1-9 いつも通り

 人工の世界樹と囚われた魔獣……集められた手練の魔人たちと無愛想な会社員。いや、監視員か。

 1日目の収穫は思ったよりも少なかった。勤務終了後、5人は来た時と同じように社員に連れられて社宅まで帰ってきた。そして、夕飯の宅配弁当を持たされたところだ。

 

「おー、美味そうな弁当だな」

「朝ごはんも昼ごはんもちゃんと用意されてますし、本当に三食昼寝付きですね」

「大企業様様だな! 仕事もチョロいし、こりゃ当たりだ!」

「スリルはいいんですか?」

「いざとなったら、オレも檻の中に入ってやるよ。適当に戦うだけでも暇つぶしになりそうだし」

 

 白米を頬張りながらそう言うルプスを、愛想笑いで流しながらアーラもご飯を食べた。暖かくて優しい味が口の中に広がる。置かれた状況には似つかわしくないほど平和な味だ。

 いつの間にか愛想笑いも剥がれて、本当に幸せそうな顔をしてアーラは咀嚼を繰り返していた。そんなアーラを見て、ルプスも顔がほころぶ。

 

「……お前はどうだった?この仕事」

「? う〜ん……どうって言われても……考察しがいのある職場だと思いました」

「お前、アニメとかゲームで深読みしすぎるタイプだろ。SNSのオススメ欄考察系ばっかりか?」

「いや、他人の考察は興味無いのでそういうのは見ないですね」

 

 どうやら、フリーターでもスマホ代を払える程度には稼いでいるらしい。しかも、ネットの知識もあるようだ。それはお互い様で、動画投稿サイトに歌を投稿しているアーラは少しドキッとした。

 

「だけどまぁ……色々と探るのもほどほどにしとけよ?」

「?」

「報酬は知ってるだろ。なんでたった1週間、魔獣の餌やりするだけであんな額がもらえると思ってんだ」

「……企業秘密ってやつですよね。しかも、命の保証はどこにもない。つまり、不審だと思われたら殺される可能性だってある」

「そーゆーこと。裏バイトのコツは、何も考えねぇ事だ。あの眠そうなねーちゃんが言ってただろ。金のことだけ考えてろ。華の高校生になりてぇならな」

 

 そうか、本来の目的は生活資金を貯めるための身売りだ。そのことをすっかり忘れていたアーラは、自分の身の振り方について改めて考えてみた。

 そう思うと、自分が命をかけて考察する必要もないわけで……しかし、あれだけのものを見て好奇心を抑えろという方が無理だろう。だが、調べるにしても問題が1つある。

 

(監視されてるんだろうけど……肝心のカメラの場所が分からない。魔法の気配も感じなかったし……)

「まぁ、お前の気持ちは分からなくもないぞ。あれだけのもん見せられたら、誰だって気になる」

「あの世界樹モドキもそうですけど、ボクが気になってるのは魔獣のことです」

「魔獣?」

 

 野生の魔獣は、政府が管理している地区にのみ生息している。しかし、それとは別に普通の山の中で繁殖してしまっている種族もおり、今日見た魔獣のほとんどが危険度の低い友好型だったことを考えると、政府を通さず捕まえた説が有力だ。

 現在では、魔獣のペット化なんかも進んでいると聞くが、あの凶暴さはどう見たってペットには適していない。

 

「確かに魔獣は、魔力を求めてボクら魔人を襲う性質がある。でも、あそこまでやたらめったら攻撃してくることはないはずなんです」

「あー……言われてみればそうかもな。ずっと何かを警戒しているような、興奮状態だったような……それもあれか? あの不自然な魔力の流れが原因か?」

「分かりません」

 

 あの後、暇になったアルバイターはあの場所を各自で魔力探知して探った。それで分かったことは、あの世界樹モドキを中心にグルグルと妙な流れが出来ていたということ。

 

「そんなことは置いといて……風呂、さっき沸かしておいたから先入れよ。あ、シャワー派だったか?」

「いえ、ありがとうございます」

 

 美味しいご飯は無くなるのも早い。空になった弁当のゴミを重ねながら、ルプスは机を拭いている。こういう姿を見ると、意外とちゃんとしているのかもしれないとアーラは思った。

 ほのかに香るタバコの匂いと、傷んだ髪からは想像できない気遣いだ。人は見かけによらないという言葉は、こういう時に使うのだろう。

 

 

 .

 

 

 

 着替えを持って脱衣所に向かい、脱いだ服をポイポイと洗濯機に放り込む。風呂のフタを開けると、綺麗なお湯が溜まっていた。

 シャワーを出し、髪を濡らす。持参したシャンプーで頭を洗えば、ガラスに映る自分と目が合った。そして、なんとなく明日のことを考える。

 監視の死角が分からない以上、派手な動きはできない。だが、このまま何も調べずにじっとしているのもつまらない。そういえば、あの龍は何をしているのだろうか。特に連絡してくるわけでも無さそうだが……

 

(魔獣と世界樹モドキ……不審ではあるけど、ボクを潜入させて何をしようとしてるんだろう)

 

 結局、あれ以降マキナからの音沙汰は一切無し。アーラはただ単にバイトをしていればいい、ということなのだろうか。内情報告どころか、連絡先すら知らない。

 

「知ーらない♪何もわーからない♪」

 

 自分はしがない中学生。言われてないことは何も知らないの精神でいこう。そうしよう。

 そう決めたアーラは、頭の上から思い切りシャワーをかけた。全身についていた泡が流されて、排水溝に吸い込まれる。何故だか、アーラはそれをじっと見つめて考え込んでいた。

 

(流れる水……1箇所に集まる……グルグルと……)

「あ」

 

 あの場所の秘密に気づいた時、思わず声がこぼれた。だが、まだ分からないことがたくさんある。魔力の流れの秘密に気がついたところで何になるというのだろうか。

 アーラはそのままいつも通りに身体を洗って立ち上がった。

 

「ふぃ〜……」

 

 湯船に浸かると声が出てしまうこの現象は何なのだろう……まぁ、そんなことはどうでもいいか。

 じわ〜っと広がっていく温かさが、一日の疲れを流してくれる。邪魔な前髪をかきあげて、肩までゆっくりと浸かった。

 

(働くって、こんなに疲れるもんなのか……世の中の労働者に感謝……)

 

 慣れないことをしたからだろうか、いつもよりダルい身体がどんどん湯船に沈んでいく気がする。

 業務内容は何も大変なことは無い。餌やりしたらそれ以外は自由時間。世界樹モドキの観察をしていたら暇なんてこともないし、むしろ面白いくらい。

 

「……でも、1週間はさすがに飽きるか」

 

 面白いことに巻き込まれているということは分かるが、これ以上踏み込むとろくな事にならなさそうだ。そう思って、アーラはしばらく鼻歌を歌いながら鉛のように重い身体を癒した。


 そして、ようやく動こうと決心して湯船から上がった。バスタオルを手に取ると、体を拭き、髪を拭き、着替えを始める。部屋着を着ると、リビングにいる同居人に声をかけた。

 

「お先にお風呂いただきました」

「おー、おかえり。んじゃ、オレも入るかな。ドライヤーすんなら、普通に脱衣所入っていいぞ。裸見られたくらいでとやかく言わねぇからよ」

「いえ、目に毒なので部屋でやります」

「失礼なやつだな!」

 

 髪をタオルドライしていると、ルプスが変なことを言った。それを華麗に避けて、アーラはスマホをいじる。ルプスはボソッと「つまんねーやつ……」と呟いて脱衣所へと入って行った。

 温まった身体がエアコンの風で冷やされると、疲れがドッと押し寄せてくる。このままソファに埋まってしまいそうだ。さすがにここで眠るのはマズイと思い、アーラは無理やり起き上がった。そして、自分の部屋へと歩く。

 

「あー、そういえば」

「!」

「あの案内役の社員がさっき来てたぞ。お前に用があるっぽかったけど、風呂入ってるって言ったら帰ってった」

「……そう、ですか」

 

 自室に向かう途中、脱衣所の前を通る必要がある。顔面スレスレで開いた扉にアーラは驚き、一瞬固まった。ついでに半裸で顔を出したルプスにも驚きつつ、適当に返事をした。

 

(……わざわざ扉開ける必要あったか?)

 

 上がった心拍数を抑えながら、アーラは心の中で文句を言った。風呂上がりで火照った顔をタオルで隠して、早足で自室に閉じこもった。





 .





 誰もが就寝準備をしている集合住宅の廊下を歩くつなぎを着たその人。首からは社員証を下がっており、帰宅途中ではないことを示唆していた。そして、その人は階段を降りる前に1つの扉を見つめる。


「……陸奥ミチノク……アーラ」


 あまりにも小さな呟きは、静かな夜であっても誰にも聞こえない。無駄を嫌い、効率を求める会社員がわざわざこんな所まで来たのは何故なのか。

 それはきっと、異質で奇才な存在に希望を抱いてしまったから。決して口にすることの許されない不満を、あの子ならどうにかしてくれるかもしれないと思ってしまった。そんな勝手な期待で押しかけて、自分はあの子に何を言うつもりだったのだろう。


(あの子に会えなくて良かった……)


 自己嫌悪に苛まれた会社員は頭を抱えてため息をつく。もしあの子が顔を出していたならば、とんでもない失態を犯すのは容易に想像できる。

 会社員は苦しくなった胸を鎮めて、呼吸を整えた。そして、いつも通り……無駄な思考を削除して空きスペースを作る。これでいつもと同じ。これからも同じように働けばいい。そうすれば、何も考えなくていいのだから。

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