13話・つごもり様 前編 上

つごもり様





 音もなく降り続ける雪をすりガラス越しに眺めていると、痩せこけた自分と視線が合った。

 酷い顔をしている。

 眼の下に深く刻まれたクマ。痩せこけた頬。青白い顔色。

 金髪の中で一際光を反射する一房、あれは白髪だろうか。


 年末、一通のDMが僕のSNSアカウントに届いた。送り主は「ツイタチ様」。

 村上くんがフォローし、目視した人に罪悪感を抱かせて、破滅させるアカウント。

 去年の11月に刑事2人と確認したあと、鍵をかけていたそれは、年末に突如その沈黙を破り、思わぬ形で僕の前に姿を表した。

 長々と綴られたDMは、普段の投稿とは異なり、村上くんに宛てた返信のように丁寧な文章をしていた。


 DMが届いた後の記憶が曖昧だ。

 恐ろしくなって部屋中に当たり散らした後、弥勒に連絡した記憶はあるのに、どうやって家から外に出たのかすっぽり抜けている。

 気がついたら黒塗りの高級車の後部座席に座り、弥勒の部下に両手の傷を手当されていた。

 いつどこで切ったのか覚えていない。

 スッパリと切れた傷跡から、部屋を荒らした最中ではなく、カッターか包丁で自分で切りつけたのだろうと推測できる。

 手の内側だけに付けられたその傷は、部屋を荒らした際につけたものではない。

 ガーゼに滲む赤い血を見て、何故か他人事のようにホッと安心感を覚える。


「バカなことをする。」

 右側のドアが開き、弥勒が覗き込んでくる。

 手当をしてくれた部下が頭を下げて、そのまま弥勒と入れ替わって外に出る。

 外の道路は白く染まりつつあった。


「僕は、人間なんでしょうか?」

 頭の中を渦巻いている疑問が口からこぼれ落ちる。

 横に座っていた弥勒が、開いた窓の向こうの部下にタバコの火を付けさせながら「あぁ?」と返事を返した。

「何言ってんだ、お前。」

 呆れたような声色でタバコを咥え、空いた左手で僕の頬に触れ強くひねる。

 両手よりも強い確かな痛みに、僕は視線だけ弥勒に向ける。

「だってDMの…」

 そう呟いて、どこまで弥勒に話したかも覚えていなかった。

 電話越しで「落ち着け」「大丈夫だ」と励まされたことは記憶にあるのだが。


 連れて行かれた先は都内の料亭だった。

 比較的新しい建物で、通された奥座敷からは真新しい畳の匂いが香っていた。

 弥勒が日本酒、僕はビールを頼んだ。


 チリチリと痛む手でポケットからスマホを取り出す。

 もはや息をするよりも素早く、そのアカウントを開くことが出来る。

 アカウントの鍵は開けられていた。


――――――――――――

1月1日

あけましておめでとー!!今年も一年人間讃歌!!

人間が楽しく幸福に生きていけるように頑張ります!!


1月1日

どうぞどうぞ参拝していってね!!今ならたんまりご利益あげちゃうよ!


――――――――――――


 投稿内容のしょうもなさは、何も変化していないようだった。

 相変わらず反吐が出るような、薄っぺらい人類愛を掲げている。

 僕のSNSのホーム画面に戻り、DMページを開く。

 一番上に着ていた返信画面をタップしこれです、と弥勒に向ける。

 弥勒は、外の雪のように白い煙を吐き出しながらスマホの画面を覗き込み、眉をひそめた。


「だから、俺には何も見えねえんだって。」

 相変わらず、弥勒には真っ黒な画面しか見えていないようだった。

 見えないながらも不快感を覚えるようで、心做しか苛々している。

「大雑把に説明してくれ。…話せる所までで構わん。」

 以前弥勒は、ツイタチ様の投稿内容を誰かに朗読で聞かされても、上手く伝わらなかったと言っていた。

 何度一字一句間違えずに話をしても、耳にノイズがかかるように内容を把握できなくなってしまうらしい。

 簡単な説明を繰り返し、彼の頭の中で再構築してもらうしか方法はない。


 僕はDMの内容を何回かに分けて、弥勒に説明した。


 僕が投稿内容とアカウントに不安がっていると心配しDMをした事。

 自身は「罪の神」であり、人に擬態しSNSではただ日常を呟いているだけだという事。

 投稿内容には、人を狂わせる力があっても、ツイタチ本人には何も意図がない事。

 つみしろとツイタチ信仰の成り立ちと、禍津物と呼ばれる動物達の正体。

 日吉という人物と伊吹…恐らく山上伊吹警視の事だろう、眷属にした神が何柱か人に擬態してこの世に顕現しているという事。

 村上くんの事件に関して、そしてツイタチに対して、僕が何もしてないし、不安になる必要は何もない事。


 最後に一文、僕に「なぜ人のふりをしているのか?」と訪ねた事。



――――貴方はなぜ人のふりをしているのですか?



 投げかけられた言葉を頭の中で反芻する。


 人のふりをしている?

 僕が?


 生まれてこのかた、人間だったはずだ。

 大阪の堺市で生まれ、明るくほがらかな――――大阪人を絵に描いたような両親と、ちょっぴり怖い姉が1人、ペットの猫と金魚。

 幼稚園、小学校、中学校。高校から一人上京し、そのまま大学に通っている。

 反抗期こそあれど一度も非行に走ることなく、何の不自由もない中流家庭で育ててもらった。

 漫画やアニメにハマって、自らも何者かになりたいと、そのキャラの世界観に没入した経験はあるが、そのキャラになりきった記憶もない。

 そもそもオタクと呼ぶには、熱量も知識も足りない。

 細い割にはそこそこ動けたので、中学高校は卓球部に所属していた。

 実力は足りなくとも、結構熱心に練習をしていたし、中等部の頃堺市の大会で7位に入ったこともある。

 勉強も、決して賢くはなかったが、かといって授業についていけなくなるような事もなかった。


 本当に、どこにでもいるただの男だ。

 特筆すべきエピソードは、それこそ僕が知る村上くんの日常ほど、何もない。


「僕は、人間なんでしょうか。」

 何度目かになるかわからない疑問が、ただただ頭の中を虫のように這いずっている。

「あのなあ、多聞…」

 刺身を肴に日本酒を飲みながら、弥勒は僕に語りかける。

 畳の匂いに混じって、灰皿のタバコが室内を流れる暖房の風に煽られて宙を舞う。

 向かいに座る僕の鼻へ副流煙を届け、味合わない苦みにすこし咽た。


「お前は人間だよ。それ以外の何なんだよ。」

 勘弁してくれよ、と呟きながら弥勒は長い指で眉間のシワを伸ばす。

「お前は自称神様の同類だって?最近の中学生でも、もっとマシな夢を見るぜ。」

「そりゃまあ、そうですけども…でも僕の知らん所でほんまの僕は、別におるんかもしれない。」

「それこそ妄想ってやつだぜ。」

 運ばれてくる料理を、弥勒は酒を飲みながら黙々と口に運ぶ。

 酷く腹が減っていたが、どうしても何かを口にする気になれなかった。

 ビール瓶の結露が机に溜まっていく。


 あのアカウントは、人間の姿をアバターのようなものだと言っていた。

 本体と意識は繋がっているが、知恵はなく、人格に至ってはほぼ別個体だと。

 それが本当だとしたら、僕は僕が意識しない所で何かを忘れているだけなのかも知れない。

 僕には、「本体」がいるのかも知れない。


 そうか、だから僕は罪悪感を抱いているのか。

 あの方のことを忘れ、あの方の呼びかけに応じなかったから。


「しっかりしてくれよ、多聞。そうやって、村上も呪われたんじゃねえか。お前まで飲み込まれてどうする。」

 弥勒は暖房の風に煽られてぬるくなってしまったビールを僕に差し出す。

 僕は包帯で巻かれた手で受け取る。コップ越しのズシリとした水分の重みに、傷口が開くのを感じた。


――――――たかが切り傷でこの痛みなら、骨折した指でナイフなど握れまい。

 ましては、臓物を掻き出し、切り分けるなど出来るはずもない。

 村上くんはやはり、誰も殺していないのかもしれない。


 弥勒は配膳で待機していた店員を傍に呼ぶと、新しく日本酒を注文する。

 差し出されたビールを一気飲みして、僕もおかわりにハイボールをお願いした。

「やっとそのアカウントがどんなものなのか、俺にもわかるようになってきたけどよ…」

 弥勒はおちょこに注がれた新しい日本酒を飲み干しながら、箸でだし巻き卵を半分に割る。

 どうやら弥勒はアカウントについて、考えるだけでも気分が悪くなるようで、端正な顔をしかめながら巻き卵をおおきく咀嚼する。

 喉仏を上下させ日本酒を流し込み口の中を空にすると、はあ、と深くため息を付き頭を垂れてうなだれた。


「………俺の、知り合いかも知れない。」

 思わず目を見開く。

 弥勒がバツが悪そうに右手で頭をかきむしる。

「知り合い、ですか?」

「うん。」

 食べないならくれ、と僕の皿のだし巻き卵を箸で指す。よほど、好みの味だったのだろう。

 どうぞ、と差し出すと箸ではなく指で掴むと、今度はそのまま大きく口を開け丸ごと飲み込んだ。

「妹の彼氏の言動によく似てるんだよ。」

 弥勒の妹――――の彼氏。

「妹さんの…」

 真っ先に思い浮かんだ顔がある。


 サークルで一番可愛らしかった女の子。

 弥勒と同じ栗毛色の髪をした碧い瞳。

 僕も何度か会話をしたことがある。

 一対一ではないが、飲みの席やサークル内の談話で、明るく柔らかな話し方をするが、自分の意見を主張することをあまりせず、常に聞き手に回っていた。

 吉川さんの友達で、女優志望で、去年の夏に一緒に広島旅行に行くはずだった、そして村上くんが「ツイタチ様」以外にフォローしていた―――


「西千鶴さんですか?」


「お。知ってるのか?」

 弥勒は一瞬驚いたものの、そうだよな…と納得をし、僕の皿に残ったなすの天ぷらに箸をつけていた。

「似てはりますし、薄々そうじゃないかなと思ってました。」

「ふーん。それなら話が早いな。」

 僕の皿から盗んだなすの天ぷらに自身の皿の抹茶塩を付けながら、弥勒は続ける。

「わけあって籍を分けてるが、俺の実の妹だよ。可愛いだろう?まあ、身内自慢は置いておこう。その、妹の彼氏が広島で浪人生をしているんだが、………恐らく、」

「ツイタチ様だと?」

 パリッといい音をさせてなすの天ぷらを口に含む。

 食わねえなら貰うぞ、という弥勒に、どうぞと全く手つかずの皿を差し出す。

 空っぽの胃に流し込んだ酒が、むせ返るように食堂を這い上がろうとする。

 じわじわ登ってくる液体は、もはや生き物のようだった。


「小江晦という。白髪で背の高え美形だ。見た目は完全にコッチ寄りだが、中身と素性は至って普通のどこにでもいる田舎の浪人生だな。」


「うっ」


 これだ、と差し出されたスマホの画面を見て、僕は思わず先ほど一気飲みしたビールを吐き出した。

「おい!」

 弥勒が慌てて僕のそばに駆け寄る。

 従業員を呼び、机の上背中を撫でる。

 口元を抑えながら何度も頭を垂れる。

 ビチャビチャとまっさらな料理の上にビールと胃液が混じった吐瀉物が撒かれていく。

 ごめんなさいと謝ると、いいから、と弥勒が服が汚れるのも構わず僕の胴体を支える。

「服…浴衣で構わん。あと布巾と水。早く!」

 弥勒は的確に指示を出したあと、吐いちまえ、と耳元で囁いた。


「すみません…」

 吐瀉物と血の色と混じり濁った両手の隙間から、机の上に置かれた弥勒のスマホ画面が映る。

 田舎の駅のプラットホームで自撮りをする西さんと一緒に映る男の顔には、見覚えはない。の、だが…



――――――――この方だ。



確信した。



 間違いなかった。

 老人の白髪とは違い、ハリのある真っ白な髪が健康そのものの黄色人種の肌によく映える。

 襟足だけピンクに近い赤色で染めている。

 胸から肩にかけて入れられた和彫りの入れ墨。

 長い上向きのまつげ、赤く大きな瞳。

 まっすぐ整った鼻筋。

 人懐っこい笑顔。

 西さんの身長を思い出す。

 170を超えていた吉川より低かったが、女子にしては大きな方だったと思う。

 彼女の血縁者の弥勒が、身長180を超えるのだ。

 その彼女と並んでこの背の高さということは2m近くあるということか。


 こんな人物、一度見たら忘れないだろう。

 実際、写真に映る彼は、閑散とした備後赤坂駅と書かれたプラットホームに似つかわしくなく浮いている。

 それなのに。


「……この方や。」

「あ?」


 あの時。

 村上くんの家で、僕が恐れた相手。

 申開きをせねばならないと、心から頭を下げ謝罪した相手。

「この方や。この方で間違いない。」

「……。」

 間違いなく、この方だ。


 店員が側までやってきて、手際よく僕の吐瀉物を片していく。

 自身のセーターを脱ぎながら、弥勒は薄手の浴衣を僕に差し出す。

「自分で着替えるか?」

 出来ます、と受け取り背を向けて僕はシャツに手をかけた。

 部屋着のままだったことを今になって思い出し、少し恥ずかしくなった。

 着替え終わると、空調の風が音をたて部屋の空気を循環していく。

 片付け終わると店員達は部屋から出ていった。

 机の上には弥勒の日本酒と僕のために用意された水だけが残されていた。

 弥勒は隣りに座ったまま、日本酒を瓶ごと手で掴むと、そのまま煽った。

 結構な度数のあるお酒だが、彼から酔った気配は微塵も感じられなかった。


「…ビンゴってやつだな。」

 ため息を付きながら、弥勒はタバコに火を付ける。

「そいつは、小江あかりの両親の実家の村の村長の息子だ。」

 机の上のスマホに手を取り僕にメディア一欄を見せる。

 見覚えあるのか?と尋ねられたが、僕は首を横に振った。


「初めて見る顔です。でも…この方やってわかるんです。」


 どの写真も、こちらを向いて頬を高潮させ嬉しそうに微笑んでいる。心底愛しくてたまらないといった様子を隠そうともしていない。

「ツイタチ信仰の本拠地がある村の、お偉いさんの御子息…ってことなんですよね?」

「ああ。」

「この方が全ての元凶なんですか?この方が…村上くんを狂わせた…」

 自分で口に出しておきながら、違うような気がしてならなかった。

――――元凶、で間違いないのだろう。

 写真を撮った相手―――弥勒に対し溢れんばかりの慈愛の視線を投げかけている。

「お前から聞かされたツイタチの話と、送られてきたDMの内容、山上のおっさんの狼狽えっぷり…やっと俺の脳内で組み立てられたぜ。」

 弥勒はこんな簡単なことなのにな…と低くぼやきながら、深くたばこを吸い込む。灰がスマホ画面に落ちる。

 少し視線を泳がせたあと、ボソッとした小さい声で弥勒は続けた。


「――こいつはなぁ、自分のことを神だって思い込んでるんだよ。」


 画面に付着した灰を指で払い、その指でトントンと画面の向こうで微笑む男の顔を叩いた。

「神…ですか?」

「うん。ああ、でも理由があるんだよ。こいつ、父親から虐待を受けていてな…それもヒデェもんだった。学校にも通わせず、日々何かしら文句をつけて暴力をふるい、檻に入れられ、満足に飯も与えられず………それでもそいつはクソ親父を恨まず一心に愛を求めた。未だにそうだな。見ていて痛々しいぜ。そいつの父親が先代の神主で、ツイタチ信仰の熱心な教徒だった。雨の日も風の日も1日も休むことなく神に祈祷を捧げ続けた。その姿を見たこいつは、『ああ、神になれば愛してもらえるかもしれない。』って思い至った。その日から自身を神社で祀られた…なんだったかな、長い名前の神だと思い込んで過ごすようになった。」

「そうなんすか…」

 酷い話だ。

 吐き気とともに出そうになる嫌悪の反吐を喉の奥に押し込み、それで、と続きを促す。


「こいつの空想は多種多様で、他にも幼い頃から繰り返し読んだ風土記の英雄に憧れて、その英雄だと思いこむようになったりもした。それは神の化身であったり、人間であったり、その時時で設定が"まちまち"なんだ。いい加減な空想だ。でも未だにその空想にすがらないと夜寝ることも出来ない。躁鬱で過食と嘔吐を繰り返している。千鶴と付き合い始めて、幾分ましになったがな…」

「それは、ただ体調が優れへんだけとちゃいますか?そんなこと…」

 気にされるような、方ではないだろう。

 自分でも信じられないほど軽蔑を含んだ返事を返してしまい、ハッとして口を手で塞いだ。

 僕の失言に、弥勒が不機嫌そうに睨む。

「んなわけあるかよ。あいつがボロ雑巾みたいな姿で、町中歩いているのを保護したのは俺と俺の親父だ。そこから俺はあいつを見てきたんだ。」

 日本酒を深く煽りながら弥勒は続ける。ほんの僅かに、彼の白い頬が赤みを帯びてきている。

「あいつは他人がとにかく好きで、人を疑うことを知らない。人の表面の顔を真に受ける。妹がどれだけ見下しているか、気がついたことすら無いだろう。うわべだけのおべっかもそのまま真に受ける。どれだけ軽蔑を向けられても、気にもとめないで、心の底から微笑ましそうに見つめ返す。見た目、ほぼチンピラだろう?」

 夏に撮影したのだろうタンクトップに身を包んで西さんとスイカを食べる写真を映す。

「しょうもねえ男なんだ。それこそ、アカウントの並べられてるような、くだらねぇことを述べて、のんくらに生きている。」

「そう…なんやろか…」


 くだらなくなど…と言いかけてやめた。

 水を少量口に含み、まだ吐瀉物の味がする口内を洗う。


「もっと早くこの写真をお前に見せておけばよかったぜ。」

 そうすれば、もっと早くたどり着けただろう。


「この人が、村上くんを…」

狂わせた。


 画面の赤い目をじっと見つめ返す。

 今、彼はこちらを見ていない。

 僕のスマホを取り出して、ツイタチ様のアカウントを表示する。

 アカウントに映る彼の手と、こちらにピースサインを向ける弥勒の写真の彼の手を見比べる。

 同じ骨格と同じ爪の色。

 手の甲の血管の形も同じ。ほぼ、同一人物で間違いはないだろう。

 ツイタチ様のSNSのメディア一覧を遡る。

 映り込んでいる背景も、尾道、福山、これは…倉敷の美観地区か。東京駅と池袋駅構内もある。


「――――――本当に、いると思うか?」

 ほんの少し流れた沈黙を、弥勒が断ち切る。

「その、マガツモノってやつ。」

「……。」


 DMの内容が本当なら、村上くんは誰も殺していないことになる。

 小江あかりさんを殺したのは、伯雷獣というハクビシンに似た姿をした獣で、僕に対して呼びかけていた思われた投稿は、八野聖というタガメの姿をした獣に向けてだった。

 神が、人を進化させるために、人に災いを振りまく獣。


 人が罪を犯したところに現れ、人を食らう畜生。


「教団"つきはじめ"は元々ツイタチ信仰の宗派の1つだった。思想がだんだんと過激になり、30年程前に晦がいる村の本部から離れたと聞く。」

「それなら、まあ…怪しいですけど…」

「だがなあ、さっきも言った通り、こいつ嘘をつけないんだよ。正直すぎる。正直すぎて教団事情をかじった程度にしか知らねえ。」

「そんな事あるんですか?本部の…言うたら教祖の息子でしょう?それとも教祖は別にいてはるんですか?」

「いや。今のツイタチ信仰…あの神社のトップはあいつの母親だ。民俗神道だな。あいつは神社の手伝いは進んでやるが、その神社の詳しい教えや祀ってある神について何も知らない。知る余裕さえなかった。父親のこともあったし、そんな奴を気遣って母親は信仰を押し付けるようなことを一切していない。恐らく、教団"つきはじめ"についても全く知らんはずだ。ただ、自分が祀られてる神だと思いこむことで、かろうじて壊れかけた精神を繋ぎ止めてるだけに過ぎない。詳しく知ろうとすればするほど、本物の教えと乖離が激しくなるからな、あいつも自分で気が付かんうちに内情を知ることを避けてんだろ。」

「じゃあ、ますますその小江…晦さ…ま…を通じて教団に深く関わることも難しいですやん。」

「逆だろ、教団に入ったから、晦の面影にそのツイタチ様とやらを重ねたんだ。」

そうなのだろうか。

「小江の血筋には、晦みたいにのっぽの白髪で美形なやつがちらほらいる。ある伝承によれば、村を救った英雄の子孫らしいが、もし村上が教団を通じて土着風土記を知ったのなら……」

 勝手に、狂ったのだろうか。

 この方の投稿を、本物のツイタチだと思いこんで、自分も禍津物になりたいと。


「恐らく、晦は普通に困っていたはずだ。SNSでも神様になりきって投稿してたら、やっかいなFANに絡まれてそいつが勝手に罪を犯した。ただ、絡んだ男の後ろには更に厄介な教団が居て、村上を懐柔し利用してツイタチ信仰の贄を作り出し、俺の舎弟をついでに殺した。」

「でも、この方がほんまにツイタチさんやったら、この方にえげつない力があるってことですよね…?だって、このアカウントでどれだけの人間が狂って自殺したり行方不明になったりしてるんですか?」

「だから、それもおかしな話なんだよ。晦にそんな力があると思えねえ。少なくとも、俺と千鶴はあいつが子供の頃からの付き合いだ。なんで側にいる俺達は罪悪感を感じないんだ?」

「…それも…そう、ですね。」

「あいつの母親も、親戚も、村人も、同じ学校に通っていた奴らも、バイト先の人たちも、あいつの側にいる連中で罪悪感で狂ったやつなんか一人も居ない。父親は…おそらく最初からイカれてたんだろうよ。」

「それは兄さん等が対処法を知ってたからとちゃいますか?謝れば許されるんでっしゃろ。その御方と一緒にいても、常日頃から反省しとれば、狙われへんかもしれんですし。」

「俺を見て何も思わないか?多聞。関東八幡会本部長だぜ?生まれてこの方、あらゆる悪行に手を染めてきたが、反省したことなんて一度たりともねえよ。」

弥勒は大げさに両手を広げて、平然とのたまった。

面倒見が良い所為で気が付かないように目を背けていたが、この男は筋金入りの反社会人である。


「あいつがツイタチだってんなら、真っ先に狙われるのは俺だろうよ。千鶴だって俺に似て性悪だからな。いじめとまでは言わねえが、気に入らねえ女を陰口叩いたり無視したり、俺の名を笠に小学校の頃えばりちらしていたんだぜ。恨みだって相当買ってんじゃねえのかな。そんな俺等兄弟がよ?」

「ツイタチさんは…DMと投稿から察するに、相当、御使い…いや、禍津物のこと嫌うとります。ほんまにいやいや面倒を見とります。側に居るのも、視界に入るのも嫌なんちゃうかな…兄さんらや家族と居る時は威嚇して近づかないようにしてるかもしれん…」

「身内に甘いってか?……いや、あいつの親戚で死んだやつがいたな…2人…」

「え。」

「まだ俺と出会う前だな……山上のおっさんが言っていた、2人死んだんだ。猪に食われて…」

 弥勒は空になった瓶を乱暴に畳に投げ捨てる。

 音を聞いて、障子の向こうから新しいものをお持ちします、という店員の声と足音が聞こえた。


「親戚同士のいざこざで、一人の足を潰したとかで…犯人のガキと、潰されたガキの親の2人…でけぇ猪に食われて死んだとか言っていた。」

「親戚も死んでるんすか。じゃあ兄さんが襲われへんかったのは偶然じゃないですか。」


「……―――俺は一度、あいつの目前で山上さんを血祭りにあげたことがある。」


 握りしめた指の先が傷に触れ、包帯がじわりと赤く滲む。

 電話越しで山上は弥勒のことをよく話していたが、そんな間柄だったとは想像もつかなかった。


「詳細は今は省くけどよ、あいつは血まみれの山上さんを見て…幼馴染と一緒に猿みたいに笑っていた。けど俺が、一緒にいた山上の部下もぶん殴ると血相変えて泣きわめいたな。そして吐いた。さっきのお前みたいにな。」

 先程の痴態を思い出し、思わず視線を背けた。部屋の空調がゴウンと音を立て温風を頬になでつける。

「雑、だなぁ。俺はあいつの母親や大叔父が、汚ねぇ金のやり取りをしていることも知っている。俺同様に謝って許される範囲を超えてることもな。」

「その、晦様も雑な方なんですか?」

「そうだな、本当に雑でいい加減だが……――――ツイタチさんより雑だと思うぜ。だが…」


 店員が運んできたのはウィスキーだった。弥勒はボトルにそのまま口をつけて飲む。

「体壊しますよ。」

「心配すんな。」

 先程より耳が赤く染まっている。それが妙に色っぽくて僕は頭を軽く振った。

「まあ、それもあいつに見せればもっとはっきり分かるだろ。」

「もしかして…」

「妹を呼んでおいた、もうすぐくるぜ。」

 弥勒はまだ食欲があるらしく、日本酒の瓶を片付けている店員に雑炊を運んでくるように頼んでいた。


 しばし、無言の時間が過ぎた。

 雑炊が届いで、熱々のそれを受け取ると弥勒はうまそうにすする。

 2人分届いたが、やはり僕は手を付ける気にはならず、コップに注がれた水をちびちび飲みながら届いたDMを読み返していた。


――――貴方はなぜ人のふりをしているのですか?


 村上くんも、こうやって呪われたのか。

 人を辞めてまで焦がれた禍津物。御使い。神。


 そんなに良いものとは思えないのは、僕が人ではないからだろうか。


 赤く滲んだ包帯を眺める。


「山上さんに特殊な力があるのは、人でないからなですかね?」

「知るか。俺から見たら、山上さんもお前も、晦だって、人間以外の何ものでもねえよ。」

 弥勒は、村上くんの共犯が人間であるという線を捨てていない。

 この話をして、山上さんや宮比さんはどう受け取るだろうか、とふと考えた。

 宮比警部はともかく、山上さんに話すのは恐ろしい。

 あの人は「だからどうした」とひょうひょうと答えそうな気がしたからだ。


 店員のものとは違う軽やかな足音が襖の前で停まる。

 来たか、弥勒は座り直すと入ってこいと向こう側の人に投げかける。


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