第3話 第三の事件
そのまま僕たちは、自殺死体が発見されたというアパートに向かった。驚いたことに、ここでも僕たちは現場への立ち入りを許された。
死体は30代か40代と思われる男性で、ドアノブにネクタイを縛って、もう一方も結んでそれに首をかけて死んでいた。
「こんなもんで死ねるものなのか? 確かに腰が浮いてはいるが、苦しくなったら立ち上がれるじゃないか」
僕が疑問を呈すると、
「実例があるらしい。おそらく事前に睡眠薬を飲んでいるのだろう」
と明石は答え、首を吊っているネクタイをスマホで写真に撮った。
そして何やらスマホの画面をいじっていたが、
「これ、どうやら女性用のネクタイみたいですよ」と画像検索した結果を金田管理官に見せた。
「女性用のネクタイを男が持っているのは変だよな?」
と僕は言ったが、
「う~ん、女装癖でもあればあり得るかもな」
と明石にいなされた。
居間のテーブルの上には、『遺書』と書かれた封筒が置いてあった。僕は思わずそれを指差して、明石の方を見ながら笑ってしまった。明石も苦笑いしていた。
実は先日サークルで観たDVDで、同じようなシーンがあったのだ。それを観たとき、僕たちは『今自殺しようとしているやつが、こんな几帳面な遺書を残すかなあ』と笑ったものだった。
だって中身は、パソコンで打ち込んでプリントアウトしたものだ。この現場に残された遺書も見せてもらったが、やっぱりそうだった。
つまりこれは、法的に『遺言状』と呼べるような代物ではなく、「これから自殺します」という意思表示に過ぎない。そのままテーブルに置いておけばいいだけの話だ。
それをわざわざ折りたたんで封筒に入れ、ご
「三上、この遺書の文面をよく読んでみろ」
明石が言うので、読んでみた。そこにはこう書いてあった。
『申し訳ございません
〇〇さんを殺したのは私です
バードウォッチングを理由に呼び出して
睡眠薬を飲ませた上で
このネクタイで首を絞めて殺してしまいました
よく考えたら
とんでもないことをしてしまいました
責任を取って
私もこのネクタイで死んでおわびします』
「このネクタイからさっきの現場の被害者の皮膚
「そうじゃない」明石は首を横に振った。「このネクタイで締め殺したのであれば、それをわざわざ取っておくか? しかも今度はそれを使って自殺した。もし本当にそうだというのなら、こいつは相当なサイコパスだぞ?」
それから明石は金田管理官に詰め寄った。
「警察はこれでも自殺と判断しますか? さっきからおかしなことがいくつもありますよね? これは殺人である可能性が高いと思いますよ」
「・・・確かに変だな」金田管理官も認めざるを得なかった。「しかし自殺じゃないとすると、いったい誰が?」
「そうですね、まずは」明石は要望した。「この自殺した男とさっきの被害者の勤務先が同じかどうか、確認してください。パワハラを受けたと言っているから、たぶん同じ職場だと思いますが。後のことはそれからですね」
僕たちはいったん警察署に戻って、会議室で待機していた。金田管理官が気を遣って出前のカツ丼を取ってくれたが、そのせいでなんだか取り調べを受けている犯人の気分になった。もしかしてこれはジョークのつもりなんだろうか?
もちろん、取調べで容疑者にカツ丼を取ってくれるなんていうのは、昔の刑事ドラマの中でだけの話であることはいうまでもない。
来たときと違って、僕たちは今度こそ捜査本部の大会議室で、刑事たちが集めてくる情報に接している。「誰だあれは?」「知らんのか? あれが噂の」などという囁き声が聞こえるが、明石は
集まってきた情報によると、まず第二の事件の被害者と第三の事件の偽装自殺者は同じ会社に勤務しているはず、という明石の推理は当たっていて、前者は経理課職員で後者は陸上部のコーチだそうだ。
「それでは次に、第二の事件の被害者と同じ経理課の職員で、陸上部に所属している女性がいないか調べてください」
「女性?」金田管理官が聞き返した。「君は犯人が女性だと考えているのか?」
「凶器のネクタイが女性用だし、飲み物に睡眠薬を入れて飲ませるのも女性の方がやりやすそうです。該当する女性がいたら、死んだ2人とトラブルがなかったかどうかを聞き込みしてください。あと、第一の事件の容疑者Aには再び見張りをつけて、本来被害者Bになるはずだった人物の安全を確保することも
最初の殺人が交換殺人だったのかどうかは、それを利用した可能性のある第二、第三の事件の犯人の自供を待つしかないが、何にせよこれ以上被害者を増やさないことが肝心ということか。
やがて上がってきた情報によると、明石の提示した条件に該当する者が1人いて、陸上部の長距離走のランナーで、全県大会3位の実績もあるという。
そのため、その会社では平日の午後を練習の時間として認め、職務を離れても良いことにしているらしい。
「勤務日の午後になれば、彼女は練習のために仕事を抜けるわけですから、その労力の補填がなされないことに第二の事件の被害者は不満を抱いて、彼女に対して嫌味を言ったりパワハラを仕掛けたりしていたのかも知れません。それが彼女の犯行動機に繋がったんじゃないでしょうか。一方で第三の事件の被害者である陸上部のコーチは、前近代的で理不尽な特訓を強いるなどして、彼女の恨みを買ったのかも知れませんね」
なるほど、これはあり得そうな推理だ。
「しかし現段階ではまだ逮捕状の請求はできないでしょうから、とりあえず参考人として任意で引っ張ってきて、事情聴取するしかありませんね」
金田管理官も明石の意見に賛意を示し、彼女の身柄の確保に向かう刑事たちの人選を始めた。
「僕たちも連れてってもらえませんか? 後方支援に徹しますから」
この明石の要望には、しかし金田管理官は難色を示した。
「あくまでも任意の事情聴取だから、もし断られても強制はできない。仮に逃げられたとしても、取り押さえることは難しいんだよ」
「ですから、あくまでも不測の事態が生じた際の後方支援ですよ。緊急逮捕要件を満たした場合とかのね」
さすがに隣の県で捜査に関与しただけあって、どうやらこの青年はどういう状態になれば緊急逮捕できるのかを理解しているらしいとでも思ったのか、金田管理官は僕たちの同行に合意してくれた。
僕たちが向かったのは、彼女のアパートだった。そういえば今日は、連休初日の土曜日だったんだ。彼女の職場も休みだったろうに、刑事たちはよく職場の状況を聞き込みできたものだな。さすが一線の刑事たちだ。
僕たちはアパートから50メートルほど離れたところに陣取った。任意同行を求める刑事たちがアパートに入っていく。ここまで会話が聞こえることはないだろうが、果たして彼女は同行に応じるだろうか?
そのとき、男の叫び声が上がったかと思うと、アパートから女性がこちらへ走ってきた。だがその手には包丁のようなものが!
「傷害容疑で緊急逮捕だ!」
誰かがそう叫んだ。すると明石は、おもむろに彼女の前に立ち塞がった。ちょっと待てよ明石、相手は刃物を持っているぞ! いくら君が空手の心得があるといっても、それは危ない!
彼女は構わずまっすぐ向かって来たが、それを阻止すると思われた明石は、急に道を譲るように左に
すると彼女はなぜか盛大にコケた。明石が柔道の『足払い』のような技を仕掛けたらしい。僕はすかさず彼女の背後に馬乗りになり、両手を押さえ込んで言った。
「確保しました!」
「・・・女性を押さえつけるのは、僕の信条に反する」
明石は言った。こんなときまで、何かっこつけてんだよ。
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