12話・DMより
DMより
斉東さま
突然のDM失礼致します。
初めまして、ツイタチと申します。
実のところ初対面ではないのですが、貴方は私の事を恐らく覚えてらっしゃらないかと思いますので、ご挨拶させていただきますね。
貴方が私の投稿を見て以来気分を悪くされていると伺い、私に何かお力になれることがあればと思いご連絡させていただきました。
貴方は今、混乱のさなかにいらっしゃるかと思います。
貴方の最近の様子を伺うに、見えない場所をひたすら彷徨っているように感じられ、とても心を痛めております。
その原因が私の投稿で、ご迷惑をおかけしているかもしれないこと、深くお詫び申し上げます。
私の正体が不透明であることに加え、ご自身が何をしてしまったのかも分からず、不安で恐ろしく感じていらっしゃるのではないかと案じております。
人が恐ろしいと感じるモノの中に正体がわからないものが挙げられます。
よくホラー作品における恐ろしいと感じるものに、「得体のしれないなにか」というものがありますよね。
幽霊にせよ化け物にせよ、人知の図り及ばざるものを人は恐ろしいと感じるのではないでしょうか。
私の大好きな漫画でラスボスが「先に起こることを知る事で覚悟が出来る人類」を作ろうとしていましたが、それに通じるものがあります。
先のことや、自身を襲う恐怖の源を知らないから、貴方は今、深い混乱の中に身を投じてしまっているのではないでしょうか。
「得体のしれないもの」の得体が何たるか、正体さえ分かってしまえばなーんだと肩透かしを食らうかも知れませんし、逆に知ってしまうことで絶望しより一層恐怖に身がすくんでしまうかもしれません。
しかし絶望も失望も、覚悟の一種なのです。
覚悟さえ持てたなら、これから先何が起ころうと必要以上に狼狽えることはなくなるはずです。
斉東様が知りたがっている事、私が知る中で、可能な限りお話させて頂きたいと思っています。
それではまず、私という神についてお話させて頂きますね。
冒頭で申し上げた通り、名をツイタチと申します。
神代八代が一柱、天地開闢に生まれた神、罪の神です。
祓戸大神とは質と成り立ちが違います。イザナギとイザナミより、私のほうが早く生まれましたからね。
私は罪を犯したものを罰する事ができますが、その罪を祓ってやることはしません。
普段は尾道の実家から、福山の予備校に通っております。浪人生に擬態して、人の世で人として過ごしております。
このアカウントでは、主に私の日々について綴っております。
日記という大層なものではなく、その時の気分の独り言のようなもので、1つ1つの投稿に大した意味はありません。
誰かを罰しようだとか、布教したいだとか、悔い改めさせたいだとか、そういう意図は一切存在いたしません。
私は「罪の神」です。
人は私の存在を認知すると、抱えた罪を強く意識するようになります。
普段なら、私や迷惑をかけた相手に対して反省するだけで事足りるような小さな意識なのですが、どうもSNSという媒体では加減が難しいらしく、私のアカウントを目視した人が、抱える罪の意識が必要以上に増長し、その罪悪感に押しつぶされてしまう、という事例が相次いでおります。
これに付きまして、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。
私は人が好きです。
人を愛しています。
人は尊いものです。
強く、賢く、逞しく、優しく、誇り高い善性を。
弱く、浅短で、脆く、残忍で、卑屈な悪意を。
両方を兼ね備える美しい生き物。
人以上に尊い存在など、地球上に存在しないのではないでしょうか。
人が健やかに穏やかにその生を終える事こそ、私の願いです。
そんな愛しい人々が私の所為で、過度な罪悪感に押しつぶされ身を滅ぼす姿を見るのは、本当に心苦しいのです。
それならSNSをやめろ、と貴方は思うことでしょう。
残念ながら私には事情があり、中々簡単にSNSを辞めることは出来ないのです。
私は普段、人として人の世で活動しています。
それはいわゆるアバターのようなものです。
アバターである私と本体の意志は切り離されているわけではないのですが、私には本体の知恵がありません。
意識は繋がっておりますが、人間の観測の範囲においては私というアバターと本体の人格は、ほぼ別と申し上げても差し支えないかと思います。
私はアバターとして人らしい振る舞いを常に心がけております。
人の安全のために辞めるという選択肢もあるのですが、――――――これは完全に私情になってしまうので、大変申し訳ないのですが……………高木神が私の報告書を信用せず、どうも私のSNSを通じで普段の行いを監視しているようで、少しでも20代日本人男性として不自然な行動を取ると、本体を呼び出して説教を始めるのです。
その説教が本当に長くて……――――――私の本体がその説教を心底煩わしく思っており、その感情がアバターにも強くフィードバックされている状態なのです。
加えて人として不自然な行動を取るわけにはいかないという、私のアバターとしてのの理性と合わさり、SNSを辞めるという選択肢が中々取れない状態にあるのです。
あのアカウントが人目につかないようにフォローを0にしたり色々と工作していたのですが、いかんせん神格が高いので意図せず人を惹きつけてしまうみたいで…本当に扱いが難しく………
――――――何を言っても言い訳になってしまいますね。本当はただ面倒くさいだけでした。申し訳ありません。
人のことを心から愛しておりますが、完全に人を最優先するわけにもいきませんので。
しかし、ここまで被害が出ている以上、私はあのアカウントを閉鎖するのが懸命な判断なのでしょう。
去年の11月、そう思い起こし、これ以上狂わされる人が出ないためにも、まずは鍵垢にすることから始めてみました。
貴方はたまたまそのタイミングに居合わせただけにすぎません。
貴方を拒絶する意味合いは全くなかったのです。
不快にさせてしまったのなら、深くお詫び申し上げます。
次に、御使い…あの畜生どもについてお話いたします。
小江あかりさんを襲った獣……伯雷獣は私が管理している畜生の一匹であります。
そうです、村上八朔は小江あかりさんに手をかけておりません。
また、弥勒藤太の部下も殺しておりません。
彼は誰も殺していないのです。
伯雷獣の獲物であったあかりさんの肉を、横取りしただけにすぎません。
彼は私の熱心な信徒でした。
あろうことか自身が自堕落な畜生どもより、私に愛されていないと思い込んで、あの凶行に踏み切ってしまったのです。
裏で私を慕う教団との間に、どのような計画がなされていたのか、意図はわかりません。
ただ彼は、私に近づきたいがために、自身が畜生の身に堕ちようとした。
無罪……ではないと思います。
人が人の肉を食す、カニバリズム行為は今現代においてタブーとされております。
赦されざる行いです。
人の法によって裁かれ、罪を償うべきだと思います。
然るべき馳走を食いそこねた上、過度に唆して人を襲う伯雷獣につきましては、私からしっかり罰を与えますのでどうか安心して下さいませ。
そもそも、貴方は私の使いに関する知恵を、現在お持ちではないと存じます。
伯雷獣を始めとした私の使い達は、動物……畜生なのです。
獣と私ども神の間に位置する…という言い方もおかしいですね。
人は我々と連中の大きな違いというものを認識できませんので、「神」やそれこそ「得体のしれないなにか」という概念で一括りにしてしまいがちですが、それがまず大きな間違いなのです。
我々「神」と連中のような「畜生」は全く異なる存在です。
畜生は所詮、畜生でしかありません。
いくら私どもの世界に近しいものとはいえ、野生…いえ、私に管理された「動物」にすぎないのです。
現在は「私の使い」という縛りを架せております、禍津物でございます。
人は逆境や困難があればあるほど強く進化していく素晴らしい生き物ですよね。
かつて私の仲間の一柱が、人を進化させるために畜生に質を与え禍津物としました。
畜生どもは、通常の獣と異なり「頑丈で大きく知恵を持ち、群れて人を襲って食べる」というものです。
質を与えられた禍津物どもは、人の為に人を襲い日本各地にその勢力を伸ばしていきました。
人は困難を与えられるほど強くなりますが、それは人の歴史の全体を眺めた時観測できる結果です。
そこに至るまでの過程に、どれほどの多くの人々が連中に蹂躙され命を落としていったことでしょう。
私は、先程も記述した通り、人が好きです。
人が無惨に食い殺されていくのを、黙って見て見ぬふりをする事など出来ませんでした。
しかし、神が畜生を駆除するのには様々な手続きが必要になります。
その間にも命が失われていくのがあまりに惜しかったので、ひとまず連中を私の管理下に置く許可だけ得ました。
人の言葉で「眷属」というものがありますが、あれとはまた別だと思って下さい。
私はあくまで連中を管理しているだけで、あれらが私と同類等と思われるのは流石に我慢なりません。
我々と連中、全く異なるものなのです。
人が一緒くたにしがちで、それを許してはおりますが、どうしても引けないプライドがあることもまたご理解頂ければ幸いです。
書面上は私が管理することになりましたが、連中は中々納得しませんでした。
それはそうでしょう。
地図の上で生息地域をわけたところで、所詮畜生に何たるかなど理解できるはずがありません。
なので力ずくで物を言わせることにしました。
連中を私の理で「縛った」のです。
「質」と「縛り」についてのご説明がまだでしたね。
「質」とはそのものの種族の根底にある本能と呼ばれるものの事……でしょうか。体質に近いかも知れません。
私の質は他者に罪の意識を持たせることです。よく人は我々神々を「○○を司る神」という表現をされますが、その○○に当たる部分が質であってるかとおもいます。詳しいことは人の概念内に存在しないので説明が難しいですね、すみません。
質とは生来のものですので、縛りを持ってしても中々覆すことが出来ません。
禍津物の質とは人の逆境となること……そう、人を襲って食べる事です。
「縛り」とは後からかせる制約です。
相手を支配下に置くために行動を制限することです。
これは人も神も禍津物どもも、手順さえちゃんと踏めばどのような相手でも縛ることは可能ですが、おいそれと簡単にできるものではありません。
特価交換があると効力を増しますね。必ずしも褒美が必要ではないのですが、あればあるだけ、向こうもやる気が出るのでしょう。成功率も上がります。
なにしろ相手の生を縛るものですから、相手のすべてを責任を背負う覚悟が必要になります。
縛りを解除するためには基本死ぬしかありません。
人にとっての死と、神々にとっての死、禍津物どもの死は全て概念が異なります。
少なくとも我々神々と、――――腹ただしいことに人より我々に近い禍津物どもにとって死とは悲観するものではありません。
我々にとっての死は、他者によって縛られた枷を解くための、いわばリセットボタンのようなものです。
少なくとも、私と、私の理の中にいる禍津物どもは、死んだからといって完全に消え去ってしまうことはなく、また元の形に戻ることが出来ます。
一度死んでしまうと元に戻るまでに途方もない時間がかかりますし、その間、同じ「質」を持った代わりのものがいない場合、世の理のバランスが崩れ人にも神にも多大な影響を与えるリスクがあります。
なにより、死はとても痛いですよね。
人にとって死は得体のしれないものに含まれますので、さぞ恐ろしいものではないのでしょうか。
私も2回しか死んだことはないので、死という概念をはっきり理解しているわけではありません。
それも幾分昔のことですので……――――あれは相当痛かったと記憶しております。
もとに戻った後の始末がまた大変で、できれば二度と体験したくないです。
禍津物どもも、というより生きとし生けるものは…いえ死してなお、大体そうだと思います。
人の死より気軽ではありますが、簡単に縛りが嫌だから、じゃあ死のうとはならないものです。本来なら。
そういう強い制約を、私は禍津物どもに科しました。
禍津物達を私の理に入れてやる事で、質より大きな力を与えより、一層こちら側に近しい…神に近しいものに仕立ててやりました。
最初は無闇矢鱈と人を襲ってはいけない、という簡単なものを申請しようとしました。
しかしそれでは禍津物どもも餓えてしまいます。
管理している以上、餌を与えることも飼い主である私の責任ですからね。
正直に申し上げますと、飢えて絶滅して欲しいのが本音ですけども。
連中に科せた縛りとはこうです。
「私の領地内において、罪人のみ、食してもかまわない」
苦肉の策でした。
罪の神として、必要以上に罪のない人が食い殺されていくのを見るのは我慢なりませんでしたし、かといって連中に餌を与えないわけにもいきませんでした。
他所の神に迷惑をかけてもいけないし、私の信徒ばかり犠牲にするのもシャクですがこればかりはしょうがありません。
こうして、禍津物どもは悪人しか食べられなくなったわけです。
人におきましても、悪いことをすれば食べられてしまうのなら、そうならないように日々本来持つ善性に従って、誠実に生きようと模索し、より良く進化していきました。過程で様々な風習や宗教が生まれ、信仰を必要とする神も力を増していきまいした。
人が進化すればするほど、連中は餌を失っていきやがて緩やかに絶滅するだろうという目論見でした。
しかし禍津物どもは小賢しく、縛りの穴を突いてくるようになりました。
人をそそのかすようになったのです。
これに関しましては、完全に私の落ち度で申し訳ありません。
そこまで連中の「質」が深いものだと想定していなかったわけでは決してなかったのですが、所詮畜生だと甘く見ていました。
人が風習や宗教を作り連中に上手く対応していったように、禍津物どももまた私の縛りを逆手に上手く立ち回るようになったのです。
餌がないのであれば、作ればいいと。
人は禍津物どもから逃げるた為に、つみしろという贄を捧げるようになったのはご存知かと思います。
最近では、小江あかりさんがそれですよね。
人が禍津物どもの為に丹精込めて作った馳走は、たいそう美味しいそうですよ。
他の人の罪を、しばらく見逃してやろうかと思うほどに。
つみしろの味を覚えた禍津物どもは、自分でもつみしろを作れないかどうか模索するようになりました。
まず私の存在を人に認知させる。そうすることで、狙った獲物を私の領域内に入れてしまい、襲っても良い人の条件に加えます。
罪悪感で揺らいだ精神に付け入るように入り込み、その人の最も深い欲を増長させます。
耐え難いほどの欲求を抱かせて、罪を犯させるのです。
初めて観測した時は呆れましたよ。
そこまでして食べたいという質は理解できますが…一体誰の入れ知恵によるものなのか。
私もやられっぱなしというわけにはいきません。
しかし穴を突いただけの罪を犯してない禍津物を駆除すると、そりゃあもう条例違反とかで周りから非難轟々ですので、私は人に擬態し連中を退治して回るしかできませんでした。
昨今、神は神を中々殺せませんが、人なら神を殺すことが出来ます。
人であれば神を殺しても、人の法で裁かれることはあっても、神の法で裁かれることはまずないでしょう。
実を申しますと、別にここまでする必要はないんですよね。
でも人に擬態して人と交わるのは、私の癖といいますか……人にもケモナーがいる通り、神にもヒトナーがいるんです。
私はヒトナーですが変態ではありません。
ただ人が好きで人を愛し人を愛でているだけなんで、癖を消費しつつ厄介事も未然に防ぎつつ禍津物の管理もできて一石三鳥とか考えておりませんので、本当偶然なんです。
――――――――――話を元に戻しますと、私は趣味と責務の半々で、人に擬態し諸国をめぐり、小賢しく言うことを聞かなくなった禍津物どもを駆除して回りました。
しかし畜生は交わって繁殖しますので、数がどんどん増えて段々とキリが無くなってまいりました。
そこで私はもう1つ、連中を縛ることにしたのです。
二重の縛りは不可能ではありません。が、前例はとても少ないのです。
ただでさえ面倒な手続きと、連中に対する責任が増えるのです。
正直、本当に嫌でした。
でも、人が、私の愛する霊長が、畜生共の食欲のために、本来犯さない罪まで手を染めてしまう姿を、見て見ぬふりなど出来ない。
「罪を反省し謝れば、見逃すこと」
そう、ツイタチ信仰ですね。この信仰はこうして生まれたのです。
伝承ではつみしろが信仰から生まれた産物だと記されていますが、逆です。
つみしろが先なのです。
つみしろを作る過程が違えども、得体のしれないなにかに贄を捧げるという風習は古より存在しますよね。
つみしろという名前こそ、後から付けられたものですが、贄は信仰が生まれる前より存在しました。
二重の縛りのおかげで禍津物どもも、少しは大人しくなりました。
そそのかす行為事態を禁じたほうが早いのは百も承知なのですが、何度も申し上げます通り、縛るという行為事態簡単なものではないのです。手順と手続きが本当に面倒なのですよ。
加えて私は腰を悪くしておりますので、その都度、申請しに外出する事もたやすいことではありません。
1度目の縛りより効力が弱い所為か、自決して2度目の縛りを解いて1度目の縛りのみで、私の理の恩恵を受けたまま、世に跋扈する禍津物どもも出るようになりました。
これはいけないと、最近では伊吹や日吉を始めとした、島根のオフ会で意気投合した何柱かの神に声をかけ部下に……――――――それこそ眷属という単語がふさわしいですね、私の眷属として人に擬態した人でなしになって貰い、2度目の縛りを解いた禍津物を探す手伝いをして貰っております。
同時に人の法を学んで、連中を縛る時の参考にしております。
彼らこそ、本当の私の「使い」なのです。
ツイタチの御使いとは、彼らを指す言葉なのですよ。
禍津物どもは、あくまで、私が飼育して世話してやってるだけの、畜生にすぎません。
さて、貴方の知りたい情報の最後の1つをお伝え致しますね。
貴方は私のアカウントを認知し、激しい罪悪感に苛まれているかと思います。
その罪悪感の正体を掴めず、得体のしれなかった私に対して恐怖を抱き、戦々恐々と精神を削られていらっしゃるのではないでしょうか。
はっきりと申し上げます。
貴方は、何もしていません。
貴方は私を恐れ頭を下げるような事を、何もしでかしておりません。
全ては勘違いです。
貴方は村上八朔に、彼に何も出来なかったと、悲観していらっしゃるのではないでしょうか。
その悲観が、勘違いを生んだのです。
彼を止めねばならなかった。
彼に気がついてやらねばならなかった。
それらは後から生まれた後悔です。
彼の傍に居て彼のことを一番理解しているという自負を打ち砕かれた悲観が、貴方にあるはずもない罪の意識を抱かせたのです。
よく考えて下さい。
人が何を考えているのか、わかるはずなど無いでしょう。
貴方は、彼の凶行を止めようがなかったのです。
貴方が彼の凶行に責任を追う必要など、どこにもないのですよ。
以前より彼の狂気に気がついていたなら、彼を止めることが出来たかも知れません。
でも、貴方は知らなかった。彼が腹の中で抱えていた狂気に気が付かなかった。
そう、見て見ぬふりすらしてないのです。
いいですか、貴方はなにもしていません。
面倒でなにもかも投げ出したと、勘違いしていらっしゃるかと思います。
面倒も何も、投げ出した事など何も無いのです。
私の存在を強く意識することで、貴方の中にある罪悪感だけが増長し、その原因を探そうと躍起になっているだけです。
貴方の罪悪感の正体は何も無いのです。
貴方が感じる視線の正体は、存在しないのですよ。
そして、何もしていないことは決して悪いことではありません。
私にとって好ましいとも言えるでしょう。
貴方のそういう身の丈にそぐわない小心者な所は、前から良いと思っておりました。
彼女と同じく、ちゃんとわきまえている貴方はとても可愛らしいですよ。
私が、別の禍津物に当てた呟きの内容を、偶然目視し、ただ勘違いされたのですね。
折角人が用意したつみしろを食いそこねた禍津物の名を、八野聖と申します。
タガメに近しい姿をした卑しきものです。
実体を持たず、人の記憶の間を飛び回る汚らしい禍津物です。
小賢しいことに自決し、2度目の縛りを解いており、私と使い達で探しております。
私の呼びかけを無視し、今も獲物を狙って情報の海の中を飛び回っております。
私の慈悲にあぐらをかき、見て見ぬふりをするあの愚か者。
やつは今も呼びかけにも応じませんし、あのアカウントも貴方を始めとした多くの人に迷惑がかかるようなので、本当に近々整理し閉鎖いたします。
伊吹には私からその節をちゃんと伝えますので、みーちゃん…弥勒ちゃんとあの人前で脱ぐのが大好きな可愛らしい女の人ちゃんに、出来れば貴方から事情の説明をお願いいたしますね。
見つけ次第、人の手を借りて駆除する予定です。
もう一度縛りをかけてやる情は、流石に持ち合わせておりません。
もし、見つけたらすぐに連絡をください。どこにいても駆けつけます。
さてこれで貴方の知りたがっていた「得体」の正体をおおよそ知ることが出来たのではないでしょうか。
貴方は何もしてませんし、それは決して悪いことでは無いのです。
村上の件は気の毒でした。
私がもう少し気にかけていればよかったのですが、人を愛していても、人が何を考えているかなど理解できるはずもなく、凶行に踏み込ませてしまいました。
彼の罪も、私の責です。私の質が招いたことです。
それでも私は彼を罰することが出来ません。
私が大学へ進学しその卒業後、法科大学院に入り、司法試験を受けるとしても、決っして間に合わないことでしょう。
人を裁き、罰することが出来るのは、人だけです。
死後、神によって裁かれるという教えに従い生きている人も中にはいらっしゃることでしょう。仏教や伴天連の教えによくありますよね。
そこまで謳うなら、人の生前をもっとちゃんと導いてやれよと思うのですが、他所の考える教えとやらはよくわかりません。
まあ、私もあまり干渉しすぎると怒られますしね。そういう距離感が大事なのでしょう。
貴方は、私が裁く罪も、人に裁かれる罪も、何も犯しておりません。
「得体」は何も無いのですよ。
どうか、恐れないで日々を安心してお過ごしくださいませ。
不安が残るようでしたら、いつでもDMをして頂ければ幸いです。
私に出来ることがあれば…お力になれることがございましたら是非ともご連絡ください。
最後に、 お一つだけお尋ねしたいことがございます。
私のこれは半分性癖ですけど、貴方はなぜ人のふりをしているのですか?
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