第1章 フルールの素晴らしく画期的な計画①


 十年前のプロポーズから今日まで、フルールはヴィクターのねつれつさにほとほと困らされていた。

 彼は事あるごとに『僕のいとしいフルール』と呼んで何かと付き纏ってくる。

 先日のしよの件がまさにだ。

 もはやいちだの熱烈だのという表現では済まされない行動力だが、それもいまさらだとフルールの周囲は気にも留めていない。慣れてしまったのだ。むしろ最近では「フルールあるところにヴィクターあり」とまで言いだし、彼をさがす者がリデット家をおとずれるより先にフルールに会いにくる始末。

 もっとも、いかにヴィクターの付き纏いがこうじよう化していてもフルールは慣れるわけにはいかない。

 常にヴィクターの求愛からげ、ヴィクター対策を考えて行動している。

 ……そのすべてがぎよくさいに終わり、いまだヴィクターからの熱愛を止められぬまま十年を迎えてしまっているのだが。


「だけど今年からはそうはいかないわよ」

 自室のソファにこしけてフルールが不敵に笑う。

 そんなフルールに、紅茶の手配をしていたシャレルが不思議そうに視線を向けてきた。いったいどうしたのかと問いたいのだろう、「お嬢様?」という声には疑問の色が強い。

 問われ、フルールは得意げに胸を張ってみせた。思わずもつたいぶるように「いいこと」と前置きまでしてしまう。

「世には『押してなら引いてみろ』という言葉があるわ」

「えぇ、存じております」

「ヴィクター対策を取ってヴィクターから逃げていた私は、まさに『引く』だったわ。きっとそれが駄目だったの」

「ということは?」

「つまり『引いて駄目なら押してみろ』という事よ!」

 これぞ名案だとフルールが高らかに宣言した。思わずぐっとこぶしにぎかかげながら。

 だが宣言されたシャレルはいまだピンとこないようで、「はぁ……」と一応の返事こそしてくるがその声も表情も疑問をうつたえている。手元で紅茶があふれてこぼれてしまっているのだが、それに気付かぬほどの疑問という事だろう。

 そんな彼女に、フルールは更に得意げに「教えてあげるわ」と勿体ぶった口上を置いて話し出した。

「今日も今日とて、ヴィクターから逃げられなかったわ。誕生日だっていうのに」

「そうですね。と言いましても、だれもがこうなるだろうという想いをいだいていましたので、予想外という気持ちはまったくありませんでしたが」

 づかいも無く答えるシャレルに、フルールはその慣れはどうかと思うとけんしわを寄せ……、だがすぐさま気持ちを切りえて話を続けた。


 今日はフルールの十七歳の誕生日である。

 だがあいにくと両親は朝からけており、誕生日パーティーは後日を予定している。しきの者達からの祝いの言葉こそあれどもフルールにとってはつうの一日になるはずだった。

 朝からしんせきの家に行き、そこで過ごし、もどってくる。他愛もない日常だ。ケーキぐらいはあるかしら? と心の中で期待していたのはごあいきよう

 だが親戚の家にとうちやくし屋内に招き入れられたフルールをむかえたのは、あろう事か──じやつかんその予感はしていたが──ヴィクターだった。

「フルール、誕生日おめでとう。今日という日を共に過ごせる事をうれしく思うよ」

 と、まるでそこに居るのが当然のような態度。

 ちゃっかり紅茶とクッキーをわれているあたり、いったいどれだけ前からスタンバイしていたのか。


「なんとなくヴィクターが居るかもしれないというおもいはあったわ。でもそんな想いを振りはらって、私は伯母おば様の家に行ったのよ。そうしたらヴィクターが居るんだもの。信じられないわ。……いえ、そんな予感はしてたから信じられないって事も無いんだけど」

「お嬢様の本日の予定はごく情報とされていたのに、いったいどこかられたんでしょう」

「しかもヴィクターってば、お祝いの言葉だけじゃなくてプレゼントまで用意してて……、そ、それで、わ、わ、私の手に……」

 思い出し、だいにフルールの顔が熱くなっていく。


 当然のように伯母の家にいたヴィクターはフルールに祝いの言葉を告げると同時に、手にしていた小箱を差し出してきた。赤いリボンが巻かれており一目でぞうとう品と分かる箱だ。

 中に入っていたのは美しいブレスレット。花を模した石造りのかざりがあしらわれており、可愛かわいくかつ品の良さを感じさせ、質もセンスも一級品のしろものである。

 きっと誕生日プレゼントなのだろう。だがそれが分かってもフルールは受け取れないと小箱をヴィクターに返そうとした。……フルールの意思に反して、彼は一向に受け取らずおだやかに微笑ほほえむだけなのだが。

 ためしにと彼のむなもとにぐいと小箱を押し付けてみるもそれでも受け取らない。ぐいぐいと押し続けると「角がぶつかってちょっと痛いかな」とは言ってきたが。

「ヴィクター、誕生日パーティーは後日開くって言ったでしょ? いくら当日だからって受け取れないわ」

「安心してくれフルール。ちゃんとパーティー当日にもプレゼントをおくるよ」

ちがうの。パーティーの時に何ももらえないことを案じてるわけじゃないの。せめて贈るならこうしやく家としてパーティーの時に持って来てくれないかしら。そうしたら私も受け取るわ」

 フルールはフレッシェント男爵家のれいじようである。そしてヴィクターもまたリデット公爵家の子息。

 格差はあるものの家同士の付き合いは長く、祝い事に物を贈り合うのは普通の事だ。むしろ付き合いのある家のむすめの誕生日に何も無しでは公爵家の名に傷がつくし、フルールも同様、男爵家令嬢としての贈り物をきよすれば周囲に無礼だと取られかねない。

 だからパーティー当日ならば……、とフルールが説明すれば、ヴィクターが「そうか」とつぶやいた。

「パーティー当日か……」

「そうよ。パーティー当日に公爵子息として持ってきてくれたなら、私も男爵令嬢として受け取るわ」

 ようやく理解してくれた、とフルールがあんと期待を込めてヴィクターへと小箱を返そうとすれば、彼の手がゆっくりとフルールへとびてきた。

 きっと小箱を受け取るのだろう。そう考えて、フルールもまた彼へと小箱を差し出そうとする。

 だがヴィクターの手は箱にはれず、箱を持つフルールの手にそっと重ねられた。

 そのままやわく握り、自分のもとへと引き寄せ……、

「つまり、パーティーでもプレゼントを受け取ってくれるんだね。嬉しいな、当日も楽しみにしていてくれ」

 そう告げて、フルールの手にキスをしようとしてきたのだ。

 そのタイミングでフルールが自室に戻ってきたのは言うまでもない。そしてヴィクターのごういんさに対して一人を漏らしていたところにシャレルが現れ、紅茶を手配してもらい愚痴を聞いてもらって今に至る。

 先日のべつそうの件とほぼ同じ流れではないか。違うのは愚痴に付き合ってくれているのがシャレルかルドかぐらいだ。


「てっきりプレゼントを返せると思ったから油断して消えるのが少しおそかったの……。だ、だから、ヴィクターのくちびるが手に……」

「手に触れたんですか?」

「ふ、触れてはいないわ! 触れてないけど、でも、触れそうで……!」

 思い出せばフルールのほおまった熱がより温度を増していく。ずかしさで心臓が暴れ出しそうだ。

 すんでのところで引きいた手を胸元でぎゅっと握りしめれば余計に手に意識がいき、そして彼の唇に触れかけたおくせんめいさを増す。

「触れてないけど、触れそうで……、それで私、またほうで消えちゃったの」

 触れかけた手を直前で引き抜き、ヴィクターに対していかりの言葉を発し……、その場から消えてしまったのだ。

 これもまた先日の別荘での一件と同じ流れである。そして、

「おかげで今度はルドを置いてきちゃったわ」

 同行人を置いてきてしまったのも前回と同様。

 違うのはやはりシャレルかルドかの違い。むしろ前回と今回で彼等が入れ替わっているだけである。

「ルドも自力で戻って来られるでしょうしご心配にはおよびませんよ。それより、さきほどおつしやっていた『引いてなら押す』とは?」

「そうよ、その話だったわ」

 話がだつせんしていた、とあわてて本題に戻る。

 もっとも、本題に戻ったところで話すのはヴィクターについてなのだが。

「話した通り、ヴィクターは強引なのよ。私が困っても、困ってる私を見て楽しんでるの」

「ヴィクター様は昔から変わりませんね」

「そ、それにっ……、て、手にキスしようとしてくるのよ……! 公爵子息のくせにれんだわ!」

 思い出すだけでフルールの顔に熱が溜まり、自分の手をかばうように片方の手でおおう。

 怒りと恥ずかしさのあまり思わず「ヴィクターってば!」と声をあららげれば、次のしゆんかん、パッとその場から姿を消した。

 ……のだが、さらに次の瞬間には室内の窓辺に姿を現した。

 ほんの一瞬の、ほんの少しの移動。たった数歩でに戻ってくるだけだ。

 魔法ではあるものの、ともすれば見間違いか目をはなしていただけかと思われそうな移動。の当たりにしたシャレルもおどろく事なく、一応のれいなのか「おかえりなさいませ」とだけ告げてきた。

 フルールもまた動じずいそいそと椅子に座り直す。その際のコホンというわざとらしいせきばらいは仕切り直しと照れかくしである。

「それでね、名案を思いついたの。私がこれだけ困ってるんだもの、きっと私が同じような事をしたらヴィクターも困るはずだわ」

「同じ事をですか?」

「えぇそうよ。ヴィクターのあの強引さを真似まねするの。私がヴィクターみたいに強引にせまれば、今度はヴィクターが私のように困るはずだわ!」

 あのプロポーズから十年、ヴィクターは常にフルールに付きまとってきていた。

 どこに行ってもついてくるし、ついてこないと思ったらすでに居る事も多々ある。今日のような誕生日プレゼントはもちろん、何も無い日でも贈り物をわたしてくるし、愛の言葉やめ言葉は、その豊富さに感心してしまうほど告げてくる。パーティーでは当然のようにエスコートしてくるし、ずっとそばを離れない。

 フルールはそんなヴィクターの積極性に困らされてばかりだ。

 だからこそ、それを逆手に取るのだ。

 今までのヴィクターを参考に、彼に積極的に迫る。そうすればヴィクターは困り果てて、今までフルールがそうしていたようにげるに違いない。

かんぺきよ……、完璧な作戦だわ! 勝利しか見えない!!」

 成功を確信して声をあげるフルールに、向かいに座るシャレルは落ち着いた様子で「さすがお嬢様、完璧ですね」と静かにはくしゆを贈っていた。


   ***


 時間は過ぎ、夜。

 フレッシェント家の庭で話をする一組の男女。その姿ははたから見れば秘密のおうか、もしくはよからぬたくらみを持った会合とでも映るだろうか。

 現に、たまたま通路を歩いていて気付いた一人の使用人が「いったいだれと誰だ」と野次馬こんじようで窓に張り付いた。……だがすぐさま「なんだあいつらか」と窓から離れてその場から去ってしまう。

 夜の庭で話し合っているのはシャレルとルドの二人で、彼等の間には使用人が期待するような空気はいつさい流れていないのだ。男女の逢瀬らしいのうみつな空気も、さりとて企みをいだおんな空気も無い。

 そんな二人の話題はフルールについて。くわしく言うのならば日中のフルールの宣言について。話を聞いたルドが「お嬢様が積極的に……」と何とも言えない声をらした。

「うまくいくと思うか?」

 物言いたげな表情のルドの問いに、対してシャレルは自信たっぷりに「もちろん」と返した。

「お嬢様のお考えならうまくいくに決まってる。お嬢様はこうと決めたらやりげる強い意志の持ち主だから、きっとヴィクター様が困るほど積極的に……、だいたん……、お嬢様が……。あのお嬢様が大胆に?」

「お前だって想像出来てないじゃないか」

「いいや、お嬢様なら出来る!」

 一度はルドにてきされはしたものの、シャレルが我に返ると共に断言した。

 だが断言しつつも最後に堂々と「多分!」と付け足すあたり、シャレルもまたフルールの作戦に対していちまつの不安を感じているのだ。

 不安要素の一つでありなによりの要因、それはフルールの奥手さ。

 フレッシェント家はひとむすめのフルールをそれはそれは大事に、ちようよ花よと育ててきた。まさにはこり娘だ。

 おかげでフルールはどこか世間知らずな一面がある。といっても世間にめいわくをかけるようなものでもなければ、常識外れという程のものでもない。シャレルやルドを始めとするフレッシェント家に仕える者達からしたら『大事に育てられたあかし』と微笑ほほえましく感じるぐらいのものだ。

 そして、とりわけそのけいこうれんあい面にけんちよである。

 十七歳の貴族のれいじようといえば既にこんやく者がいる者がほとんどだ。フルールの友人には結婚式を目前にひかえている令嬢すら居る。

 だというのにフルールはいまだ婚約者を決めておらず、それどころかこういった手合いの話になると「男女の交際なんて……」と顔を真っ赤にしてしまう。

 そんなフルールは常々こう語っている。

『男女の交際はまず複数人でお茶を楽しんで、そのあとはこうかん日記でたがいの理解を深めるの。慣れてきたら二人きりで話をして、そしていよいよとなったら……』

 いつもここでフルールはポッとほおを赤くさせる。

『いよいよとなったら……、手をつなぐのよ。あくしゆじゃ無いわ、指をからめて手をにぎるの。やだ、話してたらずかしくなってきちゃった!』

 そう恥ずかしそうに話して『この話はもうおしまい!』と終わらせてしまうのだ。時には恥ずかしさのあまり魔法で自室にもどってしまう時もある。

 その話の内容も、仕草も表情も、行動も、すべてがういういしさを感じさせる。年若い少女の初心うぶな反応。見守るシャレル達からしたらなんとも微笑ましく、いとおしく、そして同時に『これはヴィクター様もヴィクター様で苦労するな』と思わせるものだ。

「そんなお嬢様が積極的になれるとは思えない。どう考えてもお嬢様には無理だろ」

 やる前から分かりきっていると、既に敗戦ムードをただよわせるルド。

 根が真面目まじめであれこれと考え込む性格の彼は、どうやら今の段階でフルールの失敗を予感しているようだ。それどころか失敗するフルールをどうなぐさめるかまで考え出す始末。

 対してシャレルは彼ほどしんちような性格はしておらず、いわゆる当たってくだけろタイプであり、今も結論付けるのは早いとルドをとがめた。

 フルールは確かに箱入り娘で奥手だ。それもがんじよう過ぎる箱に入っていたじようこんぽう気味な箱入りの、ちようがつくほどの奥手。

 だが強い意志の持ち主だ。そして行動力にあふれている。

 それになにより……、

「失敗してもヴィクター様を喜ばせて終わるだけだし」

 そうシャレルが結論付ければ、ルドがじっとりとした目つきでにらんで返す。

「その結論もじよとしてどうなんだ……」

 という彼の声はうなるように低いが、シャレルは気にも留めず、さっさとしきに戻るために歩き出してしまった。

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