プロローグ③

   ***


「そうしてもどってきて今に至るのよ」

「なるほど、そういう事でしたか。しかし逃がさないと言われた瞬間のとうぼう、お見事です」

 フルールがうなれながら話せば、ルドがひかえめながらにはくしゆおくってきた。まったくうれしくないめ言葉と拍手である。思わず「拍手はやめてぇ……」とかすれた声を出してしまった。我ながら情けない声だ。

 次いでフルールはふと視線を上げた。物思いにふけるように、どこというわけでもなく部屋のてんじようを見つめる。

 小さい頃から今日までずっと過ごしてきた自室。きるほどに見てきたオフホワイトカラーの天井。

 だがそこに思いえがくのはついさきほどまで居た避暑地の空だ。うつそうと生いしげる木々、はるか高みに広がる青い空とまばゆい太陽。優雅に飛んでいく鳥の姿……。まるで絵画のように美しい光景だった。

 きよで言えば馬車で半日もからない、早朝に出ればきゆうけいはさんでも昼過ぎに着ける存外に近場だ。だがにぎやかな市街地とは打って変わって自然あふれる静かな場所である。そこに建つフレッシェント家のべつそうと、りんせつするリデット家の別荘。

 そこには今もヴィクターが居るだろう、そして……。

「咄嗟の事だったから、シャレルを置いてきちゃったわ」

 元々、避暑地での生活にあたり身の回りの世話や食事は現地の者達をやとっていた。親族が近くに住んでいるため、そこで働く使用人やメイドを期間限定で雇ったのだ。

 だがフルール付きのじよシャレルだけは別である。七つ年上の彼女は侍女でありながらもフルールにとっては姉のような存在であり、どこに行くにも一緒。今回の避暑地での生活も共に過ごし、二人でフレッシェント家のしきに帰ってくる予定だった。

 だというのに彼女を置いて一人で自室に戻ってきてしまった。昼食の用意をしていた彼女は事情を知らず、きっとフルールが居ない事を知っておどろいただろう。彼女だけではない、別荘で働いていた者達もさぞやきようがくしたにちがいない。

 ……多分、驚くと思う。きっと。少しぐらいは。少なくとも別れのあいさつを出来なかった事は惜しんでくれるはずだ。

 そんな事を考えて一応は胸を痛めていると、話を聞いたルドもまた想像するように視線を他所よそへと向けた。

「いつもの事なんでシャレルも驚かないと思いますよ」

 というひどくあっさりとした彼の言葉に、フルールはまたもかたを落として「私もそう思う」と返した。


    ***


 場所は変わって、避暑地のはん

 森に囲まれたその一画はすずやかで、常時であればわずらわしいとしか思われない夏の日差しもここでは湖のみなまばゆかがやかせている。

 そんなふもとには、湖をながめるように隣接して建つ二とうの屋敷。……と、その屋敷の前に立つ二人の男女。

 フルールを逃亡させた原因のヴィクターと、逃亡したフルールに置いていかれたフレッシェント家侍女のシャレルである。

 たんせいな顔付きの青年と、かつしよくはだうるわしい女性。並ぶ姿は様になってはいるものの、二人に色恋めいた空気はなく、むしろみようちんもくただよわせていた。湖の水面をらす涼やかな風も今この空間でだけは白々しさがある。

 そんな沈黙を破ったのはヴィクター。先程まで握っていたフルールの手のかんしよくを惜しむように己の手を見つめてしようしながら口を開いた。

「またやってしまった……。どうにもフルールへのおもいがつのると触れたくなってしまう。でも見たかい、シャレル。フルールってばあんなに真っ赤になって消えてしまった。なんて可愛いんだ」

「相変わらずですね、ヴィクター様。しかしおじようさまがお帰りになってしまった今、私がここに残る理由はありません。さつきゆうにフレッシェント家に戻らせて頂きます……、と言いたいところなんですが、馬車がむかえに来るのは明日なのでどうしたものか……」

 帰る術が無いとシャレルがなやむ。

 褐色の肌とくろかみという国内においてはめずらしい外見。勇ましさすら感じさせる麗しさがあり、同性でもれかねない。悩む表情もりんとして美しい。

 もっとも、フルールに付きまとっているヴィクターからしたらシャレルの外見は見慣れたものだ。肌や髪色に珍しさも感じないし、同時に、彼女の美しさに見惚れる事もない。

「そういえば、来た時の馬車はフレッシェント家のものじゃなかったね。きみ達を降ろしたらすぐに戻ってしまったし。あの馬車は?」

「ヴィクター様にかんかれないよう、つじ馬車を貸し切ってここまで来たんです。ぎよしやにはじようかくしておきました」

「なるほど、すべては僕対策か」

「ええ、すべてはヴィクター様対策です」

 だというのにヴィクターがすでに現地に居るのだから、つまり対策はすべてに終わったという事だ。

 いまごろフルールはどんな気持ちだろうか。そうシャレルが思いをせる。……まぁ、多分、いつもの事なのであまり落ち込んでは居ないだろうけど。

「そういう事なら僕の馬車に乗ると良い。フレッシェント家まで送っていくよ」

「ヴィクター様もお戻りになるんですか? 明日お戻りになるのでは?」

「フルールのいない場所に僕が長居する理由はないね」

 はっきりと言い切り、ヴィクターがリデット家の馬車へと向かって歩き出す。

 そんな彼に対して、シャレルはこれもまたいつもの事だと考え「もんでしたね」と肩をすくめた。

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