第2話

 ジョーンと別れた僕は急いで家に帰る。もらった剣は特に重荷でもないので走る速度に影響はない。

 爺ちゃんが起きてくる前に最下層の寝床に急ぐ。道中のモンスターたちを搔い潜り、僕は走り続けた。

 

 しかし、最下層一歩手前のフロア。大きな空間で爺ちゃんは僕を待っていた。

 僕の何倍も大きな体が中央に鎮座している。


「クレイス、少し話をしようか」

「う、うん」


 大目玉を食らうと思いきや、ヒュドラ爺ちゃんは「やれやれ」といった顔で、僕を見つめていた。

 初めて見る表情に微かな不安を覚えながらも、僕はその場に腰を下ろした。


「それは外の人間にもらったのかい?」


 爺ちゃんはいくつかの顔を僕が背負っている剣の方へ寄せた。じーっと見つめたその顔がどんどん険しいものになっていく。

 良くない剣、なのかな。


「これは……」

「どうしたの、爺ちゃん」

「これは勇者の剣ではないか。私も報告でしか聞いていなかったが、おそらく、間違いない」


 勇者の剣? ずっと昔に戦っていた人間が使っていたものすごく貴重なものとは聞いていたけど、これが?


「これはジョーン・ヨギロストフという人間からもらいました」

「ははあ、そいつが元勇者で間違いない。たしか彼もそんな名をしていたはずだ」

 

 ヒュドラ爺ちゃんは少し寂しそうな、でも見た感じは嬉しそうな、そんな顔をいくつも浮かべていた。

 僕は外に出たことを怒られなくてほっとした反面、爺ちゃんにあんな顔をさせてしまったことに嫌な気持ちを覚えた。人に隠れて後ろめたいことをするというのは、自分だけでなく相手のことも傷つけるものだと学んだ。


「それで、クレイス。元勇者殿とどんなことを話したんだ?」


 僕はジョーンとの出来事をあるがまま話した。彼が怪我をしていたこと、魔法で治療したこと、パーティ? の人間だと思われたけど黙っていたこと。ジョーンが帰る前に剣をくれたこと。


「……ってことがあったんだ」

「そうか、うむ。クレイス、お前が明日から外に出ることを許可しよう」

「ええっ!」


 突然爺ちゃんの許可が下りた。今までずっとダメとしか言われてこなかったのに、急にどうしたんだろう。

 でも外に出られると聞いて、心臓がドキドキとうるさい。だって、ずっとずっと夢見てたことだから。浮き上がりそうな体を必死に抑えて、僕は爺ちゃんに改めて向き直る。

 

「実はな、今までクレイスを外に出さなかったのは、人間と共存できるかが心配だったのだ」

「心配?」

「ああ。お前は私が育てた。もちろん私は人間じゃないし、ここには人間なんて来やしない。だからせめて私を倒せるくらい強くなって、何にも屈しない力を与えてから送り出してあげたかったんだよ」


 爺ちゃんはそう言って微笑んだ。その顔を見るのが恥ずかしくて、何だかむずがゆくて、僕は爺ちゃんの頭の1つに飛びついた。


「ありがとう! 爺ちゃん!」

「いいんだ、私の方こそありがとう。お前を拾って一緒に過ごした時間は、長い生の中で最も尊い時間だった」


 爺ちゃんがくれる言葉の全部に胸がいっぱいになって、僕は飛びついた爺ちゃんの目が開かないように体を大きく広げた。

「こらこら」と僕を宥める爺ちゃんも嬉しそうで、僕たちはしばらくこうして過ごしていた。




 ─ラストダンジョン、最下層。


 「クレイスとこうして戯れるのも最後かと思うと、感慨深いな」


 僕は爺ちゃんに最後の修行をつけてもらうために、最下層にある大きな円状の空間で向かい合っている。勝っても負けても外には出られるけど、やっぱり最後くらいは勝って終わりたい。

 背中の剣を取り出し、軽く好きなように振ってみる。すると、ビュン! と、剣から何かが外れて勢い良く壁に突き刺さった。

 中から出てきたのは艶々つやつやと光る宝石のような石だった。あれ、僕もしかして剣を壊しちゃった……?


「あ、あれ?」

「クレイス、それはさやと言ってな、戦う時には外すものなんだよ」


 鞘、初めて知った。だって今まで見たことなかったから。まあでも、これはない方が使いやすくていいかもれない。

 僕は鞘のない剣を背中に引っ掛けた。


「そうなんだね、じゃあいくよ! 爺ちゃん!」

「さあ来い、クレイス!」


 僕が走り出すと同時に、爺ちゃんは9つの頭を器用に別の角度から向けて襲ってくる。1回でも掴まれたら終わりだ。僕が全力を出せば抜け出すことはできるけど、その前に他の頭から集中攻撃を食らってしまう。


「あっ……ぶな!」


 死角からの嚙みつきを間一髪でかわす。 他に気を取られていると、こういう容赦ない攻撃が飛んでくる。やっぱり爺ちゃんは怖いや。でも、それも段々慣れてきた。

 僕は腕や足で爺ちゃんの頭を弾いていく。けれど、硬い鱗で覆われた顔にはほとんどダメージが入っていない。ずっとこれに苦戦してきたんだ!


「フフフ、どうするのかな。クレイス」


 余裕そうな爺ちゃんは僕が何度受け流しても攻撃を続けてくる。次第に僕は受け流しから回避で爺ちゃんの攻撃を捌いていく。


「……あ」


 僅かな違和感に気づいた時にはもう遅かった。爺ちゃんは僕を攻撃しやすい場所に誘導していたんだ。

 目をやった先にあったのは、炎のブレスを吐こうとしたヒュドラ爺ちゃんの頭の1つ。まずい……何とかしなきゃ!

 咄嗟に背中の剣に手が当たる。


「これだ!」

 

 僕は剣を抜き、炎のブレスを真正面から上下に叩き切る。真っ二つに割れたブレスは僕を避けるように後ろに逸れていく。

 これなら勝てるかもしれない。僕は初めて爺ちゃんとの戦いに勝機を見出した。剣を前に突き出し、足を踏み出す。


「行くぞおおお!」

「な、なんと……うおおお!」


 僕が思いきり下から振り上げた剣は爺ちゃんの顔を鱗ごと裂いた。開いてた口の下顎から上顎がぱっくりと割れ、血が勢いよく吹き出す。それを見て僕は、サーッと全身から血の気が引いた。


「ぐ……ハハハ、ようやく一撃もらってしまったか。流石だ、クレイス……クレイス?」


 上手く呼吸ができない。大事な爺ちゃんが血を流す姿を見て、僕の心臓はうるさいくらい音を立てる。バクンバクンバクン、目の前の景色が遠くなり、僕の視界は暗転した。




「……はっ!」


 目を覚ますと、ヒュドラ爺ちゃんが心配そうにこちらを見ていた。どうやら気を失っていたらしい。

 僕はハッとして傷ついた爺ちゃんの顔を見る。もう血は止まっていたけど、傷の痕は痛々しく見えた。


「ごめんね、爺ちゃん。僕、剣がこんなに怖いものだって知らなかった」

「いいんだよ。剣に限らず、強大な力は危なさを伴っていることを理解してくれたなら、これくらい安いものさ」


 立ち上がった足はまだふらついていたが、僕は爺ちゃんの傷ついた顔に近づき、そっと痕に触れる。ザラザラとした鱗は剝がれてツルツルになっていて、僕の指が引っ掛かりなく動く。大好きだった立派な鱗がこんな姿になってしまったことを見て、また嫌に肌がゾワゾワする感覚に襲われる。


「僕、剣を使うの止めるよ……」

「それもひとつの選択だろうね。ただ……クレイス、お前はこれを使わないといけないときはきっと来るよ」

「誰かを傷つけないといけない、ってこと?」

「いいや、傷つく誰かを守るときだ。そのときお前は強大な力を振りかざさねばならん」


 いつか、誰かを守るとき。そのために傷つける力を使うの?

 爺ちゃんの言っている意味はまだよく分からなかった。でも、僕が強大な力を使ったらどうなるかが怖くて、その先は聞けなかった。結局「うん」とだけ言って、爺ちゃんとの話は終わった。


 あれだけ強く願っていた夢が叶う嬉しさはあったけど、明日この場所を出ることが決まると急に寂しさがこみ上げてきて、何年かぶりに爺ちゃんの隣で眠った。

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