0082:苦労人の受難

「総長……これでよろしかったのでしょうか?」


「ああ……」


 戦闘予定地域。巣鴨迷宮18階層、地蔵火山。ドラゴンが確認された火口、その反対の山脈の最も高き頂き。雲ひとつ無い快晴の空は、かなり遠くまで見通すことが可能だった。ぱっと見、ここが迷宮だとは思えない風景。だが、一年中、ほとんど天候の変化が無い事が、逆に迷宮であることを主張する。


 特に主戦場となるであろう向かいの火口付近はここから良く見える。映像などの記録はできないので直接見るしか無いのだが、視界は確保出来ている。


「啓一の能力がこの地では必要になる。配置に着かせたか?」


「ええ、納得しておりませんでしたが」


「本田さん、貴方には伝えておこう。時期が来れば啓一にも伝えねばならんが」


 総長の表情はいつに無く硬い。威圧でも怒りでもない。緊張……のようなモノも周辺に漏れ出している。他の隊員は全員、配置に着かせた。副長である「氷帝」からはかなり反対されたが、総長命令で押し通している。自分が監査役になって初めての事だと「不知火」本田はトレードマークの残り少ない毛を揺らしながら対策会議の事を思い出していた。


 会議の最後であの少年が発した「予言」。そう。アレは。討伐隊幹部が。いや、この国、この世界の人類の未来に関わる国家規模重大機密案件。瞬間に副長が刃を向けたのは、即断せねばならない案件だからだ。


 その上で。いま、我々はここでこうしている。


「は」


「我々は生かされている。それは知っているな?」


「はっ。総指令閣下のことですか」


「ああ、そうだな。閣下もそうだ。そうなの……だが」


 辺りを念入りに見渡す。気配は、無い。闘気だけでなく……純粋に気配を探る。数日前、久しぶりの敗北で学んだ事だ。


「我々は生かされている。閣下ともう二人。噂でなら聞いたことがあるだろう」


「あ、そ、それは……それは、あの噂は本当のこと……なのですか?」


「どう聞いている?」


「迷宮が生まれたキッカケ……この世界が神に滅ぼされそうになったのを、たった二人の人間が……食い止めたと、神話の様な……噂、迷宮都市伝説とも」


「ああ」


「ほ、本当なのですか?」


「本当……ではない」


「あ」


 ハゲオヤジ本田が安堵の顔を見せる。それはそうだ。人間が神と戦うわけがない。というか、神とはなんだ? そんな抽象的なモノが物理的な力を持ち得ること自体が信じられない。迷宮が、探索者が、魔術が、魔物が……とファンタジーを目の当たりにしてきても、科学は現代人の根幹に存在している。


「本当ではない。真実は……この世界は神、いや邪神だな、あれは。その力に滅ぼされそうになり……一人は盾となり、守り続け、立ち向かい続けて死んだ。呪いで石と化し、墓碑の様に今も立ち続けている。そしてもう一人は……」


 神? いや邪神? それと人間が戦い、立ち向かい? 二人で? それはどういう……日本の神話、世界の神話……古事記であればそんな記載があっても不思議では無い。でも、今は現代日本でそれは。

 これが敬愛する総長の言葉でなかったら、まず、疑って掛かるところだ。お前大丈夫か? と優しく、丁寧に評判の良い精神系の病院を紹介するだろう。


「か、神にトドメを刺して亡くなったと……」


「ああ、そうだな。そう言えと言われたのだ。彼に、な。実はな……その時の邪神は、未だこの世界を諦めておらん」


「は? ど、どういう」


「この世界は……今も邪神に滅ぼされそうになり続けているのだ。常に。進行形で。現時点でも。そして、それは……たった一人の男によって食い止められている」


「げ、げ、げ、現在進行形……です、か?」


 薄毛のオヤジにハンカチ、汗を拭う仕草が余りに似合う。この階層の気温のせいではない。その証拠に流れ出る汗は冷たい。文字通りの冷や汗だ。


 この話は……この話は……なんというか……。日本人にとって、人類の創成の秘密を知るレベルの話だ。いや、迷宮が世界を支配し始めている現状、世界レベルでヤバイ。自分のような小市民が知っていい話じゃ無い。心の中で「総長、なんで黙っていてくれなかったんですか」というセリフが繰り返される。

 知らないで良い事は知らないままで、別に自分は日本という国のために、総長、そして、総司令閣下の命令の下に、戦い死んでいくのはやぶさかではない。というか、元々企業戦士的な……実直な日本人サラリーマン気質を持つ自分は、それでいいのだそう思っていたし、分相応であるとしてきた。


 人は誰しも、我々の生殺与奪権は、ある程度我々自身が握っている……と思っている。


 特に自由民主主義を掲げる日本人である自分もそうだ。と思い直す。が。それが崩れる。自分の、いや、自分たちの足元がガラガラと音を立てて崩れていく気がする。


 仕事に明け暮れ……家族には寂しい思いをさせているかもしれない。でも食べるのに困ったことはないし、子供がやりたいということのタメに、お金を使うことも出来ている。休みの日に趣味の釣りをして、ぼーっとする。


 ああ、自分はそれだけで、それだけで、この命を賭けるに値する職場で戦うことが出来ていたのに。


 総長……感謝していますが……怨みもしますよ?


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