心臓のノバ(2)
剝笑野刃は自他とも認める自我の薄い人間だった。学生の頃はずっと人が好きなモノが好きな、流行りを追いかけるばかりの人間で、付和雷同な人種であった。
みんなが何となく好きだと言えば好きと言い、ダルいと言えばダルいと言い、みんなが成人式に行くと言ったから成人式に言った。そんな人間だった。
その成人式の最中、壇上で檄を飛ばす市長をぼんやりと眺めていた時だった。
市長は一般的には”成功した人間”に含まれるであろう。それをジッと眺めていると、野刃にはモヤモヤとした、言いようもない怒りにも似た失望の炎が燃え上がるのを感じた。
アレが、成功した、人間?
こんな小さな文化会館で。こんなしょうもない、成人式だからと騒ぎ立て、飾り立てて酒を飲んで騒ぎ、スマホで写真を取り続ける若者の前で、誰も聞いていないスピーチを、壇上で話し続けることが”成功”?
椅子に座って、不意にそう考えた。誰も彼もが自由に、下らなく成人式のスピーチを聞き流している。『俺はみんなとは違う』とただ、クソみたいな枠の中で騒ぎ、みんなと同じように過ごす、なんて、なんて、
「狂ってるんだ」
野刃は二十歳にして初めて”自我”を手に入れた瞬間だった。
「え、何が狂ってるって? つか野刃、インスタ上げようぜ、ほらストゼロ一緒に飲んでるとこあげたらヤバくね?」
そう言う横の”友人だったモノ”。自我を確立した野刃は、そう囀る肉塊の頬を思い切り握り込んだ。
「モガッ!?」
ストゼロが床に落ちた。
「なああああああああああああっにも!! やべぇえええええええのはテメェだッ!!!!!!」
産声だった。野刃は居ても立ってもいられない焦燥感と脳の加速に、立ち上がり、胸ポケットに仕舞っていた引き出物のボールペンを取り出すと、自分の右頬から左頬へと突き立て――貫通させた。
「もがっ、もッ!! もォ~~~~~~ッ!?」
飛び散った血に悶える友人。彼を見下ろして野刃は頬に走る激痛のお陰で、何処かへと消えてくれた焦燥感に安堵を浮かべた。
「やっほ、ひょうひに、もどれたへ」
刺さったままのボールペン。ボールペンに金色に刻印された『2024年 祝成人』が血に塗りつぶされた。
ダラリ、と弛緩し、手を離す野刃。何が起きたのかやっと理解した彼の周囲は、悲鳴と、逃げ惑う人と、シャッター音と飛び交う無数のデータのやり取りが渦巻いた。
そんなみんなを尻目に、野刃はスーツを自分の血で染め、いや、わざと血がよく着くように自分で頬から流れる血を両手で掬い取り、ワイシャツを汚しながら、騒ぐ20歳たちを押し飛ばしながら文化会館を後にした。その日以来、彼は自我=狂気を手に入れた。彼が恐れるモノは、焦燥感とシナプスを奔る衝動の加速だけになった。
彼はそうして宇都宮市に解き放たれた。それ以来彼は家に帰っていない。野刃はオリオン通りの風俗店の用心棒まがいのチンピラとなり、小銭稼ぎとオリオン通りを蔓延るゴミどもを片付け、彼らの財布からお小遣いを抜いて生活している。彼は最早、宇都宮市で誰よりも自由な人間となり、狂気と血と暴力を振り撒いていた――そう、ある日までは。
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