2話
とある日の夕暮れ。
帰宅途中の学生やサラリーマンが通る駅前で、ギターの音が響く。道の半分にまで飛び出した群れの視線の先には、フードを被った誰かがいる。
「何?路上ライブ?」
「みたいだね。すっごい歌上手。」
透き通るような美しい声は、人々の足音さえも音楽に変える。それまで雑談をしていた人も、思わず耳をすまして聞いてしまう。そんな魅力がその歌声にはあった。
「……アレは…」
人混みの中、足を止める数名の中の1人が呟いた。
心地よいギターの音、凛とした佇まいに惹きつけられる声。そして、僅かに感じる"魔力"…
.
地面に映る影が薄くなる頃、街灯がつき始めたと同時に歌手はギターを片付け始めた。それをじっと見つめるモノが1つ。歌手はそれに気がつかず、人混みの中へと姿を消した。
駅からしばらく歩くと、周りにいたはずの人はすっかりいなくなり、ギターを持ったその人はただ1人住宅街を歩いていた。すると、突然方向を変えて路地裏に入り込む。
密かにその人を追いかけていたもう1人が、すかさず路地裏へと駆け込む。そこで見た景色は、ギターが壁伝いに駆け上がって行く姿。
いや、ギターを背負ったその人がすごいスピードで逃げて行く姿だ。もう1人は、それよりも素早く壁を上った。
互いに常人離れしたその身体能力で、追いかけっこが始まる。屋根を飛び、空を駆ける。だが、追いかける方が少し速い。後ろから伸ばされた手は、ギターケースを掴んだ。
「!?」
「!危ないっ…!」
ギターケースを掴まれたことにより、空中で体勢を崩したその人は着地に失敗して、屋根から滑り落ちた。それを受け止めようと、もう1人が庇うようにして地面に背を向ける。
「っ……、?」
「…大丈夫?危なかったね。」
抱きしめられるような形で落ちた2人は、地面に着くスレスレの所で浮いていた。そして、フワッと風が吹いたと思ったら体が持ち上がり、ゆっくりと地面に足を着くことが出来た。
追いかけられていた方は、何が何やら分からなくなっている。次に気がついたのは、自分の視界がやけに広くなっていることと、このままだとマズイということ。
「逃げるなら、何回でも捕まえるぞ。」
取れてしまったフードを直そうと手を上げた瞬間、ガっと腕を掴まれて後ろの壁に押さえつけられた。背の高い1人と、ギターケースに背負われているような小柄な1人では力の差も歴然。
押さえつけられている方は、諦めたように目の前の生き物を見た。そこにいるのは、長髪の顔が整った人。知り合いではない。
「……通り魔…?」
「………………は?」
後をつけられ、逃げたら追いかけられた上に拘束されて脅されている。これは立派な犯罪だ。追い詰められたその人が絞り出した答えは"通り魔"だった。
そんなことを言われるとは思っていなかったのか、長髪のその人はポカンとした顔で間抜けな声を出した。そして、次の瞬間肩を揺らして笑い出した。
「ふふっ、あははは!!まさか通り魔扱いされるとは!」
「?違うんですか?」
「いや、失礼。君からしたらそうだよな。すまない、乱暴なことをしてしまって。」
「…いえ、別に。」
顔を押えて笑うその人に困惑しながらも、掴まれた腕をさすりながらその人は一定の距離を取った。しかし、もう逃げるようなことはしない。これ以上付きまとわれても迷惑だと思ったからだ。
「それで、通り魔じゃないならなんですか?ストーカー?」
「それも違うな。確かに犯罪紛いのことをしたが、本当の犯罪者はそっちだろ?」
「何の話ですか。補導にはまだ早いでしょう。」
「知らないとは言わせないぞ。」
ギターを背負い直したその人は考えた。自分の行動のどこに問題があったのだろうか。路上ライブの許可は得ていた。信号無視した記憶もない。何も思い当たる節がない。
本当に何もないのだ。首を傾げて本気で悩んでいる姿を見て、余裕そうだった長髪のその人も怪訝そうな顔をする。
「…本当に分からないのか?」
「……路上ライブの収益は、脱税だろ…とかいう話ですか?」
「そんな話ではない。君の歌だ。」
「歌?」
ますます分からなくなった。その人の歌は、路上ライブだけでなく電波に乗せて世界中に発信している。数年そんなことをしているが、誰にも咎められたことはない。
「知っているだろ?精神操作系の魔法は、資格を持たない者は使用してはいけない。資格保持者の中に君はいなかったはずだ。」
「まさか、資格保持者を全て覚えているんですか?」
「もちろんだ。」
「すご…でも、尚更なんの話をしているのか分かりません。ボクは精神操作の魔法なんて使っていませんから。」
そうきっぱり言い切ったその人は、回れ右をしてその場を去ろうとした。それを止めるため、もう1人がギターケースを掴んだ。後ろに引かれてその人が「ぐえっ。」と声を漏らす。
「何するんですか!」
「…おかしい。何故、君は気づいていないんだ。」
「はぁ?本当になんなんですか!?大体、精神操作系の魔法なんて、高度すぎて僕みたいなのには扱えません!そんなの資格保持者全員覚えてるくらいなら分かるでしょう!」
「そのはずなんだ。だから、おかしいと思って後をつけていた。」
2人が話す精神操作系の魔法とは、手練の魔法使いでさえもその習得には多くの年月を必要とされている。おまけに、少しでも間違えれば何が起こるかわからない大事故になりかねないのだ。だからこそ、その魔法を使うには厳しい試験がある。
しかし、目の前にいる歌手は見た目的にまだ年端も行かぬ子供。どれだけ魔法の才があろうが、あのような場所で失態を犯すほどの勇者には見えない。
「…本当に魔法は使っていないのだな?」
「はい。命にかけても、そんなことはしていません。」
「いや、そこまで強く疑っているわけでは…」
目の前の子供が、突然"命をかける"と言い出して長髪のその人は驚いた表情をする。だが、このような状況に置かれているということは、それくらいの覚悟を見せなければならないと子供は思ったのだろう。
そこで、長髪のその人は改めて子供のことをよく見てみた。見れば見るほど不思議な子だ。
(…底が、見えない…)
「……あの、もういいですか?早く帰らないと親が心配するので。」
「あ、あぁ…すまなかった。こちらの勘違いだったらしい。」
「いえ、お気になさらず。」
そう言って、子供は今度こそ背中を向けた。くるりと回った際に揺れた耳飾りが、もう1人の目に留まる。その瞬間、頭で理解するよりも先に口を開いていた。
「待ってくれ…!」
「?」
「……君の、君の名前を教えてくれないか。」
「…
不審者に自分の名前を告げ、子供はその場からパッと姿を消した。長髪のその人は、その事にも驚いたがもっと驚いたのはその名前だ。
「…なるほどな。」
残された1人は静かに口元を歪ませ、夜空に浮かぶ月を見た。夜の街に怪しく佇むその人を、誰も見やしない。そして、帰路に着く歌手は自宅の玄関を開けた。
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