1-2 魅惑の囀り
20××年
魔物との争いが収束し、その間には【人魔共生平和条約】が結ばれた。
あの日から、今日でちょうど"115年"という月日が経つ。
先進国として評価される日本では、インフラはもちろんのこと、ありとあらゆる発展を遂げた。その中でも、工業化のスピードは桁違いだ。
陸だけでなく、海や空にも平然と鉄の塊が動き回っている。夜なのに明るく光る照明や、様々な便利機能が搭載された携帯電話など……最近は何でもかんでもワイヤレスにするのが流行ってるらしい。
愛知県某所でその日、日本という国を作り上げている労働者達は、何食わぬ顔をして帰宅ラッシュの満員電車に乗っていた。
その電車は、いつも通りに各駅に停車する。その内の1つの駅。
その駅に着き、扉が開くと……聞こえてきたのは、決して華やかとは言えないが、何故だか心に残る綺麗な音だった。
(? 路上ライブでもやってるのか?)
乗客の多くは耳にイヤホンをしていた。しかし、全員がそのイヤホンを外し、我先にと電車を降りて行くではないか。
電車の運転手も、時刻表など頭から抜け落ちてしまったかのように数分間その駅で手を止めていた。発車が遅れてしまうのは言うまでもないが、誰も何も咎めない。
「この音……どこから?」
「あっちの方じゃない?」
誰かがそう言って足早に改札を抜ける。その周りを他の乗客達が囲んでいた。
駅員が手に持っていたペンを落とす。そこで、人の波に流されていた1人の会社員がハッと我に返った。
「あれ……俺、何して……」
気づけばそこは、降りたことのない駅だった。いつも通っているため名前だけは知っているが、最寄り駅でも何でもない。それどころか、その駅は簡素なコンビニがあるだけで用事を作ろうとしても難しいくらいの場所だ。
その会社員は、人混みが嫌いで外に出る時は頭が痛くなるほどの音量で音楽を聴きながら帰るのが日常だった。それなのに、なんというか……心に聴こえていたのだ、歌が。
(……せっかくだし、聴いてくか)
いつも通り虚ろな目をした社畜仲間達が目指す先に、その歌を歌っている張本人がいると思った。わざわざ流れに逆らうのも面倒だし、妙な縁的なものも感じたので、会社員は少しだけ寄り道して帰ることにした。
.
同日────────
全ての乗客だけでなく、電車の動きまでもを止めてしまった歌が駅前に響いた時。
偶然、その電車に乗っていた1匹の龍はその奇妙な現象に出くわした。
突然降りていく乗客。一向に出発しない電車。
何かの都市伝説にでも巻き込まれてしまったのかと思ったその龍は、誰もいなくなった電車内で何故か懐かしく感じるその歌に耳を澄ませていた。
そして、1曲歌い終わる頃に改札を出てから、現場を見に行った。
(……子供?)
群衆の中心にいたのは、フードを深く被った華奢な体格の歌手。ギターを弾き、少しだけ見えている口元はかなり綺麗で整っている印象を受ける。
また、背格好からしてなんとなく子供のような感じがした。体に対してギターが大きすぎる所がそう感じるのだろう。
「────♪ 世界を繋げ……My First Magic」
そこで詩は終わり、ギターの音が住宅街に響く。その音が聞こえなくなったと思ったら、今度はあちこちから物音が聞こえた。
それは、群衆が自身の財布を開けてギターケースに現金を投げ込む音だ。しかも、それは小銭なんかじゃない。
(路上ライブの観客全員が札を投げるなんてことあるか? 普通……)
異様な光景だった。
最初からそうだっただろうと言われては反論できないが、さすがにこれは集団洗脳だと訴えられても勝てる気がしない。
(……あながち間違いでもないがな)
その場にいた客が、当たり前のように財布にある札を置いていく。それを見た歌手は、お礼も言わずただじっと人が去るのを待っているようだ。
数十分後────────
我に返った観客が次の電車に何の疑問も持たないまま乗り込んで帰宅して行った。
その間に歌手は、荒稼ぎした札を雑にしまってギターを片付ける。物陰からその様子を観察していた龍は、歌手が動き出したのと同時にその後を追う。
どんどんと駅から離れ、どこからか晩ご飯の匂いが漂う中、迷うことなく足を動かす歌手。
龍は、歌手にとってここは地元で、あの駅は最寄り駅なのだろうと考察する。上手くいけば、このまま尾行できる……そんな一瞬の油断が、相手に隙を与えてしまった。
「……」
(気づかれた……!)
そう思った時にはもう、視界にあったはずのギターケースがなくなっていた。
慌てて辺りを見渡せば、あの歌手は細い路地に入り込んで、器用に壁を登っている。その身のこなしを見れば、小さな疑惑が確信に変わった。
咄嗟に龍も壁を登る。
互いに常人離れしたその身体能力で追いかけっこが始まる。屋根を飛び、空を駆ける。だが、龍と一般人? では経験値が違う。
数秒後……後ろから伸ばされた手は、ギターケースを掴んだ。
「!?」
「! 危ないっ……!!」
ギターケースを掴まれたことにより、空中で体勢を崩した歌手は着地に失敗して、屋根から滑り落ちた。それを受け止めようと、龍が庇うようにして地面に背を向ける。
「っ……、?」
「……大丈夫か?」
抱き合うような形で落ちた2人は、地面に着くスレスレの所で浮いていた。そして、フワッと風が吹いたと思ったら体が持ち上がり、ゆっくりと地面に足が着く。
歌手は、自分の身に起こったことを確認しているのか視線を左右に動かす。
怯えたようなその様子とは裏腹に、今の衝撃で見えてしまった歌手の素顔に龍は目を奪われていた。中性的な見た目と体つき。性別の判断は難しい。
そして、視線は特徴的な耳飾りに移る。
(珍しい……魔法石の耳飾りか)
自分の顔が見えていることに気がついた歌手は、急いで顔を隠そうと手を上げた。
しかし、その願いは1歩届かず龍によって防がれた。腕を掴み、壁に押さえつけて拘束する。華奢だとは思っていたが、予想以上に抵抗する力が弱々しくて驚いた。
というよりも、腕を掴まれた時点で逃げることは諦めたようだ。それでも不服なのは変わらないらしく、歌手は鋭い目付きで龍を睨んだ。
「逃げるなら、何回でも捕まえるぞ」
反抗的な態度に少し脅しをしてみる。すると、存外聞き分けは良いようで大人しく諦めたようだ。鋭い目付きをやめ、今度はじっと観察するような視線を送ってくる。
そして、ボソッと一言呟いた。
「……通り魔……?」
「………………は?」
後をつけられ、逃げたら追いかけられた上に拘束されて脅されている。その結果、歌手が絞り出した答えは"通り魔"だった。
龍は1人。しかも見慣れない和服姿となれば、私服警官の説もなくなる。警察でもない人に追いかけ回されたら、真っ先に疑うのは関わってはいけない人だということ。
しかし、まさか自分が通り魔などと疑われるとは1ミリも思っていなかった龍は歌手の腕を掴んでいた手を離し、頭を抱えた。
「……まさか通り魔扱いされるとは」
「? 違うんですか?」
「いや、失礼。君からしたらそうだよな。すまない、乱暴なことをしてしまって」
「……いえ、別に」
頭を抱える龍に困惑しながらも、掴まれた腕をさすりながら歌手は一定の距離を取った。しかし、もう逃げるようなことはしない。これ以上付きまとわれても迷惑だと思ったからだ。
「それで、通り魔じゃないならなんですか? ストーカー?」
「それも違うな。確かに犯罪紛いのことをしたが、本当の犯罪者はそっちだろ?」
「何の話ですか。補導にはまだ早いでしょう」
「知らないとは言わせないぞ」
責めるようなその言い方に、ギターを背負い直した歌手は考えた。自分の行動のどこに問題があったのだろうか。路上ライブの許可は得ていた。信号無視した記憶もない。何も思い当たる節がない。
本当に何もないのだ。
首を傾げて本気で悩んでいる歌手の姿を見て、余裕そうだった龍も怪訝そうな顔をする。
「……本当に分からないのか?」
「……路上ライブの収益は、脱税だろ……とかいう話ですか?」
「そんな話ではない。君の歌だ」
「歌?」
ますます分からなくなったとでも言いたげに歌手は眉をひそめた。自分の歌は路上ライブだけでなく電波に乗せて世界中に発信している。数年そんなことをしているが、誰にも咎められたことはないのだから。
「知っているだろ? 精神操作系の魔法は、資格を持たない者は使用してはいけない。資格保持者の中に君はいなかったはずだ」
「まさか、資格保持者を全て覚えているんですか?」
「もちろんだ」
「すご……でも、尚更なんの話をしているのか分かりません。ボクは精神操作の魔法なんて使っていませんから」
そうきっぱり言い切った歌手は、回れ右をしてその場を去ろうとした。それを止めるため、龍がギターケースを掴む。後ろに引かれて歌手が「ぐえっ」と声を漏らす。
「何するんですか!」
「……おかしい。何故、君は気づいていないんだ」
「はぁ? 本当になんなんですか!? 大体、精神操作系の魔法なんて、高度すぎてボクみたいなのには扱えません! そんなの資格保持者全員覚えてるくらいなら分かるでしょう!」
「そのはずなんだ。だから、おかしいと思って後をつけていた」
2人が話す精神操作系の魔法とは、手練の魔法使いでさえもその習得には多くの年月を必要とされている。おまけに、少しでも間違えれば何が起こるかわからない大事故になりかねないのだ。だからこそ、その魔法を使うには厳しい試験がある。
しかし、目の前にいる歌手は見た目的にまだ年端も行かぬ子供。どれだけ魔法の才があろうが、あのような場所で失態を犯すほどの勇者には見えない。
しかし、あの光景は魔法無しで作れるモノじゃない。精神操作でなければ、何か別の魔法の可能性も……
いやそもそも、何の魔法かも分からなかったこと自体が異様だ。何故ならば、ここにいるのは手練の魔人、その中でも特別な龍なのだから。
「……本当に魔法は使っていないのだな?」
「はい」
嘘も偽りもない真っ直ぐな回答。
それを聞いた龍は、改めて子供のことをよく見てみた。抱いた感想はただ1つ。
(……底が、見えない……)
「……あの、もういいですか? 早く帰らないと親が心配するので」
「あ、あぁ……すまなかった。こちらの勘違いだったらしい」
「いえ、お気になさらず」
そう言って、歌手は今度こそ背中を向けた。くるりと回った際に揺れた耳飾りが龍の目に留まる。その瞬間、頭で理解するよりも先に口を開いていた。
「待ってくれ……!」
「?」
「……君の、君の名前を教えてくれないか」
「…………
不自然な間の後、歌手はそう名乗った。
しかし、その名前は龍にとって聞き覚えのある名だった。少なくとも、龍の知っている
「……なるほどな」
子供のよう風貌に、先程の本名(仮)
嫌でもある想像が出来てしまう。あれほど警戒心が強い奴が、簡単に名前など教えるはずがなかったのだ。
龍はスマートフォンを取り出し、ある人に電話をかけた。
「…………久しぶりだな。今少しいいか?
スマートフォンに話しかけながら、龍は静かに口元を歪ませて夜空に浮かぶ月を見た。
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