は、このようなことをしている会社に対して、どう思っているのですか。」

「……別に、何も思いません。私はただ言われた仕事をして、会社の利益のために思考をこらすだけです。少なくとも、上がこれでいいなら、これでいいんです。」

 

 主任は、いつも通りのセリフを並べて従順なフリをした。心も体も思考も、全て自分を守るため。これこそ純粋な防衛反応だ。

 その答えを聞いた相手は、立ち上がって背中を向けた。顔は見えないが、どうせあの悪趣味なモノクルは変わらず光ってるんだろう。

 

「…残念です。」

「?」

「初めは自分の考えを臆せず言える方だとお見受けしましたが、肝心なところで逃げては意味がありません。」

 

 そう言って、あのモノクルは一瞬にして消え去った。また1人になったオフィスは、さっきと違って明るく、でもとても冷たい。

 

「………逃げるのだって、勇気がいるんだよ。」

 

 そんな呟きは、夜の世界に消えていく。デスクから書類を取り出し、カバンに入れた社員はもう座らずに窓を閉め、電気を消してその場を後にした。

 

 ぐるぐると回る捨てたはずの考えをもう一度捨てる。そうすれば、頭の容量が増えて他のことが入れられる。そうして生きてきたんだ。邪魔なものは、場所を取るだけのゴミ。

 

(晩飯、何食おっかな。)

 

 頭の中には、もうさっきのことなど綺麗さっぱりなくなった。あるのは、これからを生きていくために必要なことだけ。そう、それだけでいい。

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