第一章 理想①

(に……げるべきか、いのちいをするべきか)

 じようきようが分からないので、どう動けば正解なのかが分からない。

(ひとまずは、ここを切りけないと──!)

 美咲の願う平和な人生を送る送らない以前に、このままでは人生が終わる。

(平和な人生……)

 ここで目覚める前の、最後の時間を思い出す。

 もともと穏やかな人生を望んでいた美咲だが、職場のばつ争いから逃げ回り無所属をつらぬいた結果、ここ一ヶ月、いじめに近い量の仕事を押しつけられていた。そして傷心のところに旧友からさそいがあって喜んだのもつかの間、みようつぼを売りつけられて、その壺をかかえたまま帰り道で車に轢かれたのだ。

 かなしい──むなしい人生だった。

 決して誰ともしようとつを起こさず平和に生きてきたつもりだったが、その結末はといえば、いじめられ利用され、悲しんでくれる友人一人も思い出せないという、なんともびしいものだった。

(周りの顔色ばかりを気にして自分を押し殺した結果があれなら、いっそ今世では、自分の意思を大事に、平和な生活を手に入れたい……!)

 しかし今世では、精神的な平和どころか物理的な平和もないらしい。

 そもそもここはどこなのかと、部屋に視線を走らせた。住んでいた六じようワンルームの部屋が十個くらい入りそうな広々とした部屋。金を基調とした調度品があるが、数は少なく、美咲がいるベッドと、鏡台、そして洗面台があるくらいだ。色調は派手だが、生活感がない。

 それよりなにより、あの男たちだ。鎧を着た男二人と、剣を持っている男。争いの後なのか、二本の剣が部屋のすみに落ちている。美咲に近づこうとした男も、ナイフを投げられた後はあきらめたかのように動こうとしない。いずれの男にもツノがあるが、特に銀髪の男から生えるツノが二人よりも大きく風格があった。

 ひときわ目立つその銀髪の男は、二十代前半に見えた。今は彼の前にいる男に剣を向けている。人を殺すことにまどいがないのか、顔にはいかりもにくしみもなく、たんたんと剣をり下ろしそうな気配がある。次に彼が剣を振り上げれば、床にいる男たちの命が消えるだろう。

 現実感のないまるで一枚の絵のような光景だが、それが絵画でないことを示すかのように、剣先からぽたりと血がしたたる。その瞬間、思考を現実へと引き戻され、「ひっ……」と悲鳴をらした。剣を持つ男の視線がこちらへ向けられる。

(わー! 私の鹿! 危険な人を見かけたら、見ない、音を出さない、興味を持たない、それが鉄則なのに!)

 おまけに路上で見るしん人物とは、危険度はかくにならない。なにせ頭にツノがある、血のついた剣を手にする人物だ。

(こ、殺される……)

 しかし男の興味はあくまで目の前の男なのか、美咲から視線が外れ、壁際の男へ戻った。ほっとすると同時に、男は殺されるのだろうかと考えた。見れば、まだ二十歳はたちにもなっていなそうな青年だ。銀髪の男を前になみだかべガタガタと震えるばかり。彼を見ているうちに、過去の感情が呼び起こされた。電車でっぱらいにからまれた女性を、助けたくても動けずうつむいていた苦い思い。不当に𠮟しかられるどうりようを助けられず、後からそっと声をかけることしかできなかった罪悪感。いつも目立たないように、場の空気をこわさないように、息をひそめ行動し続け、そして結局最後、自分は幸せになれたのだろうか。

「──あ、あの!」

 声を出すと、男がこちらを向いた。おそろしく整った顔立ちだが、仮面をつけているかのような無表情だ。銀髪だが、光の加減によっては金にも見える白に近い銀髪だ。ツノは優美な曲線をえがいており、現実感がなく、これはやはり夢ではないかと思えば、かろうじて口をきくことができた。

「そ、その、剣を下ろされては、ど、どうでしょう……その方も、何かするつもりはなさそうですし……」

 みっともないくらいに声が震えた。驚いたように目を見開くのは、床に座る男のほうだ。

 銀髪の男は表情を変えないまま、美しいくちびるだけを動かす。

「この男を、逃がせと?」

 初めて聞く男の声は、れいだが温度がなかった。

(お、おこってる……? それともこれが、この人のつう……?)

 そうこうしている間に逃げてくれればいいのに、彼らはぼうぜんとして動く気配がない。美咲が視線を送ると、近くにいた男のほうがハッとしたように声をあげた。

退くぞ! 彼女が目覚めたというなら、ここにいる意味はない」

「え? でも、なんで急に……それに、なんか前と印象が……」

「いいから退くぞ!」

 怪我をしたかたかばいながら一人の男が出ていくと、床に座り込んでいた男も、あわてて立ち上がり、床をるようにして部屋の外へ出ていった。

 銀髪の男も彼らを追い部屋を出るかと思ったが、特に動く気配はなかった。血のついた剣を持ったままこちらに向き直る。一歩、二歩と近づいてくる姿を見て、「殺される」の四文字が頭の中をくした。しかし、せっかく人生をやり直すチャンスを手に入れたのだ。なんとしてもここは生き延びなければ。

「あ……あ……その、あなたは、なんでさっきの人たちと、争っていたんでしょうか?」

 男が自ら退いてくれる可能性にかけ、彼の目的をさぐる。

おう様からメノウを守れと命じられたので」

(まおう?)

 それは、ゲームとか漫画とかで見かけるあれだろうか。ものや何かのトップに立ち、やたらと強くごうまんで、勇者にしかたおせないというあれ。

(それにしても、メノウ……)

 なぜだか耳にんだその響きに意識を持っていかれた時だ。男がさきほどより広いはばで美咲に近づいてきて、声にならない音がのどからひゅっと出た。

 ベッドの上で座ったまま後ろに下がるが、すぐに壁に背がついた。

(ダメだ──せっかく生きられたのに、殺される──!)

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