7話

 社宅を抜けた奥のさらに奥。工場と研究室が一体となったその場所の地下に、アルバイター達は集められた。道案内をするのは、つなぎを着たやつれた会社員。その人は自身の腕時計を見て、重い口を開いた。

 

「……はい、時間になったので、業務の説明を始めます。」

 

 そう言って、会社員は背後にあった頑丈そうな扉に社員証をかざして中に入っていく。集められた5人のアルバイターは、何も言わずに社員の背中を追う。

 

「…皆さん分かっていると思いますが、これは安全な仕事ではありません。労災はおろか、仕事中に起きたトラブルの責任は一切負いませんのでそのつもりで。

 そして、ここで見たこと聞いたこと…体験したことの全て一切他言無用でお願いします。」

「もし話したら?」

「……これからも平穏に生きて生きたいのなら、そのような戯言は言わない方が身のためですよ。」

 

 純粋な質問なのか煽りなのか分からない1人のその言葉に、社員は心底不愉快そうにそう答えた。立ち止まり、後ろを振り返った社員の目はただ虚空を写し、何もかもを諦めているような感じがした。

 

「まぁ、口外したところであなた方の言葉を信じる人などこの世にいないでしょうが。」

 

 ユタカグループは、誰もが知っている大企業。それに比べて、ここにいるのはただのフリーターだ。世間からの信用度なんて、比べるまでもない。

 そんな話をしながら薄暗い廊下を抜けると、そこにはもう1枚頑丈な扉があった。またしても、その扉に社員証をかざす。すると、ものすごく嫌な空気が流れ込んできた。瞬間的に鳥肌が立つ。そして、5人の目に飛び込んできたものは…

 

「嘘……これって…」

「ははっ…これはまた立派な…」

 

 霧がかった冷たい空気と、幻想的な白い光を放つ巨木。幹には血管のようなものに魔力が流れ、葉や花ではなくその姿を模した色とりどりの魔法石がぶら下がっていた。その佇まいは、まるでいつの日か図鑑で見た…

 

(_________"世界樹"…いや、本物なわけがないか。)

「これがなんなのか、どうやってできているのか等の質問は一切受け付けません。あなた方にやって頂きたい仕事はこちらにあります。」

 

 社員がそう言うと、ただの壁だと思っていた4面がパッと明るくなり、ガラスのようになった。いや、明るくなったわけではない。目の前のソレに釘付けになっていた視線が、周りに向けられただけだ。

 あまりの衝撃に脳の処理が追いついていなかった。言われて初めて気がついた周りの景色は、もっと異常だ。何故ならば、いるはずのないモノがそこにいるから。

 

「ヒェッ…!」

「…ま、魔獣…?なんでこんな所に…」

「皆さんの仕事はただ1つ。魔獣の世話です。餌をやり、何か異変がないか確認してください。それだけです。」

「餌って…まさか、この檻の中に入れってのか?」

「その通りです。餌はあそこにまとめて置かれます。種族ごとに与えるものが異なりますのでご注意ください。檻に入る時はあちらの扉から。脱走などさせないように。」

「もし脱走したら?」

「その時は皆さんの命がなくなるだけです。魔獣を殺した場合も同様に処理をします。」

「処理…ね。」

 

 アーラの隣に立っていたルプスが意味深に呟く。淡々と説明する社員には恐怖すら覚えるが、そんなことよりも業務内容のヤバさが際立つ。大半の生き物なら、この時点で逃げ出すだろう。

 

「それでは、何かありましたらあそこのベルをお鳴らし下さい。手の空いている者が対応します。業務終了時刻になりましたら、お知らせします。それまではご自由にどうぞ。」

 

 言わなければいけないことだけを言って、社員は去って行った。残された5人は、互いに顔を見合わせる。

 

 ……が、1人だけ誰の顔も見ずに虚空を見つめている者がいた。ルプスはその1人の肩にポンッと手を置く。

 

「何か気になることがありましたかな?お嬢さん。」

「?いや、特に。んじゃ、さっさと仕事終わらせて自由時間にしましょうか。」

「おいおい、ちょっと待て。まさか普通に餌やりしようってのか?」

「それ以外何が?」

 

 言われた仕事はそれだけだと認識していたアーラは、首を傾げた。そんなことよりも、早く終わらせてこの施設を見て回ろうとワクワクしている。

 

 部屋の中心に佇む"世界樹モドキ"。その根元には城の堀のように溝が掘られ、水が張られていた。四方の壁には、ガラスケースに入れられた魔獣たち。

 オークにゴブリン、ケットシーやホビットなど、一般的に低級とされている魔獣から、牙狼ガロウやコカトリスなどの攻撃性の高いモノまで。どれも国内で確認されている魔獣ばかりだ。

 

(餌は…指定のケースごとに入れればいいだけか。)

「…お前、マジでやるのか?」

「別にいいんじゃない?その子に全部やらせちゃえば。」

「オレはな、こんな仕事してはいるが、ガキに仕事押し付けるようなヤツになるまで落ちぶれたわけじゃねぇんだよ。」

「あっそ。んじゃ、仲良く一緒にやれば?アタシは金さえ貰えればそれでいい。過程なんて気にしないからね。ま、金があったってそれを使う体が無いんじゃ本末転倒だと思うけど。」

「あ゙?」

 

 黒髪の眠そうな顔をした人が、ボサボサの長髪を揺らしながら嘲笑うようにそう言った。その煽りに見事にかかった灰のような瞳の声のデカい人。2人はなんとも相性が悪そうだ。

 それを察したルプスともう1人の中年の人が間に割って入る。なんだか状況を理解していないようなアーラは、1人で餌の入ったケースを引きずっていた。

 

「まぁまぁ…2人の言い分はよく分かるよ…」

「そりゃ〜、リスクなしで大金が手に入るならそっちに飛びつくわな。」

「んだよヤニカス!コイツに賛成だってのか!?」

「違う違う。落ち着いてフラットに考えたらっつー話だ。理屈的に考えると、そこのねーちゃんの言うことが正しい。人道的に考えると、お前のが正しい。な?どっちも間違いじゃねぇんだよ。」

「うん、これはテストじゃない。マルバツはつけられない問題なんだ。」

「………そーかよ。」

 

 なんとか熱くなった心を鎮められたのか、1人は大きかった声を抑えてドカッとその場にあぐらをかいて座った。もう1人は相変わらず瞬きもせずに虚空を眺めている。

 そもそも、4人はこの仕事の何をそんなに渋っているのだろうか。実に簡単な事だ。

 

 魔獣と魔人は、互いに魔力を持つというその性質上、非常に相性が悪い。

 獣が血肉を求めるように、魔獣は魔力を欲する。魔獣が体内で生成できる魔力は、生命活動に必要な最小限の量だとされている。しかし、どんな生き物だって上へ上へと登りたくなるもの。

 魔獣は、生命維持以上の量の魔力を欲して魔人を襲う。もちろん、生き物としての必要な栄養は他の生き物と何ら変わりない。

 

 魔獣にとって魔人とは、タンパク質と魔力のどちらも摂取できる効率の良い食料なのだ。それ故に、魔人避けとして魔獣を買う思想家もいるくらい。

 つまり、餌やりなんかでこの檻の中に入ったら、逆にこっちが餌になりかねないということ。そういう危険な行為なので、誰もやりたがらないのだ。

 

「お話しているところすみませんが、せめて餌箱を運ぶくらいは手伝ってくれませんかね?この量を1人で運ぶのはさすがに…」

「あぁ、すまん。これはあっちか?」

「はい。皆さんが嫌なら、中に入れるのはボクがやりますから。」

「いや!さすがに1人でやらせるわけには…!」

「でも、普通に入ったら餌になっちゃいますよ?美味しく食べられちゃいます。」

 

 手をパクパクと動かして、冗談めかして笑うアーラに、座り込んだその人は苦笑いを返すことしか出来なかった。しかし、子供に仕事を押し付けるのはプライドが許さないのだろう。覚悟を決めたように立ち上がった。

 

「よし!じゃあオレもお前と一緒に行く!2人ならなんとかなるかもしれねぇ!!」

「まぁ…あなたがそれでいいのなら…」

「何かあったらオレが助けてやるから心配するな!これでも少しくらいは魔法も使えるしな!」

 

 そういえば、このバイトの募集要項には一定基準の魔力操作ができる者と示されていた。それならば、魔獣との戦闘くらいどうってことないだろう。

 

「……じゃ、開けますよ。」

 

 2人が最初に選んだのは、この中で1番攻撃性の低いケットシーのケース。

 餌箱を抱えた灰の瞳を持つ者の緊張した面持ちを見て、ゲートの開閉ボタンを押そうとしているアーラはこの後起こることを予測した。

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