第1章 フルールの素晴らしく画期的な計画②


 今まで、フルールが出かけようとすると高確率でヴィクターが現れていた。

「いってきます」と家を出ると当然のように門の前で待っているのだ。

 堂々とした態度、何一つ疑わぬ「さぁ行こう」という言葉。無理にフルールを言いくるめる事もせず、無理やりに手を引いて馬車に招く事もしない。スマートに馬車の客車のとびらを開けてゆうにエスコートしてくれるのだ。

 あまりに彼が堂々としているものだから、フルールも自然な流れで客車に乗り込み、しばらくして「私、ヴィクターと約束してないわよね……?」とおのれを疑いつつたずねた事も少なくない。──その際のヴィクターのまったく悪びれる様子のない「約束してないよ」という返事の真っすぐさといったらない──


ごういんでないことが強引という、あの強引さ。私もそれを見習ってヴィクターの外出前にこうしやくていで待ちせするわ」

「なるほど、それでとつぜんリデット家に向かうと言い出されたんですね」

 馬車の中で己の作戦を得意げにフルールが語れば、向かいに座るシャレルがなるほどとうなずいた。

 馬車はゆるやかにリデット公爵邸へと向かっている。幼いころから付き合いがあり何度も辿たどった道だ。だがきっとヴィクターはその倍以上この道を馬車で走っていたのだろう。言わずもがな、フルールの外出を待ち構えるために。

 なぜ自分の外出情報が漏れているのか。それも友人達と遊びに行く時にはヴィクターは現れず一人の気ままな散歩の時にだけ現れるあたり、外出のタイミングだけではなくしようさいまで漏れている可能性が高い。

「情報ろうえいは問題だけど、今回はそれを逆手に取らせてもらうわ。ねぇシャレル、これからヴィクターが外出するらしいけど、本当に一人なのよね?」

「はい。私が調べたところ、本日のヴィクター様は午後の予定が特に無く、散歩がてら外出されるはずです」

「さすがシャレル、調査能力にけてるわね」

「これぐらいは侍女のたしなみです」

 フルールがめれば、シャレルがけんそんしつつもうれしそうに表情をやわらげた。──きっとここにルドが居れば「侍女の嗜みなわけないだろ」と口をはさんだだろうが、あいにくと彼はぎよしやだいに居る──

「私がさつそうと現れて『さぁ行きましょう』ってさそえば、きっとヴィクターもおどろくはずだわ。どうして自分の予定が知られているのか不安になって、もしかしたら私の事をこわがるかも」

 彼の反応を想像して思わずフルールがみをこぼした。

 にんまりと己の口角が上がるのが分かる。きっと今、悪い顔をしているだろう。

「なんてらしい作戦なの。この作戦は『待ち伏せしてヴィクターを困らせ作戦』と名付けましょう」

 素晴らしい作戦に、それを引き立てる作戦名。かんぺきとはまさにこの事。

 そう考え、フルールははやる気持ちを一度おさえるために窓の外をながめ……、

 ちがった馬車と、その中にいる青年の横顔に「えっ!?」と思わず声をあげた。

「と、止めて! 馬車を止めて、ルド!!」

 御者台にいるルドにあわてて声をければ、彼も気付いたのかすぐさま馬車がまった。

 擦れ違った馬車も少し先で停まっている。

 フルールが客車から出れば、ほぼ同時に相手の馬車の客車の扉が開いた。出てきたのは……、

「ヴィクター!」

 今まさに会いに行こうとしていたヴィクターである。

 彼もまた驚いたように目を丸くさせており、フルールに近付いてくると意外だと言いたげな声で名前を呼んできた。

「どうしてここに居るんだ、フルール。今日は午前中にダンスの練習をして、午後は家庭教師が来て座学。その合間の時間はお茶をして過ごす予定じゃなかったのか?」

「私のスケジュールがだいぶ細かく漏洩してる! そ、それより、ヴィクターの方こそどうしてこんな所に居るの?」

「フルールのお茶の時間に合わせて会いに行こうと思ってたんだ。今日飲む予定の茶葉に合わせたおちやけも用意してきた」

「お茶のめいがらまで!? 私の知らない私の予定がれてる!」

 外出のタイミングやスケジュールならばまだしも、自分の知らない茶葉の情報まで漏れていると知り思わず声をあららげてしまう。

 だがヴィクターに改めてここに居る理由を問われ、はっと我に返った。

 今は情報漏洩を気にしている場合ではない。──いつぱん的には情報漏洩の方を気にすべきなのだろうが、もはやいまさらなのだ──

 本来の目的を思い出さなくては! と己を律し、冷静をよそおってツンとましてみせた。

「私はヴィクターに会いに来たのよ」

「僕に?」

「今日は午後の予定が無くて、一人で出掛けるつもりだったんでしょう? どうしてそれを知っているのかは教えてあげないけど、私はそれを知って、貴方あなたを待ち伏せしようとしていたの。予定も時間も、一人で外出するはずだった事も、私、全部知ってるのよ」

 思わせりな言い方をするのはヴィクターの不安をあおるためである。

 念のためもう一度「ヴィクターの予定をあくしているのよ」と付け足しておく。これで彼は自分のスケジュールを把握されている事に不安を覚えるはずだ。さきほどのフルールのように情報漏洩ぶりにきようがくするかもしれない。

 現にヴィクターはフルールの話を聞いてなにやら考え込んでいる。次いで彼は周囲を見回し、そして自分の来た道を辿るように視線をやった。

 だいぶきよがあるため見えないが、道の先にはリデット公爵家の屋敷がある。

 かと思えば今度はフルール達が来た道をうかがうように眺めた。こちらも同じように屋敷は見えないが、道の先にはフレッシェント家がある。

「……フレッシェント家の方が近いな」

「近いって?」

「僕達はおたがいに会いに行くために家を出て、そしてここではちわせになった。この場所はリデット家とフレッシェント家の中間とはいえ、フレッシェント家寄りだね」

「えぇ、そうね。ちょっとうちフレツシエント家に近いわ。でもそれがなにか……、はっ!」

 ヴィクターの言わんとしている事を察し、フルールは息をんだ。

 確かに彼の言う通り、現在地は両家の中間ではあるものの、じやつかんだがフレッシェント家寄りだ。つまりヴィクターの方が馬車を長く走らせているという事。

 それが何を表しているのか。

 つまり……、

「私の負け……、という事なの……?」

 思わずフルールが細い声をあげ、それだけでは足りないと額に手を当てた。──ちなみに背後ではルドが「そういう事なのか?」と首をかしげ、シャレルが「おじようさまおつしやるならそういう事なんでしょう」と話している──

 この事実にフルールは打ちひしがれてしまった。

 それと同時に思い出すのは、ようようと出発の準備をしていた自分。「すごい作戦を思いついたの!」と話しながら馬車に乗り込んだが、あの時すでにヴィクターは出発して馬車を走らせていたのだ。完璧におくれていた。

「勝負は馬車に乗り込んだ時点で決まっていたのね……。なんて不覚……。でも私、これぐらいじゃめげないわ!」

「そんな前向きなところもりよく的だよ」

明日あした以降だってヴィクターの予定は把握できるのよ。どうやって知るかは教えてあげないけど。油断しないことね、かつに出かけると私が門の前で待ってるわよ!」

 不安を煽るように宣言し、フルールが「もどりましょう」とシャレルとルドに告げた。

 だが馬車へと向かおうときびすを返して歩き出そうとしたしゆんかん、ぐいとひだりうでつかまれた。掴んできたのはヴィクターだ。

 彼は意外そうな、それでいて少しあせったような表情をかべている。

「僕に会いに来てくれたのに帰ってしまうのか?」

「えぇ、そうよ。フレッシェント家の令嬢たるものいさぎよく負けを認めないと。それこそ負けた令嬢のあるべき姿だわ」

「いや勝ち負けはもう良いんだが……。でも僕に会いに来たって事は何か用があったんだろう? お茶か、それともどこかに出かける誘いか」

 そうじゃ無いのかとたずねてくるヴィクターはどことなく必死さすらある。

 対してフルールは彼に問われ、ふむと考え込んだ。

 外出するヴィクターを門の前で待ち構えて、当然のように誘い、彼を驚かせてなおかつ困らせるのが今回の目的だ。

 そしてその後は……、その後は……。

 何も考えていない。

「出遅れたうえに計画もさんだったわね。これは負けて当然だわ。出直しましょう」

「ま、待ってくれフルール。せっかく僕に会いに来てくれたんだから、どこかに行こう」

 再び帰宅を決めるフルールを、これまた再びヴィクターが呼び止める。

 腕をじっと見つめれば、せつしよく不味まずいと考えたのかヴィクターがパッと手をはなしてきた。

 その際に軽く手をかかげるのは「れないから消えないでくれ」という意味だろうか。しく社交界のあこがれの的と言われている彼だが、今の姿は少し情けない。もっとも情けなかろうともうるわしさは変わらず、世の女性達ならば逆にその一面が良いと自らそつせんして彼の腕を取りそうなものだが。

「知ってるだろうけど、このあと家庭教師が来るのよ。出かけてる時間は無いわ」

「それならフレッシェント家に招待してくれ。家庭教師が来るまでお茶をしよう。フルールのためにケーキも用意したんだ」

ずいぶんと必死ね」

「そりゃあ、せっかくフルールが僕に会いに来てくれたんだからね。これで帰られたら、僕はきっと今日出かけたことを一生こうかいするだろうな」

おお

 あきれたと言いたげにフルールがかたすくめ、ちらとヴィクターを見上げた。

 彼を困らせる事は出来ず、『待ちせしてヴィクターを困らせ作戦』は失敗した。それどころかヴィクターの方が距離をかせいでいる。これは認めざるを得ない敗北だ。

 だが理由は違えども今のヴィクターは困っている。

 計画は失敗し勝負にも負けたが、『困らせる』という目的は達成できたのではなかろうか。

 つまり考えようによっては成功とも言える。

 いな、これは成功と断言して差しつかえない!

「仕方ないわね。そこまで言うなら応じてあげる」

 一寸おくれてやってきた達成感にたんに気分が良くなり、フルールが得意げにりようしようの言葉を口にすれば、それを聞いた瞬間にヴィクターの表情がパッと明るくなった。

「せっかくヴィクターに会いに来たんだもの、このまま帰るのもあしよね。うちでお茶にしましょう」

「ありがとう、やさしいフルール。それならフルールが乗ってきた馬車に乗せてもらおうかな。カティス、すまないが先に帰っていてくれ」

 ヴィクターがぎよしやだいに向かって声をければ、一人の青年がひょこと顔をのぞかせて「かしこまりました」と頭を下げた。

 ヴィクターが常に連れ歩いているしつのカティス。かつしよくはだに黒いかみが勇ましさを感じさせ、きっちりと着こなされた執事服が知的な印象をあたえる青年だ。シャレルとはふたであり、顔付きもどことなく似ている。

 彼の返答をかくにんし、ヴィクターがさっそくとフレッシェント家の馬車へと向かう。それをルドが追いかけるのはこうしやく子息に客車のとびらを開けさせまいとしてだ。

「よろしいのですか?」

 とは、となりに立つシャレルからの問い。

 こそりと耳打ちするように問われ、フルールはしばし考え……、

「急ぐ計画でも無いし、貴族の令嬢たるものお茶を飲むぐらいのゆうをもって進めないと」

 そうフルールが答えれば、シャレルが感心したと言いたげに「さすがお嬢様」とめてくれた。


 初戦はまずまずである。

 いや、むしろ大成功と言っても過言ではない。

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