肺臓と宇宙とオリオン通り(1)
「――ちょっと待て! 野刃、離れろ!!」
心臓の声に野刃は「んだコラ」と不快感を表すと同時、サラリーマンの爆ぜた頭から血液が瀑布の如く噴き出した。
「ぶぁあああああ!?」
思わず後ろへ仰け反る。しかしそれでは済まず、あまりに強すぎる飛沫はそのまま野刃は向かいのビアバーまで吹き飛ばされ、強かに頭を打つ。
「Drrrrrrrrrrr!? だから注意しただろーが!?」
「~~~~~ッ!? ……ってぇ、何をどう気をつけろって言えや!! さては仕事出来ねェな!?」
「オレら宇宙人に仕事なんてネェ~~~♪ おい、それより早く立てよ」
未だにうずくまったままの野刃を立たせる心臓。どうにか心臓と化した頭を擦りながら立ち上がると、その視線の先には――
「――Higgggggggggh!! ハイ♪ 肺♪ Hiハイ肺!? ハイハイ言っときゃ良んだろくそ主管がァ――――!!?」
――サラリーマンだったモノが、いた。しかし、先ほどとは違う、異形と化している。爆ぜた頭からは巨大な羽が伸びていた。いや、野刃にはそう見えた。夜の闇でシルエットしか見えないが、サラリーマンは翼に見えるその影と同じように両腕を広げていた。
「……バールおっけェ!」
「Drrrrrrrrrrr♪ アイツも生まれちまったなァ、じゃあ野刃、ぶっ殺すしかねェよな!?」
「殺すしかねェな!!」
「あっっっったりまえだろ!! 殺すんだよ!!!」
「殺すよなァ!!?」
ユラユラと頭部から伸ばした翼のようなモノを揺らしているサラリーマンの肉体が、野刃がバールを強く握り締めるとピタリと動きを止めて、”顔も無いのにこちらを見た”。
「High!! おはようございます!! 本日のスケジュールを確認させていただきます、本日は八月一日っ、午前に一件のテメェのブッ殺しにキマッてんだろうがァーーーーッ!!」
車が一瞬通った。その瞬間、光が二人を照らす。血まみれのバールを持つ血濡れの心臓の野刃、そして――巨大な双つの肺が生えたサラリーマン。まるでその姿は鉢から生えた観葉植物のようにも見えた。
「Drrrrrrrrrrr♪ 肺だぜェ、
「ダチならそっこ殺してやる!」
「サンキュな!!!」
駆け寄る野刃。彼は勢いをつけ、野獣のように飛び掛かった。
「ルルルルルルルアアアアアアアアアアーーッ!!!」
バールのL字の釘抜きを突き立てようと振りかざすも――
「ぴいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
耳を劈く高周波。中空でモロにそれを受けた野刃は身体が硬直し、鼓膜と目元から血液が噴き出た。
赤く染まる視界、両耳を塞ぎながら野刃は見た。肺が膨らみ、爆ぜそうなほど膨張している事に。
「やっべ。ガードしろ野刃ァ」
「fへwhふぉあふえp9g!?」
鼓膜が弾けて聞くことはおろか、何が起きてるかも理解できない野刃は音の高さに悶絶し、ヨダレを垂らして悶絶する。
悶える野刃に、肺の男は少し屈み、力を込め、そして、
「肺!! 朝一で向かいますッ!!!」
全ての息を肺から吐き出し、まるで砲弾のように弾け飛んだ。圧縮された空気は、衝撃を以て石畳を捲りながら肺男を射出。ドロップキックの如き体勢で野刃にその両足を叩き込んだ。
「グぁあああぁアァあぁああああ!!!?」
弧を描くようにグングンと上昇する二人。あっという間に周りの建物よりも標高は高くなり、二荒山神社が見えるほどの高さまで飛び上がる。
「野刃ァ!! 何とかしねェとヤベェぞ!?」
くの字に折れ曲がった身体で、野刃はどうにか体勢を変えようと踠くも、全身に掛かるGにより何もすることもできず、身を硬直させることしかできない。
y=x²のカーブを描きほぼ垂直への上昇となると、一瞬、肺は空気の噴出を止めたがそう思うのもつかぬ間、先ほどより強く圧縮した呼気をジェットのように吐き出し、次は垂直に落ちていった。
「おま、えが……なん、とかし……ろ……!」
加速と重力と重さと。野刃は万力を込めて両手でバールを握り締め、柄の部分で何度も何度も肺男の足を突き刺した、が。
悪魔的加速度は収まらず、そのままバンバ通り沿いの空きビルへと、隕石の如き煌めきを以て――墜落した。
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