6話
ボロアパートに母と二人暮し。頼れる親戚もおらず、ただ金を求めて裏バイトに手を出した哀れな中学生。
(…そういう設定ね。)
テスト終わりに渡された1枚の紙。汗が流れ落ちる猛暑の日に、生徒はその紙を見ながら帰路に着いた。そして、時は流れて夏休み。
宿題は家に置き、部活に遊びに…といきたいところだが、三食昼寝付きという条件下で働くこととなった学生には、まだおあずけだ。
(ここ、社宅だったんだ。普通のアパートだと思ってた。)
「あれ?アーラくん?こんな所で何してるの?」
大きく綺麗なアパートを、ボストンバッグを持って見上げる帽子を被ったその人に声をかけたのは、ゆるふわカールの髪の毛が可愛らしい子だった。
驚いた顔をして振り返ると、その子はとても嬉しそうに笑いかける。この子は確か、同じ学校に通っている同級生だ。クラスは違うが、時々話しかけてくれる。理由は分からない。
「その荷物…アーラくんここに住むの?」
「うん、少しだけね。」
「じゃあ家族がユタカグループで働くんだね!私のお父さんもユタカグループで働いてるの!だから、私もここに住んでるんだー。あ!良かったらさ、二学期から一緒に学校行かない?」
「あー…ごめん。ボクがここに住むのは本当にちょっとだけなんだ。」
知り合いが同じアパートに引っ越してくるということが、そんなに嬉しいことなのだろうか。頬をほんのりピンクに染めながら話すその子に、アーラは疑問を感じながら、周りを見渡した。
そして、ちょいちょいと手招きをして顔を近づけ、内緒話をするように声を潜めた。
「実は、短期バイトするんだ。その間だけ…ね?」
「え?バイト?」
「うん…ほら、うちの学校バイト禁止だからさ…これは、ボクと君だけの秘密ね?約束。」
「あ…う、うん…!」
「ありがと。」
その子は一瞬戸惑ったような様子を見せたが、指切りげんまんを要求すると、恐る恐る小指を絡ませてくれた。ギュッと繋がれた小指は、やけに暖かく感じる。
秘密を守ってくれそうな子で一安心したアーラは、そのままその子に笑いかけて「シー。」と唇に指を当てた。ピンクだった頬が赤くなった気がするが、これでとりあえず大丈夫だろう。
「君が優しい子で良かった。」
「や、やさしくなんかないよ〜。内緒でバイトしてる子なんてたくさんいるもんね。誰にも言わないよ。」
「本当にありがと。」
「いいえー。ついでに部屋まで案内してあげるよ。何号室?」
「えっと…」
連絡だと確か"302号室"だと聞いていた。それを伝えると、その子は笑顔で案内をしてくれた。
.
エレベーターで3階に上がり、降りてすぐの部屋の隣。その看板に目的の番号が書かれていた。
「302号室はここだね。」
「わざわざありがとう。」
「大丈夫だよ。私もここの階だから、306号室。良かったら遊びに来て。」
「うん。暇が出来たら遊びに行くね。」
そんな話をしながら、「それじゃあ…」と別れの挨拶をしようとした時、アーラはあることを思い出した。それと同時に、背中を向けたその子を呼び止めていた。
「あ、待って。」
「?」
「一緒に学校行く話、誘ってくれたらいつでも大丈夫だから、また連絡して。」
「え、いいの?」
「うん、特に約束してる子がいるわけじゃないしね。」
「わ、分かった!また連絡するね!」
「うん。」
何故かとても嬉しそうなその子に疑問を感じながら、嬉しいならいっかと思って、アーラはドアノブに手をかけた。ルンルンと花が咲きそうなほどの笑顔で手を振ったその子を後ろ姿を見送って、アーラは扉を開ける。
ギィッと嫌な音を出して開いたその扉の先には、普通に綺麗な玄関があった。一人暮らしには少し大きめの靴置き、よく見るとご丁寧にスリッパが用意されていた。
(…アメニティ?ホテルでもないのに?)
「それはオレの私物だ。」
誰も居ないはずなのに、もうすでに用意されているスリッパを不思議に思っていると、リビングらしい部屋の方から声が聞こえてきた。声の主は、金髪で褐色肌の人。喫煙者なのだろうか、ほのかにタバコの匂いが漂っている。
「そこ、置いてあるのがこの部屋の鍵。あっちの部屋はオレが使うから、お前はこっちな。」
「分かりました。」
「ん。そのスリッパ、使っていいぞ。元カノが使ってたヤツだからな、できればそのまま持って帰ってくれ。」
「あなたが良いのなら遠慮なく。」
壁にもたれかかり、腕を組んだその人は言いたいことだけ端的に言った。それに動揺するどころか、質問すらせずにアーラは承諾する。靴を脱ぎ、スリッパを履く。それを見た褐色肌のその人は怪訝な顔をした。
「おいおい、なんの疑問もなしか?」
「?」
「…お前…もっとなんかあるだろ。挨拶とか、自己紹介とか…元カノのもん押し付けんな!とか。」
「挨拶も自己紹介もそちらがしなかったので、したくないのかなと。スリッパに関しては、あとで捨てようと思っていたので。」
「そ、そうか…」
清々しいというか、恐ろしいほどに無関心なアーラの言葉にその人は呆気に取られた。そんなことは露知らず、アーラは言われた部屋に荷物をおいて間取りを確認し始めた。
.
同居人?は、まぁいいやと思ったのか再びリビングに戻ってソファに座る。スマホを見るでもなく、テレビを見るでもなく、ただ外を見ていた。
「………お前さぁ…」
一通りの探索が終わったのか、アーラがリビングに入ってきた気配を感じて同居人が口を開いた。さすがに独り言ではないと思ったアーラは、同居人の方を見る。
「このバイト、やべぇやつだって知ってんの?」
「知ってますよ。」
「じゃあ金に困ってんのか。」
「…そんな感じです。」
アーラがそう答えると、同居人は「へぇ…」と目を細めて呟いた。そして、外を見ていたはずの顔をアーラの方に向け、ぎこちない笑顔で笑う。
「オレの名前は
「…ボクは、
「おー、中学生か。何年?」
「3年です。」
「じゃあ高校受験?」
「はい。」
受験生の夏は勝負所。それなのにバイトなんかしていていいのだろうか。普通ならそう思うのだろうが、こんな所にいる時点で普通ではない。だからか、この場にいる2人は何も疑問には思わなかった。
ただ、やはりいくつか聞きたいことはあるようで、アーラはルプスの隣に座った。そして、気になったことを聞いてみる。
「あの、他のバイトの人は…」
「あー…聞いた話によると、もう一部屋借りてあって、そこには3人いるんだと。それで全員らしい。」
「じゃあここはボクらだけなんですね。」
「もう少ししたら工場の方に行って、一通りの説明がある。そこで言われたとおりに働けば、報酬が貰えるぞ。」
「…詳しいんですね。こういうバイトは慣れてるんですか?」
「働くならスリルある方がいいだろ?チマチマつまんねぇことするの嫌いなんだよ。」
「なるほど。」
そういう性格なら、好んでこのバイトをするのも納得だ。アーラはそう思いながら、他の人はどんな人なのか想像した。きっと、本当に生活に困っている人か、変人しかいないのだろう。
自分のように潜入調査みたいなことをしている人は少ないはず…かと言って、本当の理由がバレるのも面倒くさいし、ある程度は他の人の情報も掴んでおくべきかもしれない。
そう思ったアーラは、興味というよりも自分が動きやすくなるために会話を試みようと考えついた。そして2人は、時間が来るまでたわいもない話をし続けた。
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